雨は、神様のおっぱい(5)  荒木田慧

2026年02月18日

『あらゆることには思いがあるんだ。』

脳内をイサムの言葉がリフレインする。

フィリピン・マニラのイントラムロスは、スペイン植民地時代を象徴する区画である。市内の雑多な居住区と比べると、まるで混沌とした無意識のなかに、突如あらわれた理性の島のようだ。

日が暮れ始めていた。先へと急ぐ私とイサムの足は、讃美歌のしらべに導かれるようにして、サン・アグスティン教会へと引き寄せられていった。

ミサのようすを覗くのもそこそこに、教会の真ん前で、私は立ち止まった。キリスト教会の正面ドアの左右に、東洋の狛犬がそれぞれ鎮座していたからである。

16世紀につくられたこの教会には、土地に元あった信仰の名残が、このような形で残されているようだ。小さな2頭の狛犬と、背後にそびえる荘厳なカトリック教会。そのミスマッチを私は興味深く見つめた。

ふと台湾の大甲鎮瀾宮の前に座っていた、2頭の巨大な狛犬を思い出す。彼らの股間には立派な性器がしつらえられていて、はっきりと、向かって左がメス、右がオスだった。左の母犬の足元には、ちいさな仔犬がじゃれついていて…。

そこまで思い出して、目の前の狛犬たちに違和感を覚えた。向かって左の狛犬の足元に、じゃれついているはずの仔犬がいない。どこにいるのかと反対側へ視線を移すと、右の狛犬の両手のあいだ、今まさに抱き上げられるようにして、そこに仔犬がいた。

狛犬の左右オスメスの配置は、厳密に決まっているわけではないと聞く。するとこれは大甲鎮瀾宮とは配置が逆で、子を抱いている右の犬が母、子のいない左の犬が父なのだろうか。性器がかたどられていないため、どちらともわからない。

「天にまします我らの父よ…。」

教会からはミサの祈りの声が漏れ聞こえてくる。

父と子と聖霊。はたと思い当たり、私はぎょっとする。もしかしてこの狛犬たちは、やはり左が母犬、右が父犬なのではないだろうか。左の母犬にじゃれついていた仔犬を、右の父犬が奪い取り上げた。まさにそのときの姿なのではないだろうか。

侵略とともに塗り替えられた信仰。誰にも何とも確かめようのない、単なる憶測、極端な妄想にすぎないのだが…。

『あらゆることには思いがあるんだ。』

脳内をまた、イサムの言葉がリフレインする。

フィリピン本島の南、ミンドロ島へ渡る船はひと晩遅れた。ひどい嵐だった。

わざわざ島へなど渡ったところで、結局フラフラほっつき歩くくらいしか私とイサムにはやることがないのだが、かといって他に行くべきところも見つからない。嵐が去るのを待って渡った。

ホワイトビーチと称された白っぽい砂浜は、シーズンオフなのか観光客はまばらで、海沿いのATMはことごとく壊れていた。

一本だけの大通りは閑散としていて、飲み屋も数えるほどしかない。私が飲み代を渡さないので、イサムは近所の白人のオヤジにとりいって、海賊のような名の飲み屋で一杯ごちそうになってくることがあった。

「あのおっさん、すげー金持ちらしいけど、戦争で人を殺したことがあるんだってさ。最初の3人までは平気だったんだけど、それ以上いったら、しんどくなったって。」

ふつう逆なんじゃあないのか、と思ったが、戦争に行ったことのない私に、人を殺すことのふつうがわかるはずもなかった。

近くに原住民の暮らす村があるというので、晴れた日に、坂をのぼってイサムと歩いてゆく。

木造りの住居が集まった小さな集落のようだが、子どもたちが通うためのキリスト教の学校がある。

学校の前にある巨大な黒い岩をみて、私は思わずガイドの男に訊ねる。

「もしかして昔はこの岩が神さまだったのではないですか?」

男は「ああ、そうです。」と答えた。

この神さまに性別はありましたか、と私は重ねて訊ねる。

男女の別はありません。

そう男は答えたが、神さまについて話すとき彼は「He」と発音した。

「お昼ごはん、食べさせてくれるって!」

原住民の幼い子どもたちと遊んでいると、家々のほうから戻ってきたイサムがそう言う。ひとの世話になるのが、この男は本当にうまい。

簡素な木造の家には若者がいて、アリエルと名乗った。アリエルは男でも女でもなかった。少年のようなさっぱりとした顔立ちと声に、少女のような体つき。年のいった女のようなしなのある仕草をする。

「どうぞ靴のままお上がりください」とアリエルはすすめたが、小屋のあちこちに小鳥のように集まったきょうだいや近所の人々はみな裸足だった。だから私とイサムも裸足になった。足の裏がざらざらして、無意識にかかとが浮く。

旅行者に手料理をふるまうのは7年前の中国人以来だとアリエルは言い、近所から貰ってきたココナッツを割ると、さっそく調理にかかった。

かまどの薪をととのえ、一歩さがってバランスをみる。その様子は、さながらコラージュをつくる芸術家のようだ。私はアリエルの繊細な手つきに見惚れる。どこからかやってきた仔犬が二匹、足元のごみ箱に背伸びして頭を突っ込んでいる。

バナナのつぼみ、巨大なミョウガのように見えるそれを細かく刻み、新鮮なココナッツミルクで煮込んでゆく。できあがったクリーム色のスープは、「森のクラムチャウダー」とも言うべき、なんとも滋味のあるまろやかな味わいだった。

「この村が好き。私は携帯電話は持たないのよ。」と、男でも女でもないアリエルは言った。

夜23時過ぎ。宿の外から子の泣く声が聞こえる。そのうち泣き止むかとしばらく待ってみるが、一向に止む気配がない。

やれやれ、こんな夜遅くに、一体どうしたものか。とりあえず外に出てみる。向かいの家の外、塀の内側で、小さな男の子が泣き叫んでいた。

ママ、ママ、ママ!

落ち着かせようと低い塀越しに彼を抱き寄せ、背中を優しく叩くが、彼の目は私を映さない。母の姿が消えて行ったのだろう、暗い道の先だけを見つめている。

『狛犬は人間の生死、阿吽(あうん)を表しているというでしょう。お母さん犬は吽(うん)と口を閉じ、お父さん犬は阿(あ)、おぎゃあと産まれた口をしているんだよ。すべての男は、母の子だからね。』

ママ、ママ、ママ!!

見事におぎゃあの口をしていた。

あまりの騒ぎに宿の女主人まで出てきて、「お母さんはどこなの」と辺りを探し始める。

やがて通りの向こうから、微笑みをうかべた「ママ」が急ぎ足で現れ、おぎゃあおぎゃあを抱えるように家へとふたり帰って行った。

やれやれ。こんなとき、「天にまします我らの父」は、どこでどうしているのだろうか。







荒木田慧