「わが地名論 第9回 アメリカという主題(上)」平居謙
わが地名論」連載にあたって
詩の中に地名を書くこと。その意味を探ること。これは僕自身の詩集に関わりながら展開する「わが地名論」。この連載を通して〈地名とは何か〉〈詩とは何か〉を考えてゆく。
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最初に「星とNINJA」を引用します。この詩は確か、明治大学文学研究会にニセ学生としてNINJAのように潜り込んで部活に参加していた頃、文学研究会(以下 明大文研と略称)の雑誌に出したものでした。
星とNINJA
軒端にひとがいる
☆
そして忍者屋敷
天井返しの技巧
内部のひとがみえなくなる
NINJA NINJA
(ろうま字つづりの)
カブキもカンフーも
アメリカ帰りは出世する
45゜の鳥瞰図
NINJA は下部の星をみる ('85.10.5)
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この詩を見せた時、誰かが「アメリカ帰りは出世する、じゃなくて日本帰りは…だろ?」と言っていたのを思い出します。それを聞いて、「あ、こ奴もプロレスファンですね!」と嬉しく思いました。というのも、プロレスの世界では、日本で活躍すると帰国してアメリカで大ブレイクするという法則があるからです。古いところでいえばパンピロ・フォルポなどはその典型でしょう。'囚人'ザ・コンビクトのただのマネージャーだとくらいにしか思っていなかったのが、アメリカに帰国後、ザ・シークと金網デスマッチで抗争している写真をプロレス専門誌で見て〈日本帰りは出世する〉を実感しました。ダスティ・ローデスや、ハーリー・レイスなども、日本に来た時にはうすっぺらい小僧という感じだったのに、随分出世したな、と子供心にも思っていました。他方、アメリカ帰りは出世するというのは、実はそれほどでもない。カブキというのは、グレート・カブキで日本に帰ってきてからも注目は浴びましたが、メインを引っ張ることはあまりなかった。グレート小鹿扮するカンフー・リーは、帰ってきた直後こそ、アブドーラ・ザ・ブッチャーにブッチャーのお株を奪うような地獄突きを入れたりで華々しく活躍しましたが、それだけに終わりましたね。
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ところでこの詩「星とNINJA」は一体何を言いたい作品なのか。何を書こうとしたのだろうか。自分でも不思議に思います。それで頭を捻っていろいろ思い出してみました。前にもどこかで書きましたが、明大文研の友人に山井哲という男がいました。その頃だけのお付き合いにおわりましたが、その彼に大学時代に作った第0詩集『時間の蜘蛛』をみせたところ「こんなメルヘンみたいなのは興味ないよ」と言われた。また同じころ、京都に住んでる若い女性詩人が賞を取ったというので、彼女にも粗末なコピー版の詩集を送ったところ葉書で返事を貰い、「随分ウエットなのですね」というようなことが書かれていました。それなら、どこか難解で、感情を排したものや、メタリックでつるつるした明るいものを作ってみようとした、そんな記憶があります。狙いは、あくまでも淡々と描き、感情を出さずに事象だけを短く描く、俳句でいうところの〈写生〉に近いような感じです。それで、明大文研の「子宮癌」だったか何だったかという機関誌に出しました。当時意識して書いたわけではありませんが、主題としてはアメリカそのものを扱っているという気がします。アメリカとは。アメリカ文化とは。それ以上自分の中で深めることはありませんでしたが、自分にとって重要な主題だったはずです。
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というのも、この詩集に先立って僕は、福中都生子編『大阪詩集』(1988/1989 ひまわり書房刊)に作品を発表していますが、その際プロフィルに〈1961年カリフォルニア州に生まれる〉と記しているからです。アメリカとは何なのか。なぜアメリカを志向したのか。
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第0詩集『時間の蜘蛛』では、生活の拠点であった〈京都〉から少し離れた場所として〈姫路〉〈大連〉などが出ていていました。この第1詩集には〈アメリカ〉が出てきます。詩集に現れる地名としては「エデンの園」を除けば最も遠い場所です(笑)。しかし、アメリカと書かれる時、そこに具体的な場所のイメージは沸いてきません。僕は中学の時にアメリカに行っているので、実際に訪れた場所に関するイメージを書くことも或いは可能であったはずでした。しかし具体的に書かれるのは随分とのちになってから、詩集で言えば第6詩集『太陽のエレジー』(2012年)になってからです。
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今考えてみますと、アメリカは先に書いた〈メルヘンみたいなもの〉〈ウエット〉という批判に対する自分なりの答えだったかもしれないと思います。〈自分の生活の淋しさみたいなことを決して書かない〉ことで、感情が作品の中に流れ込むというのを防御していたのかもしれないと思うのです。
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僕の中のアメリカは中学3年生の夏に「ホームステイの旅」で行った、太陽の眩しい底抜けに明るく翳のない場所の喩にほかなりません。そんな奥の手を使わざるを得ない程、僕は自分自身の出発点である第0詩集『時間の蜘蛛』の世界を忌避し、それから逃れるように詩を変えていったのでした。
