「築年数」吉田一縷
東京の西、といっても地図上では東京のど真ん中に府中という市がある。その府中市のすみっこに武蔵野台駅がある。駅から徒歩三分、駅ちか、バス・トイレ別、鉄筋コンクリート、築三十五年のアパートに橘麻子は住んでいる。
橘麻子が小字(こあざ)史和に出会ったのは、一昨年の六月。半袖でも少し汗ばむような気温のもと、橘麻子は京王線に乗った。武蔵野台駅は麻子が上京してきた当時は改札口もホームと同じく地上階にあったが、それはすぐに工事に入り、今では二階に改札口ができている。各駅停車しか止まらないこの駅で橘麻子は何度飛び込もうかと思ったかしれない。もう人生なんか辞めてやると特急が通過する時刻を調べる冷静さは持ち合わせていた。久坂葉子に憧れていただけかもしれない。その日の京王線には地元FC東京の青いユニフォームを着た若い男女が多かった。調布で乗り換えたのちに京王多摩川に着いた橘麻子はうまいパン屋を横目に南下する。そして河川敷に出たところでスマートフォンを取り出した。
ジモティーで出会った男が誘ってくれた時間つぶしの集まりはどの集団だ?と連絡しようとしたその瞬間に目に入ったのはレジャーシートを広げてしゃべっている三人の男女とジモティーの男、そして小字史和だった。小字史和はその顔に似合わず背が高かったが、身体は風が吹いたら折れそうなぐらいに華奢だった。髭はきれいに剃られており、その顎をさするしぐさがなぜか強く印象に残った。
「こんにちは、はじめまして」
「あ、はじめまして」
「歩いてきたの?」とジモティー男はおもしろくない一言を言う。
小字史和と橘麻子は二人も知らないうちに仲良くなった。
小字史和は笹塚の十号通り商店街を抜けて右に曲がったところのちいさな木造アパートに住んでいた。アパートの戸口はいつも開かれていて中の廊下が丸見えだった。薄暗くすえ臭く、室内への扉はアルミ製だった。
「よ」
小字史和はいつもそう言って出迎えてくれた。三足分ぐらいの狭い玄関の足元には使い終わった蛍光灯が二セット、捨てる予定であろうマウスとキーボード、そして新品のストラトキャスター。窓際の卓上には壊れた電子レンジが乗っかっていて、そのなかはちいさな本棚になっていた。
サリンジャーの「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる」やラッセルの「幸福論」などが窮屈ながらにどこか特別感を漂わせて居座っていた。
「これさどうにかなんないの?」
「いや、本置くとこないんだよ」
「違う、扉のけなよ」
「ああ! たしかにな!」
「ここってさ、築何年なの?」
「ん~三十年ぐらいじゃない?」
「そんなわけないよ。だってうちがそれぐらいだよ」
「じゃあ四十五年ぐらいかな」
小字史和はそういうとこには全くの無関心だった。
彼はコールセンターの派遣をしている絵描きだった。広島の界隈では有名なバンドのフロントマンだった過去を捨て、上京してきて夢を見た。小字史和の描く絵は人物像が多く、そのどれもに紗がかかったような薄暗さがあり、その絵たちは橘麻子にバベットの晩餐会を想起させた。
絵描き特有の絵の具のついた濃い藍色のジーンズに白かったであろう靴下を履いた長い脚を投げ出してひとり、腕枕の小字史和はいつものように口を開いた。
「カラスってさ、いつ死んでんのかな」
「たしかに。どこで死んでんだろうね」
「鳩とかもそうだけど、数のわりに死んでる姿あんま見ないよな」
小字史和との会話はいつも疑問を残して終わる。そしてまた新しい疑問から始まる。
単発のバイトで働いたり働かずに海外をふらふらしたりしていた橘麻子も春の終わりに小さな電気工事の会社に正社員で採用された。直属の上司はとても丁寧に仕事を振りわかりやすく説明してくれたが、女部長は仕事をしていない。無為に判子を押すか、取引先の知り合いに電話をかけるか、社員旅行で世話になっている旅行会社の営業と個人旅行の日程を相談しているかのいずれかだった。橘麻子は慣れない制服を着て郵便局に行く不自由を楽しんだ。そのうち小字史和との交友は間延びし、間延びし、間延びしては仕事終わりにゴールデン横丁に飲みに行ったり、レンタカーを借りて葉山まで行き、肌寒い海辺をかけて暖をとったりしながら時を共有し続けた。
その年の暮れ、橘麻子は小字史和のアパートで年越しをするために、数品のおかずを作って家を出た。道行く人はどこかせわしなく、どこかやんわりしていた。電車も駅のホームものんびりしたものだった。その昔、倉本聰が書いたような女はこの田舎の駅にはいなく、橘麻子も首元のストールが頬を紅潮させるだけですぐに電車に乗った。
京王線、各駅停車、新宿行き、笹塚駅、十号通り商店街、木造アパート、アルミドア。
小字史和は飛んで行った。東京の人が正常に飛ぶように。綺麗に、そして不意に。
耳の奥では浅川マキの「こんな風に過ぎて行くのなら」が流れていた。
