「わが地名論 第12回 地名論から始まった」平居謙
「わが地名論」連載にあたって
詩の中に地名を書くこと。その意味を探ること。これは僕自身の詩集に関わりながら展開する「わが地名論」。この連載を通して〈地名とは何か〉〈詩とは何か〉を考えてゆく。
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この連載に「わが地名論」という名前を付けた時、僕の頭の中には3つの思いがありました。地名について自分の詩を見直すから〈地名論〉だということ。これはそのままズバリです。次に大岡信の名作「地名論」に関する思い出。そしてそれを捩って作った僕自身の作品「地名論Ⅱ(ツー)」のこと。(この詩は第一詩集『行け行けタクティクス』の中に収められています)。
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大岡信の「地名論」は以下のような作品です。
地名論
大岡信
水道管はうたえよ
お茶の水は流れて
鵠沼に溜り
荻窪に落ち
奥入瀬で輝け
サッポロ
バルパライソ
トンブクトゥーは
耳の中で
雨垂れのように延びつづけよ
奇体にも懐かしい名前をもった
すべての土地の精霊よ
時間の列柱となって
おれを包んでくれ
おお 見知らぬ土地を限りなく
数えあげることは
どうして人をこのように
音楽の房でいっぱいにするのか
燃えあがるカーテンの上で
煙が風に
形をあたえるように
名前は土地に
波動をあたえる
土地の名前はたぶん
光でできている
外国なまりがベニスといえば
しらみの混ったベッドの下で
暗い水が囁くだけだが
おお ヴェネーツィア
故郷を離れた赤毛の娘が
叫べば みよ
広場の石に光が溢れ
風は鳩を受胎する
おお
それみよ
瀬田の唐橋
雪駄のからかさ
東京は
いつも
曇り
(全文)
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この詩は名作ということになってますが、それほど大したことはない(笑)。丸谷才一が『現代の詩と詩人』(有斐閣)の大岡の項目で書いているように、大岡信には適切なアンソロジーピース(アンソロジーにちょうどよいう具合の作品)が少ないのでこの詩が採られ、いつの間にか有名になったということでしょう。丸谷はこの詩は上品かつ秀逸としますが、僕の感想は真逆です。雑多な地名を羅列し、〈輝け〉〈延びつづけよ〉と命令口調で、どこかモラハラのおじさんをイメージさせます。〈名前は土地に/波動をあたえる/土地の名前はたぶん/光でできている〉などと過剰にセンチメンタルでもあり。〈故郷を離れた赤毛の娘が/叫べば みよ/広場の石に光が溢れ/風は鳩を受胎する〉などと〈娘〉を視姦するごときパパ活親父もここにいます。とどのつまりは〈おお/それみよ〉と誰でもがすぐに思いつくレベルの駄洒落親父ギャグをかます。サイテーです。にも拘わらず、ちょっと可愛くて面白い。そして最後の3行だけはどこか切ない。つまりはサイコーです。
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大岡信は僕の〈先生〉でした。大学では近代詩の講義がなかったので、NHK講座「詩の発見」を毎週ノートを取りながらTVで真面目に聞いた。それがとても勉強になりました。卒業後、大学の時の恩師・佐藤義雄先生が明治大学に移られた際に、僕も東京に行ったのですが、暇でぶらぶらしてても仕方ないので明治大学の授業やクラブに潜り込んでニセ学生として暫く過ごしました。大岡信のも明大で教えていました。年度最初の授業では40人くらいいる受講生全員に自己紹介をさせるのでした。僕を除く最後の一人まで紹介が終わった時、ちょうどチャイムが鳴りました。僕の前に座っていた1年生が気づいて「こいつ自己紹介、回ってないぜ」と言ったので、こりゃあモグリがばれてはマズいと思いすたこら(・・・・)と逃げました。大岡裁きというだけあって、時間の捌き具合は流石だ、と感心したことしきりでした。その後、関西に戻って、大岡が講演会で大阪に来た時、トイレで連れションしながら「前に明治で先生の講義を聞きました」という話をしました。大岡は感激していたことでしょう。
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東京に行って、実際に御茶ノ水辺りを歩いて作ったのでしたでしょうか。このへんのことははっきりとは覚えていません。しかし、大学生の時以来TVでお馴染みだった大岡信を実際に見て、何故か僕も「地名論」を書かなきゃ、と思ったのかもしれません。もしかしたらお会いする前だったかもしれない。ともかく次のような詩を作りました。「Ⅱ(ツー)」というのはもちろん、大岡の「地名論」の第2弾、という意味を込めたのでした。
地名論Ⅱ(ツー)
どこいこかいな
せんだがやでは
ちっともなんにも
せんだがや
これが
ワシの
地名論じゃ
まるったか
大岡まこと
まことに
まことに
まるったか
ワッハッハ
(全文)
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まったく、詩にも何もなっていない。駄洒落と茶化しの世界です。しかし、もちろんそのようなものを作ろうとしたわけで、それは先に言った〈武装〉と関わっているのでしょう。〈武装〉せずに書いたら、とてもセンチメンタルなものになっていたかもしれません。〈せんだがや〉は言うまでもなく〈千駄ヶ谷〉で、御茶ノ水から総武線に乗ってゆくと知らないうちに通り過ぎているのでした。僕もその後大岡信や彼の詩業に特段注意を払うことなく、詩の世界を乗り過ごしてゆくことになります。通り過ぎられるべき運命の地名と人名の融合…。
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それでも初期には詩史の指導者・大岡信への信頼は強く、前回扱った僕の作品「行け行けタクティクス」の最後を〈僕たちの空は青く/僕たちはいつもくもり〉と書いたのは、大岡「地名論」の最終行〈東京は/いつも/曇り〉が頭のどこかにあったからかもしれません。次回からは第2詩集『無国籍詩集 アニマルハウスだよ 絶叫雑技篇』に関して書いてゆきます。
