連載:これも愛やろ、知らんけど 19 しあわせなだけだから/河野宏子

2025年09月04日

カバンの中にいつも小さなぬいぐるみがいる。キーホルダーとして使える部品がついているから、ぶら下げればいいのだけど、ちぎれてどこかへ行ってしまいそうなので、カバンの中のポケットにそうっと入れる。入れるというか居る、居てもらう。恥ずかしながら、わたしはただの「もの」として彼らを扱えない。恥ずかしいけど、四つの頃からずっとそうだ。家にはたくさんぬいぐるみがいて、それは、可愛いとか可愛くないとかではない。彼らは、「もの」じゃないのだ。自分の弱いところがぎゅっと可視化された生き物たち。彼らにはそれぞれ名前も、人格もある。

2011年のアメリカ映画で、「The Bever」という作品がある。監督はジョディ・フォスターで、主演はメル・ギブソン。鬱症状を抱えたおもちゃ会社の社長(メル・ギブソン)が落ち込みから抜け出すためにビーバーのパペットを腕にはめ、代弁者として人格を持たせたことから人生を乗っ取られていく……というもの。コメディではないし、わたしにとっては共感性羞恥がとめどなく誘発されてしまう映画だった。この文章を書くにあたって久しぶりに見返そうと調べたけれどサブスクには上がっていない。ただひたすら自分が恥ずかしく怖くなる点を除いては、なかなか面白い映画だった気がするのだけど。ちなみに邦題は「それでも、愛してる」。残念。

うちにいるぬいぐるみには人格があるとさっき書いた。彼らはみんなどこかわがままだ。やりたくないことはやらないし、好きなものを好きだということに躊躇いがない。ほとんどのぬいぐるみには職業や社会的役割がないので、一日中洗濯物の山に埋もれて匂いを嗅いでいたり息子の学校について行きたがったり、プラスティックのビアジョッキを持ってずっと酒を飲んでいたりする。これらは全て当然、宿主であるわたしの自我であり欲望、抑圧されたわたしの逃げる場所だ。好きなものにどっぷり嵌りこむ彼らを写真に収め、自分の外付HDみたいに眺めている。現実に引き戻さなくて大丈夫。この子は今、しあわせなだけ。

初対面の方にこの性癖(※本来の意味での性癖です)が露呈すると、大抵の人は優しいので「わぁ、可愛いですね」と大人の対応をしてから話題を切り替える。まれに同好の士が見つかることもあるが、逆に冷ややかな感情を隠さない人もいて、申し訳なさを感じると同時になぜかすっきりする。最初から自分のいちばんの核心を拒否されれば、取り繕って好かれる努力をしなくていい。腹がたつどころかありがたい。あなたはただ、優しさよりも正直さが強い人だ。

少し親しくなればすぐにわかる自分のこの性癖(※繰り返しますが本来の意味)を今となっては全く矯正するつもりがないのは他にも理由があってそれは、『ちょっと狂っていれば壊れなくて済むから』だ。映画の中のメル・ギブソンほどじゃないけどわたしにも社会的役割があって、勤め人で詩人で母親で娘だったり妻だったりする。いい歳した大人なので、ものごとの複雑さをなるべく複雑なまま理解して受けとめなくてはいけないし可能な限り受けとめたい。ごろごろしたフォルムの事情の塊がたくさん胸に詰まって、それぞれに適度な隙間がないと動けなくなってしまう。その隙間が『ちょっと狂うこと』だとわたしは信じている。完全に壊れてしまわないために、大人が一応大人であるために、地下アイドルやインディーズバンドやぬいぐるみや酒やダンスにちょっとだけ狂う。気持ち悪くても仕方がない。どうぞそうっとしておいてほしい。わたしは今、しあわせなだけだから。





河野宏子