「叙事詩「海の時代へと」(連載最終回)」奥主榮

2025年08月06日

   PART 4 海の時代へと


   一 半島から(1)


鼠の群ではなく
一匹いっぴきが名前を持ち
行き場を失くして走っている
どこでなら自分が生き延びられるか
ただそれだけを考えて

にんげんが居場所を奪われている
にんげんが居場所を失っている
安心していられる場所
心を寄せられる人の姿を
誰もが見失っていく

半島に足音が響き渡る
半島に鳴き声が響き渡る
鼠がいま 人間になろうとしている
鼠はいま 海へ向かおうとしている

二〇一八年 八月 十九日



   二 祭


「祭を始めるんだ」と誰かが言い出した
「祭を始めるんだ」 誰かがそう思い込んだ
「祭が始まるのか」 誰かがほくそ笑んだ
こいつを利用して何かを仕掛けてやろう

誰も祭を始めようと そんなことは
企みはしなかった ただくすぶっていた思いが
もう 限界に達しかけていた
「祭が始まる」と そんな噂が街を駆け巡っていた

二〇一八年 八月 十九日 奥主榮



   三 祭の始まり(1)


町の片隅に狭いアパートで
独り暮らしを続けてきた
そんな老婆がいた
夫が亡くなってからは
いろいろなものを処分した
一人で焚く小鍋 誰もいない部屋で割る玉子
乏しい貯金と年金 毎日の夕餉
誰との会話もない日々が途絶えることもなく

ある日 百メートルほど離れた場所にある
弁当屋で幕の内を買ってみた
寂しかったから ただ生きているだけの毎日が
寂しかったから 彼女の世代にとっては
女が自炊せずに 弁当を買うことなど恥ずかしい
女が外食をすることも 人目をはばかる
そんな価値観に支配された時代も かつてはあった
誰かから冷たい目で見られないかと
そう思いながら 取りあえず幕の内弁当を
一個 買ってみた 店の人たちは
一人暮らしであることを察してくれたらしくて
お惣菜をおまけに付けてくれて
世の中から忘れられていたような自分が
生活しているもののように扱われていると
そう感じられた
それ以来 二か月に一度 凄い贅沢として
お弁当屋に通うようになって

弁当が出来上がるのを待つ 短い時間
そこで話す間だけ 彼女は誰かと一緒にいられて
どうやら一家で経営しているのだと知り
もう ずっと居なくなっていたご近所さんが
帰ってきたような そんな気がして

けれど 数年間が経ち ある日訪れたその店は
「貸店舗」の札が貼られていて
店の主人が過労死し 借金の返済の宛もなく
唐突な閉店になったことなど 彼女には知る由もなく

ただ 居場所を失って どこに行けば良いのかと

祭が始まろうとしている
祭が始まろうとしている

二〇一八年 八月 二十日
二〇二五年 五月 七日修正



   四 祭の始まり(2)


町の片隅に ひどく不器用な男がいた
誰かに何かを伝えることもできず
いつも一人でいらいらしていた
彼をいちばん理解しないのは 家族たち
「どうしてこんなことが」と ことあるごとに
そうくり返す 彼はいたたまれなくなる

居る場所のない彼は 駅のベンチで
時を過ごすようになる ぼんやりと
ときには列車に乗り 環状線をぐるぐると
そんな彼を 仲間のように思い始める子どもたちがいる
やさしい人だと感じ 話しかける子までがいる

家族からも当然のように
不要なものと扱われた誰かに
親しみを感じる そんな
切羽詰まった気持ちにさせられた
子どもたちがいる

身の置き所なく
途方にくれているだけの彼に
「おにいさんもいばしょがないの?」
「あたしもいるばしょがないの」
そんなふうに話しかける子らがいる
だから、彼は返事をする

ただ 自分に心を寄せてくれる
そんな相手のことばに耳を傾けていたいだけだ
が 世間様にはそれを問題視する良識も存在して

「おかしな人が 駅構内や、車両にいます」
鼠は どちらも追いやられる

善意からの報告 正義の意思のネット投稿
彼も子らもまた 居られる場所を失くした
清潔に見える街から いのちが追いやられていく

祭が始まろうとしている
祭が始まろうとしている

二〇一八年 八月 二十日
二〇二五年 五月 七日修正



   五 祭の始まり(3)


町の片隅に 体を引き裂かれたことのある女がいた
男たちのちょっとした仕草にも怯え
婚約者が衣服を直す ちょっとした仕草にも怯え
悲鳴を上げるようになった
自分でも抑えようのない そんな感覚であった

「そんなことは忘れてしまえ」
「なかったことにすれば良いだろう」
と、言葉が浴びせられる
その言葉に従えば 楽になれるのか
と 言いなりになろうとしても
自分が踏みにじられた苦痛の記憶は
到底ないがしろに出来るものでもなく
その苦しさに耐えかねて

毎日の生活を送る その中で
幾つものトラブルを起こして
耐えられないものは耐えられず
諍いを起こすことが自分の人生だと
自分を放棄し 諦めて
けれどやはり自分の人生であってほしいと

それを非難する良識 被害者の彼女を見捨てた親戚の群
嘘だろっと思う 今の時代に なんて愚劣な

けれど彼女は 苦しめられる
客観的な意見とやらに
体を引き裂かれたことを 自分の落ち度となじられ
名目を守るだけの社会規範 ただ醜悪なだけの行為の群
そうではないことを理解してくれる誰かを
たった一人で捜し歩いても 見つけられず

けれど 彼女が疎んじていた両親が ある日
唐突に交通事故死して 保護者を失くしたまま
彼女は生活の糧を失った

現実問題として彼女は
自分の力で生活していくことは出来ず
ただ、社会にも不適合な厄介者とそしられ
自分を踏みにじられることが苦しいという
そのことだけを分かって欲しかっただけなのに

祭が始まろうとしている
祭が始まろうとしている

二〇一八年 八月 二十日
二〇二五年 五月 七日修正



   六 祭の始まり(4)


ああ ごめんなさい
昨晩は疲れていたので
夜のうちに ゴミ袋を出してしまいました
ご迷惑でしたら 本当に申し訳ないです

二度としませんから

だから 申し訳ありませんと
二度といたしませんから
ごめんなさい 今日ももう家を出ないと

はい ご迷惑をおかけしたことは
心からお詫びします

仕事から帰ったら きちんとお話をお聞きしますから
今はどうか 勘弁してください
やっと見つけた仕事なんです
ゴミを 前の晩に出したことは本当にすみません
ご迷惑をおかけしたことを反省しています

え? あのゴミ ゴミ置き場からそちらで回収した?
だから 引き取れと? 同じ間取りなの分かっていますよね?
間違えたことをしたから引き取れと
謝ったから間違いを認めたのだろうと

あの 話がややこしくなってしまったのですが
今 この話をしないとならないですか?
急いで仕事に行きたいんです 毎日忙しくて

どこまで人の時間を奪うんだよ この爺ぃ!
ぶち殺されてぇのか? ふざけんじゃねぇよ
おめぇがヒマだからって それに付き合わされるのは
たまったもんじゃねぇんだ 自分を殺して働かないと
生きていかれないなんて知らねぇんだろ
バブルで夢見たうたかた野郎 死ね
お前ら その後の人間の人生破壊して
甘い夢を見ているんじゃないよ
お前ら 死ね

あぁ 言ったった
厭だ 自分で自分が厭だ
解放されたけれど 足が重い
言いたくないことを口にした気分
自分で自分が嫌いになる
そうではない自分がどこかにいるのかと
探し始める

鼠はにんげんになろうとしている

祭が始まろうとしている
祭が始まろうとしている

二〇一八年 八月 二十一日



   七 祭の始まり(5)


恥ずかしいと思ったことはない
これはあたしの闘いなんだ
それも 誰にも頼らずに
たった一人でやり遂げなければいけない

生きるためにしていることを
貶めるあなた達に向ける言葉なんて
一言もない 拒否するしか
自分を守る方法はない それでも
道徳的な正しさや法律的な論拠に頼る
あなた達に向けて 伝わらなくても
言っておきたいことがある

あたしは自分を恥じない
あなた達に理解されなくても
今あたしのしていることは
あたしが生きていくための闘いなんだ
あたしが誇りをもって生きたことを
我が子に伝えるために けして自分を恥じない

大切な子に 引け目を感じさせたりしない
そして あたしのしていることは
あたしが受けていたことのひどさを
誰にも理解されなかった結果 その痛みなど
絶対に言い訳にしたくない

良識であたしを貶める人間は
いつかその良識にがんじがらめになるが良い
世間一般の目とやらで あたしを蔑む人間は
いつかその世間一般の目が自分を嘲笑う経験をすれば良い

祭が始まろうとしている
祭が始まろうとしている

二〇一八年 八月 二十一日



   八 祭の始まり(6)


なんであんな連中が保護されて
そうじゃない俺たちがないがしろに
毎日の生活だけでも苦しい
ほんのわずかでも救われたい

青白い水が街に満たされていく
誰もが意識しない悪意が
道を覆っていく 息をつまらせる
誰もが誰かを許せなくなっていく

祭は不吉な予兆 血祭りの始まり
大逆の棺が並べられていく
無慈悲な声に数え上げられながら
無雑作に畑から引き抜かれた大根のように
乱雑に並べられていく

屠すべきものは屍を吊るせ
遺体を辱めよ その生命を貶めよ
その無機質な名簿を媒体に掲載せよ

ああした連中だから処理されて当然であった
語られるのは勝者の論理 排除の思想

声高に罵った人々が
突然 居場所を失う
居場所を失っていく
世間の声は気まぐれ
誰かを排除すれば自分がどこかに
居られると思っていた連中が 次には

なんであんな連中がと
声を上げた連中が 瞬く間に
非難されるようになり
まるで 居てはならないもののように
扱われ 切り捨てられていく

街に不寛容の嵐が吹き荒れ始める
急ごしらえの捨て看板は からっ風に
弾き飛ばされていく

二〇一八年 八月 二十四日
二〇二五年 五月 八日修正



   九 半島まで


祭が始まろうとしている
祭が始まろうとしている
その祭がどんなものか
誰も知らない
その祭が何故始まるのか
誰も知らない

半島には四季を問わず
花が咲き乱れている
花たちは空疎に美しい
ただ咲き誇り
その虚栄心を満たしている

半島には落下傘も降らず
ましてや蒲公英の綿毛が降ることもない
青白い水は管理され 適切な分量が
家々の水道の蛇口から満たされる
不衛生なものを許さない消毒薬の匂いが
半島に住む人間には心地良い
毎日の衛生が保障されているのだと
感謝の言葉を唱和する

にんげんになりたいと思った鼠の群は
半島へと向かって 血まみれになり疾走した
そこでは自分を にんげんにしてくれる
何かがあるのではないかと思って

半島は清潔な場所であった
いたたまれずに逃げ込んだモノの心など
理解しようとも思わなかった
半島のシステムの中では 鼠は最早
モノ でしかなかった 鼠でさえなく

半島の人間たちは何の悪意もなく
モノを処分する 廃棄する 切り捨てる
自分たちを脅かす存在として

鼠の群はただ にんげんになろうとしていた
自分を人として認めてくれる相手
自分が人として認められる相手
そうした社会の中で
大切な何かが踏みにじられていく

半島には 風に吹きちぎられた
花びらばかりが ただ舞い乱れる
それは、五色の虹のように街を縁どる
青白い水が 街を清浄に洗浄していく
排除されていく モノ ども

半島まで疾走してきた群が
そこで行く末を阻まれる

「お前の存在に価値など無い」という
呪いの言葉をかけられる
善意、福祉、救済、という名目のもとに
にんげんになろう という意志を踏みにじられる

二〇二〇年 五月 八日



   十 半島で


かつて鼠たちはにんげんになろうとしていた
二本の後足で立ち上がろうとしていた
しかし今 鼠は人間であることを夢見ない
人間とはなんなのだろうと考え始めている

言葉遊びではなく
ひとでなし という言い方が
鼠の心を束縛する ひとでない人が
余りにも多すぎる もう辟易した

鼠の群は行き場を失くしたまま
それでもどこかに行こうとしている
行き場のない半島からどこかへ

半島はもう耐えられない 抱えきれない
それだけの生命を搭載したまま苦笑する
行き場のないもの達を死によって解放しようとする

二〇一八年 八月 二十五日



   十一 半島から(2)


鼠の群が海へと向かう それはけして
死を期待したことではない ただ
自分が生きることを許された場所を探すため
人間ではない 鼠の群が
もうどこにも生きていられる場所はないと
半島から海へと向かう 波間に身を投じる

鼠たちの背中が海面を覆う
水面の動きと一体となり大きく上下する
海面はまるで灰色の毛皮のよう
鼠の塊が海と一体化する
海は鼠の意思となる

脱出の為に海を割る必要などさらさらにない
水は鼠たちを導いていく 半島から
新しい大地へと橋渡しをしようとしている
青白い水が消えていく
落下傘の雨の吹き荒れた街から
雨の痕跡も消されていく
何ごともなかったのだと 言い含められる
人であったものが活力を失い
人ではなかった鼠が もう人になど希望も持たず
海へと向かっていく 海の時代が訪れる
鼠たちは大きな意思によって
海の時代へと導かれる

二〇一八年 八月 二十六日




   PART 4 海の時代へと 完結



   結詩


海が覆われていく 数多くの魂に
顧みられないもの 見捨てられたもの
踏みにじられたもの 嘲笑われたもの
人でも鼠ですらもない ものとして
ないがしろにされてきたものの群が

海を覆い尽くしていく 陸の人間は気が付かない
海はもう 抱えきれないものを受け入れはしない

鼠たちの魂に呼応し海は陸を拒む 嫌悪する
けれど 陸の人間は気が付かないまま
安穏とした生活を続けていく 何もかも海に流し
それで無事に済むと信じ込んでいるのだけれど
もうその根拠は揺らぎ始めている 足もとが危ういのに
人間どもはまだ 人間らしい生活を続けていけると
そう信じようとしている

海を乗り切ることが出来なかった鼠の群は
死体となって浜辺に打ち上げられていく
海には生命が満ち溢れているというのに
陸には死の気配を感じさせる風が吹きつける
陸は既に 死の香りに満たされ始めている

それでも、生き延びようと
波頭を超えていこうとする
そんな鼠もまた 確かに
存在している まだ
にんげんであろうとする
そんな意志が それでも
この世界には在り続ける

二〇一八年 八月 二十六日
二〇二五年 五月 七日修正



* 以上により、本作品は完結する
* 本作品を執筆するに先立ち、鈴木大介氏の著作を何冊か読んだ。現在の未成年者の置かれた状況に関して教えられる部分が多く、影響を受けた。ただし、内容の剽窃等は行っていない。
* 本作品における「半島」という比喩は、T-theater第0回公演「地球人記録」の第三部(共同主催者である大村浩一氏の手になる)「半島の時代」にインスパイアされたものであることを明記しておく。この「地球人記録」(ブラッドベリィの著作の日本語題名のパロディである)においては、人間の生きてきた時代を、「みどりの時代」、「鉛の時代」、「半島の時代」とする三部構成で描いていた。僕が提案した「みどりの時代」、「鉛の時代」に対して、さらに行先のない時代のイメージとして、「半島の時代」を提案してくれた大村氏に謝辞を明記しておく。また、本文中でくり返される「鼠」のイメージは、(最近では事実と反するとも言われている)レミングの群の暴走を念頭に置いて描かれている。
* 本作品中、T-theater第三回公演において朗読された奥主による「おいわい」の原稿を底本とした部分があることも明記しておく。(「おいわい」は別作品として第三詩集「白くてやわらかいもの.をつくる工場」に収録。) 街に降りそそぐ落下傘や、青白い水のイメージは、この作品に由来する。
* 作品を構成する個々の部分の執筆年月日、大きな修正年月日については記載を入れた。「抒情詩の惑星」への掲載を前に、2025年3月から4月にかけて、本文と脚注の双方に適宜修正を行った。漢字の閉じ開きや、改行位置の修正といった細かい変更に関しては、行わなかった。ただ、PART 4を中心に、大幅な加筆訂正を行った部分については、修正した日付を記した。





奥主榮