「わが地名論 第8回 「朝鮮人」に込められた意味」平居謙

2025年08月06日

「わが地名論」連載にあたって
詩の中に地名を書くこと。その意味を探ること。これは僕自身の詩集に関わりながら展開する「わが地名論」。この連載を通して〈地名とは何か〉〈詩とは何か〉を考えてゆく。



今回は、第1詩集『行け行けタクティクス』(1990)所載「運ゆ省の予感」の中にある〈朝鮮〉の言葉について考えてみます。これははじめ「陽」という同人雑誌のために書きました。「陽」は詩人の福中都生子が主宰していたものです。僕が母校・高槻高校で非常勤講師をしていた時、同校の図書館に刑部あき子さんという詩の書き手が司書としておられました。彼女は「陽」の同人で、彼女に誘われてそれに参加したのでした。



「陽」は社会的な詩が多く、しかし多くは駄作でした。社会について詩を書くのはいいけれど、何の技術もなく素朴に書かれている。僕はそれらをあまり好きになれませんでした。そのクセ、丸2年間、同人誌が発行された機会にもたれる合評会には皆勤で、計8回出席しました。自分なりの社会詩を書こうとしたフシがあります。以下に「運ゆ省の予感」を挙げてみます。



     運ゆ省の予感

 背中に葬列を限りなく結わい付けて今日も
 僕は港への道をひた走った
 ラブホテルが相も変わらぬ光節の雨を降らせている
 運ゆ省はすべてを前もって予感し
 すべてのすべてに手際よい指示を与えている
 締まりすぎる粗悪品のブラジャーを
 ちろちろとめくりすてて
 僕は魚であるかの様に
 意識的な錯覚を僕に強いた
 タプタプの水音は神格の眠りを妨げることもしない
 輸出用の TV sets に少女の乳房が絡んでいる

 魚船の警笛がきこえる
 何処へ向かってないているのか
 硝煙を手づかみにして両のポケットにつめこんだ僕は
 民族の湾岸におびえている
 これじゃあまるでモドキちゃないか
  いくら走っ ても
 未来君の乗った外輪船においつけもしない
  
 わたくしはあいよくのTV set のソケットを電話線でなでようとした
 その刹那!!!!

 自動電話のその向こう側に
 架空の存在としての朝鮮人労働者の悲しみの影がうつる
 亜細亜の片田舎にあらゆる生命線が明滅を続けている
 「ぼくはいまも ここにいます」
 やり場のない怒りのポーズから
 今も脱出できない悲しみの声に
 痛みに充ちた少女のよがる声が重なってゆく
 TV が売れるたびに一人の処女がうばわれてゆく
 僕は港街の角を急ぎった
                   (全文)



ここには〈架空の存在としての朝鮮人労働者の悲しみの影がうつる〉という詩句があります。自分の中でも唐突な気がしましたが、それはそのころよく京大西部講堂前のテント演劇で観に行った桜井大造率いる「風の旅団」の舞台に、ハングル文字が登場するのに刺激されてこのように書いたのであったかもしれません。ある朗読会でこの詩を絶叫的に朗読した際、「BRACKT」の広瀬依子さんから〈桜井大造みたいでカッコよかったで~〉と言われたのは、我が意を得たりという感じでした。



僕としては社会を意識したつもりでしたが、随分皮相的に映ったのでしょう。〈朝鮮人労働者の苦しみ〉は〈架空の存在ではなく、現実なんだ〉という強い反駁の意見を合評会で貰った覚えがあります。初出時だったか詩集収載のものに対してであったかはっきりしませんが。僕にとっては、架空の存在、と書くことは最低限の誠意でした。その問題が歴史的に解決のつかないままに残されているということは知っていても、それに対して面と向かって立ち入っていない以上、相対的にその問題は〈架空〉でしかありませんでした。今考えれば架空であるのは僕自身だったのかもしれません。〈ぼくは いまも ここにいます〉という言葉は、行き違った恋人に向けて書いた言葉ですが、それは作品の中では社会問題に翻弄されて立ちすくむ語り手の言葉として書いています。しかし、朝鮮人問題に関して踏み込めないような自分であっても、エロティックなTV番組を作るために多くの女性たちの純情が汚されてゆくことへの漠然とした怒りは真実の気持ちでした。ちなみに最初この部分は〈ぽくは いまも ここにいます〉と〈ぽ〉の字を使っていました。しかし出版社の土岡忍さんは「これは〈ぼ〉にしたほうがいいですね」とアドバイスをくださいました。本意でなく差別的な表現を使うことになってしまうところだったと感謝しています。



次にこの「運ゆ省の予感」の次に出てくる「妖液」という作品のセクション(2)を引用しておきます。先述の〈朝鮮人〉がここにも出てきます。

     (2)
 力道山が朝鮮人であったというウワサを耳にして「僕ちゃん」は世の中が嫌になった。事実とは何でしょうか
 サバクタニ サタンが街を流動していた 妖液を「僕ちゃん」のもとに!

前後の脈絡はここでは抜きにして、力道山のことについて述べておきます。僕はリアルタイムで力道山の映像を見たことはありませんでしたが、詩を書き始めたころには、街頭TVに群がった人々のことや、アメリカに敗れた戦後日本精神の救世主的役割を力道山が担ったことはすでに知っていました。小さな'日本人'が大きな外人レスラーを空手チョップ一つでバッタバッタとなぎ倒すのだから、爽快以外の何物でもありません。ところが日本を救ったその力道山が、日本が寄ってたかって苛め抜いた朝鮮人であったことを知った時には少なからず驚きました。この事実をというより、何とも言えない捻じれた世界の皮肉について。この詩の中では〈世の中が嫌になった〉と書いていますが、何だか日本という国の浅はかさのようなものを強く感じたのでした。この詩の中の〈僕ちゃん〉というのは、僕自身のことではなく、架空の存在の人物です。少年のころ「ぼくらマガジン」という漫画雑誌で読んだ「ぼくちゃんの戦場」がどこか頭の片隅にあったのかもしれません。



その後僕は「陽」から次第に遠ざかりました。はっきりと退会という形をとったわけではありませんでしたし、その後も時折、福中と顔を合わせるようなこともありました。お名前通りふくよかな笑顔で「お元気ですか?」と声を掛けてくださったご様子を思い浮かべると、そのまま同人として活動を続けてもよかったかもしれないと思わないでもない。一度東大阪のご自宅に伺い、お話を聞かせていただいたことがありました。もっと詳しく戦争や朝鮮についてお尋ねしていれば、生々しい体験などを知ることができたかもしれません。福中は朝鮮で生まれた女性でした。





平居謙