Re「サイファー」葛西 馬野ミキ
まだスマートフォンやインターネットがなかった頃
多分俺は二十歳ちょい
葛西はおない年だった
東中野の自分のアパートには当時、新宿の路上の歌歌いや
行き場がなく新宿をうろうろしていた奴らのちょっとした溜まり場になってた
あまりにも溜まり過ぎて落ち着いて寝れない為
俺はブロン錠を胃の中に放り込み、夏なんかは公園のベンチで寝てたりした
その東中野の部屋の中に葛西もいた
そしてこの頃はまだまともな精神状態を保っていた
俺たちは
夜になるとコマ前(現:歌舞伎町の東横前広場)にでかけ、葛西のサックスと俺はスキャットで合わせ現金収入を得
一般的な仕事をすることなく、生活をしていた
俺と新宿で分かれ、葛西はBlueNoteに寄ることもあった
東中野の愉快な仲間たちは、古紙回収の日に出された古本をかき集め一日に万単位で稼いだり
おのおのが新宿の路上で歌って日銭を得たり
廃棄の食いものを漁ったり
部屋の電気が止まれば蝋燭で暮らしたり、だが配線をつなぎ直し電気を復活させたり
つまり、でたらめな生活を送っていた
ほどなく葛西は、かなりインディーズでいいところまで行ったバンドにサックスとして加入
そのバンドの曲はカラオケにも一曲だけ入っている
時を同じく俺は一度田舎へ帰り、半ひきこもりの生活を送った
いまでも葛西のサックスを評価するミュージシャンを俺知っている とびきりのプレイヤーであったと
四度目の上京を果し、数年ぶりに再会した葛西は
統合失調症の診断を受け
東京で有名な精神病院で電気治療を受けたのだとか
妻子と引き放され連絡がとれず俺が家族をネットを使って検索したことも有った
またバンド内でのいじめもあったと聞いた
この頃は一番対話がままならず、葛西は下北沢の路上で兎と暮らしていた
それから高円寺に行ったと思う
生活保護で部屋を借りていた
拾ったものを並べてロータリーの広場で売ってたな
「売れるのか?」と聞いたら
「たまに売れる」と言った
近所の作業所兼カフェでウエイターをしていた
ただただ時間の経過を待つような、壁時計の秒針が聴こえてくるような、生きた人間が一人もいないようなカフェ
一間の部屋には兎の糞が散乱していた
押し入れにはよくわからない髪も髭もぼうぼうおじさんが二人住んでいた
葛西はやさしいからな
家がない人を招いたのだろう
兎には名前があった
フランク
トム・ウェイツの曲からとったのだと
それからその兎の糞だらけの部屋で伝説的なテーブルトークの基本セットを俺に見せてくれ
いつかこれをプレイしたいと言った。
いま葛西は実家の青森で病気の母と暮らしている
そして時々人のいない畑に出てサックスを吹くのだそうだ。