「小説ダイエット」つつみ
ダイエットというものは、だいたい短期間で挫折する。これはもう、人生で何度も確認してきた事実である。ウォーキング→2週間。糖質制限→1週間。縄跳び→3日。(縄跳びはむしろトラウマ)
そんな私が今回始めたのは、「小説ダイエット」である。これはどういうものかというと、お菓子の代わりに小説を読むことで、脳をごまかす作戦だ。人間は快楽を求める生き物だから、甘いものの代わりにドーパミンを出せばいいのではないか、という、わりと雑な発想から生まれた。
そして現在、29日目。
体重はというと
59.8kg → 57.6kg(2.2kg減)
自分で言うのもなんだが、これはちょっとした事件である。しかも運動はしていない。やっていることといえば、洗濯、料理、掃除、祖母の介護。つまり、いつも通りの生活だ。
違うのはただひとつ。やたら本を読んでいる。最初は正直、しんどかった。ページを開いても、「これ、いつ面白くなるの?」みたいな顔で読んでいた。ところがある日、「あれ、ちょっと面白いかも」と思った瞬間があった。そこからである。
気づいたら、本屋に10回行っていた。しかも1回につき2時間立ち読みしている。もはやこれはダイエットではなく、本屋への通勤である。
それにしても、最近の小説はやたらと会話や情報量が多い。小説というより「情報誌」のようだ。「読んでいる」というより、「受信している」という感覚になる。それでも世間ではよく売れている。ああ、これが時代の流れなのだと、新たな発見でもあった。
この1ヶ月で読んだのは、GOAT(小学館)。読み終えるのに思いのほか時間がかかったが、若い人たちには入りやすい内容なのだろうと思う。最新号(Winter 2026)には、目黒蓮やyama、池田エライザも登場していて、うちの子どもたちも、つい手に取っていた。
あとは、過去に読んだものの見返しで、空飛ぶ広報室、容疑者Xの献身、ホリーガーデン、白いしるし、キッチン、TUGUMI、氷点、塩狩峠、ふたり、ぼくが電話をかけている場所
そして現在、1Q84(村上春樹)に挑戦中。ただしこちらの小説は長編小説で、6冊のうちの1冊をやっと読み終わったところである。しかし、おもしろいので一度読み始めるとなかなか止まらない。
面白いのは、体重以外の変化である。
・外に出るようになった
・服を買うようになった
・家族とよくしゃべるようになった
・スマホゲームをあまりしなくなった
・人の話が妙に面白く感じる
ここまでくると、
「本ってすごいな」
というより、
「今までの私は何をしていたんだ」
という気持ちになる。
なぜ私は、お菓子を食べなくてもよくなったのか。これについては、自分でも不思議でならない。前までは、
「ちょっと疲れたな」→チョコ
「なんかヒマだな」→クッキー
「イライラするな」→ポテチ
という、たいへん分かりやすい人生を送っていた。もはや感情=お菓子である。ところが今は違う。
「ちょっと疲れたな」→続きを読む
「なんかヒマだな」→続きを読む
「イライラするな」→続きを読む
全部、小説に吸収されている。
これはいったいどういうことなのか。考えてみた結果、たぶんこういうことだと思う。私は今まで、「暇」を食べていたのではないか。
お腹が空いているわけではないのに、なんとなく口がさみしくて食べる。その正体は、空腹ではなく、退屈だった。
ところが小説は、その退屈をきれいに埋めてくる。しかも、お菓子より長く効く。チョコは5分で終わるが、小説は2時間持つ。コスパがいい。それからもうひとつある。小説を読んでいると、人の人生を勝手に体験することになる。悲しい人が出てくれば、ちょっと悲しくなるし、恋をしている人がいれば、なんだか自分もドキドキする。
つまり、感情が忙しい。これがどうやら重要らしい。お菓子を食べるときというのは、だいたい感情がヒマなときである。
ところが小説を読んでいると、ヒマになるスキがない。次はどうなるのか気になって、手がポテチに伸びる前に、ページがめくられている。さらに言うと、ちょっとだけ自分がマシになる。
これは気のせいかもしれないが、本を読んだあとというのは、なんとなくちゃんとした人間になった気がする。その状態でポテチを一袋食べるのは、少しだけ申し訳ない。ほんの少しだけ、理性が働く。(ほんの少しだが)
ただし問題もある。本が面白すぎると、ごはんも食べるのを忘れる。これはこれで、別の意味で危険である。人間は、チョコを食べなくても生きていけるが、ごはんは食べないといけない。そこだけは、気をつけたいと思う。
……と思いながら、今日も私は本を開く。お腹が空く前に、続きが気になるからである。
