「詩集を一気読みする――馬野ミキ『有名な空』を読む」ヤリタミサコ

2025年12月13日

 詩集、というナカミの詰まった本を一気読みすることはめったにない。が、この詩集は読み手の好奇心を引き寄せ続ける磁力がある。魅力というよりは磁力というべき何かの力が読み手の目と手を離さない、ということだ。全編を読むと、短編小説のような読後感が残る。人生のある断面がクローズアップされ、その背後にあるはずの、描かれていない困難が想像できる。
 最初に詩集タイトルの「有名な空」というフレーズが含まれる短い詩の全文を紹介する。


     「大洗」
   朗読会で出会った女性と
   海に行った
   出会った頃
   「海に行きたいですね」
   と言っていたので
   ほんとに海に来ているね、と話した
   妙なかたちの石が多いので
   どれを家に持って帰るか迷った
   有名な空の下で。



 人間中心主義の考え方であれば人間が主人公=有名(名前がある)で、それ以外は背景=無名(名前がない)である。がここでは空が有名で、人間たちは、妙な形の石と等価の無名だ。つまり人間が無名で空が有名という、人間中心主義を逆転させた風景が描かれている。人間が名前のない存在になる、つまり無名になることは、自分の名前(=社会的責任)を放棄した石のような存在になるということか。「海に行く」とは、大きな自然の中で、自分の社会的存在に伴う責任を忘れることなのではないか。社会の中で常に選択を迫られ、意志を確認され、正しいふるまいを求められる社会的人間の役割を、一時的に停止してよいのではないか。妙な形の石と自分を同じように感じることがあってもよいのではないか。人生に疲れたら、人間という役割から自分を解放する必要があるだろう。この馬野の詩で、「海に行く」という恋人たちがふと口にする言葉の意味を深く考えた。
  次に「弟の七回忌」という詩の最終部分を引用する。


   (……)
   自動車が一日に三台くらいしか通らない母の住む町営住宅のまえで息子とゴム
   ボールでキャッチボールをしていると、
   地元の小さな女の子たちが三人
   公民館の滑り台の陰に隠れてこっちを見てて
   その中の一人は言葉をちゃんと喋ることができない事がわかった
   だがお姉ちゃんらしき女の子が常に彼女を守っていた

   俺はゴムボールをなげた後に九歳の息子に
   東京とこっちどっちがいい?
   と聞いたら
   そんなこと聞かないでよ
   と言われ、ボールを投げ返してきた。


 若くして亡くなった弟の七回忌に、息子を連れて帰郷した時の一場面をさらりと描いている。兄として弟を守れなかったという後悔が自覚されていて、「お姉ちゃんらしき女の子が常に彼女を守っていた」という小さな姉妹の絆が胸にぐっとくる。同様に父として息子を守りたい思いも自覚されているが、息子の方が父よりもオトナなのかもしれないと思わせる。息子は「そんなこと聞かないでよ」という二者択一ではない、どちらもアリという包摂を示す。明確化しない方が幸せな場合がある、と父である作者に言い聞かせているようだ。
 次の詩は、「凍った子ども」の最終部分である。


   (……)
   冷凍保存されたぼくの子どもはいまも健在で
   四十八歳としてはすごく子どもびている

   でも本当は、お母さんをたたいたりしないでほしいって怒りたかった
   お母さんをけったりしないでほしいって泣きたかった
   お父さんもお母さんもぼくを無視しないでって言いたかった
   子どもだからって分かっていないと思わないでって分かってほしかった。


「ぼくの子ども」とは、書き手の中に存在し続ける「子ども」の要素である。自分の中の子ども的要素は、冷凍保存されている人もすでに解凍されて処理された人もいるだろうが、多くの人の記憶に残っている思いだ。父母からの暴力や無視、学校での理不尽な出来事など、事実の重さの軽重はあっても、自分が子どもの頃にオトナたちに言いたくても言えなかったことは何歳になってもよみがえる。「子どもだから分かっていない」というネグレクトに傷つけられた経験は、その後、忘れられる人もいるし、忘れられずにかえって重い傷になる人もいる。四十八歳になっても悔しさを感じる馬野は、「大人びている」の反対の意味の造語として「子どもびている」と表現する。オトナたちから自分に向けられた一方通行の決めつけに対して抵抗できなかった無念さは、心理的な重荷として残る。
 人生では、生まれる場所や親や環境を選べない、という運命に決められた選択結果を押し付けられた後、学校を選び、恋人を選び、職業を結婚を離婚を出産を、食堂ではオーダーを選択し続けなければならない。自分の中に冷凍された痛みとしぶしぶ付き合いながら、自己責任という名のざるで水を汲むような選択を繰り返させられる。選択しないという選択肢があってもよいだろう。
 今回一気読みした『有名な空』は、その空の下にある無名性について考える結果になった。匿名ではない無名性とは、おそらくは社会的役割を放棄した一生物としての存在なのかもしれない。だんご虫のように、石ころのように、あるいは存在しないがごとく存在する、ということ。社会でも個人でもなく、親でも子どもでもなく、無心でありたい、その思いが読後に残る詩集であった。





ヤリタミサコ