【詩に至ル病】第31回中原中也賞に応募した事。 三明十種

2025年09月27日

去年の今頃は第一詩集「詩句と裸夢哉」の編集作業に日々追われていた。
詩集出版の経緯は固定された記事に書いてあるので読んでみてください。

第一詩集「詩句と裸夢哉」(時の歯車社)発刊

それでせっかく応募資格を満たしているのだからひとつ中原中也賞にぶっこんでみようかと血迷ったのです。
山口県で詩人として活動しているからには応募せんにゃいけんじゃろう。

第31回中原中也賞の対象作品を募集します - 山口市ウェブサイト

予定では七月中に応募するつもりだったのですが、(封入梱包が面倒だったので)九月十二日まで延ばしてしまいました。
自著三部用意してB5角型封筒にぎゅうぎゅうに詰めました。
応募用紙も間違えなく記入して、受領書も欲しかったからハガキも同封。 


ここまでやると後には退けないし、変に期待もしちゃうけど、私家版(自費出版)だし、本文横書きだし、四半世紀前の作品を集めたものだし、駄目なんだろうなぁ~と選考に残ってくれれば万々歳なのかなぁ~と。

そんでもって九月二十日に山口県立図書館に(現代詩手帖に投稿した詩はどうなっているかと)確認しにいって(全然駄目だなぁとかすりもせんなぁと)しょぼくれて、その足で山口情報芸術センターYCAMで吉増剛造さんの講演会チケットの払い戻ししてもらう。そこでせっかく山口市まで(ひとりで)来たのだし、中原中也賞に応募したことだし、中也さんのお墓に参って帰ろうと。ちょうど吉敷も通るしね。約四年前に訪ねた時も荒天だったと記憶している。その時さんざん道に迷ったので、お墓の場所ははっきりと分かっている。お線香やお供え物(煙草・酒)も持たずにまた墓前に来てしまいましたよ。まぁ貴方と僕の間柄で礼儀なんていらんじゃろ。


一九三六年九月頃に書かれた「一つのメルヘン」の舞台といわれている吉敷川を撮影しました。とても佳い川ですよね。 


吉敷川を後にして、親戚の納骨堂にも参って帰途につきました。「中原中也賞にエントリー出来たらいいなぁ(こんな僕に果たしてエントリーまで漕ぎ着けるだろうか)」という想いも遂げられたし、賞の結果はどうであれここまで来れたということは素晴らしいことなのです。野良の文藝活動であるけれども、考えようによってはこれはパンクなのですよ。かなり恥ずかしい発言ですが、三明十種、ここまで来たら恥も外聞もございません。






※本内容は、 三明十種さんのNOTEの内容を一部改編・引用させて頂いたものです。
三明十種|note 


                                                      三明十種