「一つの企画「おまもり」を終えて、また次の企画「十四階の輪転機」へ(決定稿)」奥主榮
阿佐ヶ谷は、僕が小学生の頃から遊び場にしていた街である。そこに数年前に開館した小さな映画館Morc ASAGAYAのスタッフとの共同企画だった。やはり同じ映画館のスタッフである郡谷奈穂さんとも、昨年「65×25 starting point」というタイトルの企画を行った。戦争をテーマにした詩の朗読会であった。この、ある意味では重いとも感じられるテーマは、まだ若い郡谷さんの側から提案されたものであった。
今年の企画は、僕の側からテーマを申し出た。「男女の性」という提案をしたことには理由があった。 映画館で観た作品の感想を、ロビーにいる武田さんに話しかけることが何度かあった。そうした中には、最近の日本の映画の中での女性の描き方について触れた内容もあった。それだけの理由で、テーマを選んでしまった。
しかし、実際には彼女からの原稿は一向に届かない。六月末に、フライヤー用の原稿を一週間ぐらい待ってもらえないかと告げられた。
実は、僕が最初に示したスケジュールは、一ヶ月ぐらいサバを読んでいる。なので、一週間の遅れであればと、すぐに了承した。
けれども、半月を過ぎても一向に原稿は送られてこない。一ヶ月を過ぎても。告知が開始できないという事態に陥ってしまった。
さらに厄介なことに、僕には誰かとの共同企画を、自分だけのペースで進めたくない気持ちが強い。自分から誘ったイベントであろうとも、自分が主導権を握るのではなく、あくまでも対等な立場でお互いに敬意を払い合いながらナニゴトかを実現したいという気持ちが強いのである。なので、こちらからの原稿の催促ということは、極力控えた。でも、どれだけ控えていても、遅れている武田さんの側からすれば、申し訳なさみたいな気持ちが強かったのであろう。むしろ、そうした気持ちから相手に抱かせてしまう負担感があることを、僕の方が申し訳ないと思った。
おそらく、若い頃の僕であったら、自分から明示してある予定に対して、いつまでも待たされていることに苛立って、怒り始めたのではないかと思う。
けれど、そんな原稿待ちの状態の中で、僕は自分自身が描きたいと考えているテーマの一つを思い浮かべていた。一言で表現すれば、こんなものである。「自分が正しいと思い込む一人が存在することで生まれる、支配・被支配の関係の醜悪さ」。それは、様々な局面で生じる事態であるが、僕には男女関係の中でのそれが、身近であると同時に、顕著であると思えた。
人間が何らかの正当性に頼って、他人に対して支配的な行動を取るということについて、僕は改めて思いを馳せた。このテーマは、僕が子どもの頃から漠然と感じていた、世界に対する齟齬を背景としている。正義感に基づいた行動が、なかなか理解されない状態が生まれる。そうした中で、不正が横行することに我慢がならない人間が、徐々に頑なになっていく。そして、意見の異なる相手に対して、何がなんでも従わせなければならないという思い込みに陥っていく。
それは、自分が相手に何らかの権力を持った存在であるという勘違いも容易に生みだす。その中で生まれる感情は、嗜虐性と呼ばれても差し支えがないのではなかろうか。
「自分は根拠があって、予定を立てた。それに従わない相手を非難する権利がある。」といった暴力的な思い込みが自分の中に生じているのではないかと、僕は危惧した。だから、僕は自分自身に対して警鐘を鳴らした。
そういった状態の中で、僕の心を落ち着かせてくれたのは、こんな事実であった。企画の初期の段階では、僕は武田さんに「朗読のバックの音楽を担当してほしい」と口にしていた。けれども、彼女から「自分も何かを書いて、発表したい」という意思表示をされた。僕は、そんな彼女の思いに、きちんと向かい合いたいと考えた。
そうした理由で待ち続けて、結局フライヤーの原稿が届いたのは八月に入ってから。
彼女が僕に伝えたのは、性というテーマで何かを描くことが、怖かったという話である。その一言から、僕は自分が無自覚であったことについて、いろいろと考えさせられた。
彼女の一言から、性について描くという行為の結果としての、男女の不平等さを感じさせられたのである。なんらかの性的な表現が行なわれた場合、発し手が男性であれば許容されることが、女性であれば好奇の目に晒される可能性が高い。女性が発する性的な描写には、同じような内容の表現を行った男性に比べて、倫理観を盾にした評価(というよりも品性を欠いた中傷誹謗)が向けられる可能性も高い。相手が女性であるからと、落ち度を探しては貶めるような下品な感性を持った男というのが、世間にはごろごろと蔓延しているのである。
誰かの作品に心を打たれ、同じような作品を手にしてみたくて模倣をする。そうした行為は、けして悪いことではない。僕も含めて、多くの方々が自分の好きな作品を真似することから作品を描きはじめていると思う。でも、その一方で、今まで誰も形にしてくれなかった微妙でややこしい気持ちを、作品として形にしてみたいという思いも抱えていると思う。
武田さんの中では、そうした周囲の世界に対する違和感を形にしたいという思いが強かったのではないかと、そんなことも考えた。けれども、残念なことにそうした気持ちというのは、しばしば社会から、謂れもなく「浮いた存在」として扱われる。
そんなことを思いながら、僕は彼女に思いきり自分が描いてみたかったことを、周囲に対して示して欲しかった。
僕は当初、自分は新作を中心にした作品を発表しようと思い、一回の朗読会に十分な分量の原稿を書き下ろした。これは、昨年共同企画を行った郡谷さんから、「新作を書き続けろ」という、良い意味でのプレッシャーを受けたからでもある。しかし、今回の企画では新作を書き終えた後で、武田さんからの作品待ちの中で時間をもてあまし、過去の自作の作品群を四半世紀分ぐらい浚渫するという状態に陥った。そこからさらに、数篇の作品を原稿に加えた。(この数年、僕の朗読会は、予定時間内には読み切れないぐらい多数の原稿を準備し、その中から「90分程度という時間内に収める」スタイルを取っている。)
もともと、朗読会用に準備した原稿は、プリントアウトして会場でおいでいただいたお客様に配布している。毎回、詩集一冊分以上の分量である。つくづく、金儲けとは無縁の詩人なのだろうなと、そう思っている。
そんなテキスト・ファイルの中から、僕が読みたいと感じた武田さんの作品があり、武田さんから読みたいと申し出てくださった僕の作品もあった。
彼女が読みたいと言った僕の作品の中には、まかり間違えれば、彼女自身のイメージを損ないかねない内容のものもあった。ただ、そうした作品を選んでくださった意識を、僕は真摯に受け止めたいと思った。
まず、性というテーマを扱う上でのリスク回避。おいでになる観客の方々には(主に女性が多いだろうけれども)、内面に性的な精神的外傷を負われている方がおられる可能性が高い。そうした方々に配慮した上で、表現活動を行うこと。朗読会前日に急遽作成し、当日公演前に配布したささやかな案内チラシは、そんな気持ちから生まれたものである。
次に、共同企画の武田七美さんが、「性的な表現をする女」という好奇の目にさらされないように配慮すること。ただ、この点に関しては、杞憂であったとも言える。僕の朗読会においでになる方々は、僕がもしも「共演の女性を性的なネタでいじって、ウケを狙う」なんてことをしたら、即刻立ち去るような方々が多かったからである。(ちなみに、この日にいらしていただいた方々のいくたりかは、それぞれに本領の分野では、僕なんぞではかなわないような充実したパフォーマンスを行える表現者の方々であった。)
けれども、僕自身は高評価を受けるぐらい怖いことはなかったと思っている。 賛美されることは、人を誤らせる。思い上がったり、自分を過大評価したりという堕落へのきっかけとなる。そうした罠に陥る方々も、これまでに厭というほど目にしてきた。隠さずに語れば、僕自身が、周囲からの評価に溺れて、堕落した時期もあった。けれど、そうしたことは、たかだか裸の王様が自分のブザマさを露呈しているというだけで、滑稽であるだけだ。
問題は、そうした醜態を晒している姿に対しても、批判的な目を向けることなく、礼賛する方々もおられることである。
そうした行為は、断じて非難されるようなものではない。昔、僕が十代の頃に影響を受けた作家(漫画家)の一人に、真崎守さんという方がおられる。言葉遊びが好きな作家で、「ひとりは人離」といった印象的なセリフを描いていたりした。漫画評論というジャンルが存在しなかった時代に、峠あかねさんという別名で、蔑視されていたジャンルへの評価を記す文章を発表していた。思い込みが強く、今の若い方々からは鬱陶しいと思われるかもしれないが、僕は好きな作家であった。
ととと、話題が逸れてしまった。(僕の描く文章には、余談しかないのかもしれない。)それはさておき(閑話休題)。
「おまもり」当日、会場でも話したように、初夏に僕の前立腺がんが発覚した。夏の間は、転移の有無などの検査に忙殺されていた。余りこうした話題も隠したくないのである。後から、「どうして言ってくれなかったんだ」とか言われるのは、鬱陶しいから。転移はなく、前立腺やその周囲の神経を全摘出することで、かなりの可能性で寛解するということであった。(ただし、男性機能はほぼ失う。) 男性としての活動を残すように施術した場合でも、機能が残る可能性は四割程度。全面的に諦めれば、手術の操作は遥かに楽なものになり(術式の伴う事故の可能性は減り)、がんの再発率も大きく下がる。若干硬直した言い回しになるが、僕自身は男性機能を自分の拠り所としていない。
僕は、何よりも「描き続けるもの」でありたい。
(結果として、それはなかったのだけれど、)もしも余命宣告を受けたとしたらということである。たとえそうであったとしても、僕は笑顔を絶やさずに、希望を語り続けたいという、そんな自分自身の気持ちを確認できた。
これまた僕が何度も書いていることなのだけれど、僕は世界の絶望的な状況に対して、それをしつこく上書きするかのように「今の時代には絶望しかありません」といった指摘を公言しては、「自分は社会情勢に対して意識ある人間」なんぞと思い上がるつもりはない。むしろ、どれだけ絶望的な状況であろうと、その中で生き抜くための活力を、作品の受け手に呼び戻すような、そんな作品を描きたいと思っている。
一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけて僕が主催していた朗読集団T-theaterに参加していた二十代の方々と比して、現在の若い方々はずっと辛い状態にいるのだということを実感している。その上で、傲慢であるかと思われるかもしれないが、どんなに辛い時代も一過性のものであり、その先には希望が確かに存在するのだと、僕は語り続けたい。
わざわざ絶望なんぞを選んで語る気は、毛頭ない。
「十四階の輪転機」。
このタイトルをそのまま検索しても、意味がヒットする。しかし、あえてこの言葉の意味を簡単に説明しておく。
社主は答える。国からの弾圧で経営が悪化したら、一階にある輪転機を二階に上げて、一階を貸し店舗にして収入を得れば好い。そのくり返しの果てに、最上階である十四階に、輪転機が上がっても構わない。ただ事実を報道しろ、と。そうしたファクトを背景にした企画を、僕はこの時代にあえて行いたかった。しかし、その一方で硬直したプロパガンダだけは行いたくない。
詩歌は、というよりは表現は、特定の考えを押し付けるための道具ではない。 人の心を動かし、誰かが頑なに何かを拒んでしまう苦しみから、そうした一人ひとりを開放できるものであるのだと、僕は思っている。
そうした頑なさに、僕自身もまた、かつては悩まされていた。周囲の社会を憎んだり、他人からの干渉を拒むことでしか自分を守れなかった、そんな弱い自分自身であったことに、今の僕は目を逸らさずにいられるようになったから。
「あれだけ一所懸命に活動したのに、どうして結果は逆のものになっていったのだろう?」と、今の日本の現状を前に語り合う方々に対して、僕は反感を買うかと思いながら、それでも口にした。
「意見の異なる相手を、ただ否定すればと思っていたからではないですか。」
挑発するような発言であったかもしれない。しかし、居合わせた一人が「相手を否定したら、言い負かせられれば、それがカッコいいみたいな風潮があったわね。」と口にした。
相手に論理的に打ち勝つということは、相手を納得させるということとは、全く異なる行為である。言い負かされた相手は、ただ反撃の根拠を探すだけである。そうではない、もっと相手と格闘しながらも、高め合うような関係性。アウフヘーベン(止揚)と呼んでも良い関わり方。
重すぎるこのテーマのバックで、最初はやはり武田七美さんにパーカッションを奏でていただきたい気持ちがあった。「おまもり」の直後には、僕は改めて武田さんにバッキングのオファーをしていた。同時に、体力的な衰えを怖れて、助演者を求める方向性も模索した。
しかし、改めて考えると、このテーマは本来僕が一人で向かい合うべきものではないかという気持ちがしてきた。だから、以上に綴ったような「一人で立ち向かうべきテーマ」という考えを伝え、単独朗読会として開催したいと判断し、その旨を武田さんに伝えた。
これまでのやり取りと同じように、少し考えてから彼女は答えた。納得し、同意したという返答であった。
表現者としてお互いに敬意を払い合い、深く思いを寄せ合うことができる。そんな得難い友人を得ることが出来たと、そう確信できた。
僕は、僕の考えを誰にも押し付けない。けれども、どうして僕が自分自身であることに拘泥するのかを表明する。
そうした自分自身の姿が、滑稽であろうとも。
2025年 10月 14日 (第二稿)
2025年 10月 15日 (第三稿)
2025年 10月 16日 (第四項)
2025年 10月 17日 (第五稿)
2025年 10月 20日 (第六稿)
2025年 11月 9日 (第七稿)
2025年 11月 19日 (決定稿)
