「性をテーマにした共同企画」奥主榮

2025年08月26日

 モーク阿佐ヶ谷という映画館がある。いわゆるミニ・シアターに分類される劇場なのだけれど、少し余所と違った特色がある。   
 ミニ・シアターの多くは、とても批評的なプログラムの組み方をする。けれど、ここのプログラムの選び方には、どこかアーティスティックな視点が存在するのである。昨年夏の上映プログラムを例に挙げれば、八月一五日に重ねて「東京裁判」の映画がかかり、翌日からソクーロフ監督の「太陽」、九月一日にかぶせて「福田村事件」が上映された。このときには僕は浮かれて、喝采を送った。といって、社会派の硬い映画ばかりの上映館ではない。ロードショーのときに見そびれてしまい見る機会を探していた、光武蔵人監督の「唐獅子仮面」(キャラクター設定は漫画家の永井豪先生)を初めとする同監督の全作品上映には欣喜雀躍してしまった。(感動の余り書いた感想文をスタッフに渡したら、そのまま監督に渡ってしまった。その結果、監督からとても感謝された。) この感想文については、「抒情詩の惑星」で過去に「世界はずっと昔に崩壊している」というタイトルで発表させていただいている。
 また、地元阿佐ヶ谷との密着企画も多い。落語会をやったり、飲み屋さんの常連客の方々が企画した映画を上映したり。いろいろな意味で、ごった煮的な要素がありながら、同時にアーティスティックな視点も保った映画館なのである。
 そうした意味で、僕の好きな小屋なのである。

 ここのスタッフ、ものづくりに携わっている方が多い。様々な形で。それも、映画館の個性をアーティスティックに感じさせる理由かもしれない。
 昨年の九月に僕主催の朗読会で共演をした郡谷奈穂さんも、この映画館のスタッフであった。演劇をされているという話を聞いて、僕がお願いして共演していただいたのである。
 そんな劇場のスタッフの中にお一人、「あなたも何か創作されているのですか」と尋ねたときに、「私は別に」と控え目に返事をされた方がおられた。けれど、映画館のロビーで僕が見たばかりの映画の感想を話したりすると、興味深そうに耳を傾けてくださる。何となく親しくなっていくうちに、学生の頃にはロック・バンドでドラムを叩いていたこととかを伺えた。ただし、オリジナル曲をやりたいという彼女の希望は、ギタリストのリーダーによって退けられたという。カバー曲を演奏し続けていたことを、「よくある話ですが」と口にされていた。そのうちに、昔彼女が書かれた詩も読ませていただけた。上手ではないが、きちんと自分の言葉で描かれていた。自分の言葉で描くというのは、とても大切で、同時にとても難しい。人間は、借り物の言葉の中に自分の感情を誤魔化してしまいがちである。そうした陥穽に、彼女は陥っていなかった。
 武田七美(たけだなみ)さんという、その方が発する言葉が、とても大切なものに思えた。ちなみに僕の本名の関明夫は、名前を読み間違えられることが多かった両親が、「絶対に読み間違えられない名前にしたい」と付けられたものである。そんな僕は、「漢字はこうですけれど、あたしの名前は、ななみではなくて、なみです。」と僕に対して話した彼女を見て、小さな痛みをおぼえた。
 昔、「れいゆ」という小説を書いたことがある。自分の名前は「れいゆ」だと人に伝えると必ず「どんな漢字を書くの?」と尋ねられることにうんざりしている女性を主人公にした小説だった。安直な「常識」とやらに乗っかって、名前の付け方について語られる方々を、僕は鬱陶しく思う。昭和時代に、天皇の名にあやかって子に「裕仁」と命名した方もおられたし、小学校卒業の首相誕生に歓び女児に「角栄(すみえ)」という名を付けた方もおられた。当時、そうした話題は微笑ましい話題として伝えられた。

 名前って何なんだろうなと、そんなことを思うことがある。
 手塚治虫氏の漫画「シュマリ」は、明治時代の北海道を舞台にした作品である。その中に、北海道ネイティブの方々(いわゆるアイノ・和人表記ではアイヌの方々)は、子どもに汚い名前を付けて、悪いカムイの餌食になるのを防いだという話が出てくる。(単純に「神」と和人言葉にされるカムイという言葉であるが、いろいろなカムイ様がおられる。僕と相性が良いのは、パウチ・カムイではないかと考えているが。)
 名前って、一人の人間に対するラベリングの一種なのかなとかとも思えてしまう。人間は、他者との関わりの中で、目の前の相手との距離を保つために、いろいろと肩書きを付けていく。「これは、同性である。あるいは異性である。」。「これは、共通の話題がありそうな同年代である。あるいは、話の通じなさそうな高齢者である。あるいは、こちらから合わせないと会話ができない幼いものである。」。「これは、共通の話題が維持できそうな、自分と近い価値観を持った相手である。」
 そうやって、人は周囲の誰かを選別していく。あるいは、値踏みしていく。なんだか、ややこしいことを僕は述べているのかもしれない。僕は、子どもの頃から「何を言いたいのか分からない」ということを責められて生きてきた。けれども、武田七美さんは、こうした回りくどいくどくどしさに、どうしてだか興味を抱いてくださった。

 話題は変わるのであるが、僕の頓挫した詩集の企画に、「十四階の輪転機」というのがある。コロナ禍の数年前に企画し、原稿をまとめ始めていた。しかし、資金難等の理由で中断したままだったのである。この原稿を、朗読会という形で発表する場を設けたいと、今年になった考えた。ただ、「十四階の輪転機」というキーワードで検索すれば分かるように、重いテーマの作品群である。同時に、僕の第一詩集「日本はいま戦争をしている」への原点回帰の思いも込めた詩集の企画であった。
 「九月に朗読会をやるつもりなのだけれど、ちょっと深刻な詩が多いんだ。それを緩和するのにバックで、パーカッションを叩くとかできるかな?」と、おそるおそる申し出た。あんまり自分を前面に押し出したくなさそうな方だし、断られるかなと思った。
 しかし、快諾をしていただけた。自分から何かを発したい気持ちがありながら、それを躊躇う繊細さも持っている一人の人間が、舞台という場所へと踏み出してくださったことがとても嬉しかった。

 さらに、後日彼女からこんな申し出があった。
「楽器演奏に関してはブランクがあり自信がない。何か他の形で共同企画をやりたい。」その言葉を聞いたとき、僕は即答した。
「最初の企画案、白紙にしても好いよ。新しいテーマを考えよう。」
 あまり自分を前面に押し出してこない方が、「何かやりたい」という気持ちになったということが、僕にはとても嬉しかったのである。

 自分が何か素晴らしいことをやっていると思って、表現活動をしているヤツがいたとしたら、そいつはただの莫迦だろうと、僕は思っている。
 何かを表現として人前に晒すということは、「ええと、こんなモノが出来てしまったんですけれども、公にしても構いませんか?」みたいなものだと、僕は思っている。木造の、覗き見できそうな隙間だらけの便所の中で大便をするような行為だとしか、僕は思っていない。

 僕自身が、自分が何かを描き、公にする価値がある存在なのかという強迫観念に若い頃は悩まされていた。そうした気持ちと戦いながら表現活動を続けてきた。世間から受け入れられる価値のない自分という意識と、それでも描きたいのだという欲望の合間で、心をすり減らせながら生きていた。
 だからこそ、武田七美さんという確固とした個人の、「自分を表現したい」という気持ちを受け止めたかった。そうしたこともあり、僕の当初の企画は白紙にしても構わなかった。

 ある日、映画館のロビーで、新しいテーマについて、武田さんに話した。
 「映画の感想とかについて話しているとき、結構性的な話題に触れることもあったよね。あなたからはそういう話題を嫌がられなかったから、性をテーマにした共同企画にしても好いかな」。
 肯かれた。
 でも、性をテーマにするには、慎重にならざるを得ない。一歩間違えれば、そこに加害・被害の関係性が生じてしまう。心配になった僕は、後日本当にこのテーマで好いのか、再確認したら、構わないということであった。
 上映された映画に関して、僕は結構辛辣な感想を口にする。そうした厳しい批判に関しては、多分、映画館のスタッフの中では、武田さんが聞いていることが一番多い。それらの個々の内容に関しては、触れないでおくが。

 ある映画を観た後で、僕はこんな感想を漏らした。主人公は、小学校教師の女性。職場でいくつもの割り切れない思いを抱いている彼女は、ラッパーの集まりに参加することで、自分を開放しようとしている。しかし、交際相手の男性から、こう言われる。「僕は、ラップをやっている君は好きではない。」。
 僕は、このシーンがとても気になった。相手がかなり苦しい気持ちで、自己表現の場所を求めていることに対して、「好きではない」と切り捨てる男性。それは、もしかしたら、過去の僕であったかもしれない。
 映画を観終わった後で、ロビーで受付をしていた武田さんに、僕は口にした。「切実な気持ちで行っている表現活動を否定することは、相手の精神を踏みにじること。そうした意味では性加害と変わりないと思う。」。
 そんな僕の発言を耳にして、一瞬の沈黙の後に返事があった。
「確かに。」僕が口にすることをそのまま鵜呑みにしたりせずに、必ず自分の中で言葉を咀嚼してから返答して下さる。(僕は、誰かの意見を無条件に賛美するような連中は、大嫌いである。熱狂だけに身を委ねて、少しでも周囲の空気が変われば、さっと掌を返すからである。)

 武田七美さんという方は、自分から何かを発する機会を得られなかっただけで、とても表現者としての強い意欲を抱えている方なのではないかなと、そんなふうに感じている。無論、表現する動機があるから他人に何かを伝えられる作品が描けるとは限らない。
 しかし、いままで自分が描いたナニモノかを発表することを控えていた方が、そこから一歩を踏み出そうとしていることが、僕にはとても嬉しい。

 僕が行ってきた他の企画同様に、お互いに敬意を払い合いながらの対等な表現者としての企画に昇華することができたらなと、そう思っている。

二〇二五年 六月 一九日






奥主榮