「わが地名論 第4回 大学生にとっての大学の持つ意味」平居謙

2025年04月03日

「わが地名論」連載にあたって
詩の中に地名を書くこと。その意味を探ること。これは僕自身の詩集に関わりながら展開する「わが地名論」。この連載を通して〈地名とは何か〉〈詩とは何か〉を考えてゆく。 


今回は、〈具体的地名〉から少し離れて語ることにします。今回これを書こうとして、はやりこの「わが地名論」を書き始めてそれなりの意義を感じています。そもそも、自分の作品に関して何か解説するというのは全く野暮なことです。野暮意外の何物でもない。しかしそんなことを分かり切っていながらなおかつやろうしたことの意義がやはり見て取れるのです。今回は作品中に現れる〈大学〉という言葉に注目してみました。



僕は京都教育大学の教育学部国文学科の出身です。京都市伏見区深草にあります。近くに藤森神社があり、のんびりした田舎の大学という風情でした。校舎はぼろぼろで新しい設備も特にないけれど、敷地だけは広く、歩兵第9連隊の駐屯所であったというのも頷けます。すぐ近くに京都国立病院があり、僕はそこで生まれました。大学の近くに名神高速道路が走っているところがありますが、すぐその近くにアパートがありました。母親は同病院の看護師でした。大学生になったころは宇治市に住んでいましたから、20分くらいかけて通学していましたが、自分の幼いころの家に戻っているような気持ちでその大学で学びました。大学はとても懐かしい場所に建っていたのでした。



習作期の詩集『時間の蜘蛛』(1985)の中に〈大学〉という言葉を探すと、3つほどあります。短い詩なので全部上げてみます。まずは「男とチャールストン Ⅲ」から。

      男とチャールストン Ⅲ
               大学からひとりで帰ると
               「孤独」と「たのしくって」

   このごろふとあるいているとチャールストンの影がうつる
   俺の足は上っていないのに影だけがおどっている

   おどろいてそれでも楽しくってふりむいてみるけど
   そこには何もいない

   学食ですするスープには自分の顔だけが見える
   目にはあいつのたばこもあの娘のひとみも
   ちゃーんとうつっているというのに

   問題の教授は講壇でチャールストンを踊り
   次の日腰がいたいからといって休講とどけを出す

   俺もくらがりでチャールストンを踊ってみるが
   てんでものにならない

   午後には夕日がしずむが夕子だけは眠っていて
   それを見ない

   やはりこだわってもう一度チャールストンを踊ってみる

   すべてを放出したいのになぜかくすくす笑いが
                   こだまする

   ふしぎに歩き出すとまたくすくす笑いがきこえる

   画面で女の子が笑う
   もちろんチャールストンをおどって

   帰ってからTVでそんな場面に出くわした僕は
   男のチャールストンは何もかも
   すべてを内包していたのだと知覚する      ('82.10.22~23)



大学から家に一人で帰る時の〈孤独〉とその〈楽しさ〉みたいにこの詩の副題に書いています。でも別に大学からいつも〈仲良しこよし〉で誰かと帰っていた訳でも何でもない。大学生になったら誰だってそんなことはしません。何故そんなことを書いたのか。「チャールストン」というタイトルに関って言えば、「五匹のこぶたとチャールストン」という曲が子供の頃流行っていました。僕が自宅から大学に通うのは、大学のその先にある将来に向かうという側面と同時に「2」に書いたように、自分自身が生まれ育った場所に日々向かうということでもある。(このことは全く当時意識しておらず、これを書いている今、ふと気づいたことに他なりませんが)この両面性が、この詩の中の〈大学〉にはあるのです。国文学科にいて、近代文学を学ぶことは〈人間の本質について考えること〉に他なりませんでした。それと並行して僕は個人的に〈出自と関わる場所に毎日直面する〉ことをしていたのです。その伝で言えば、大学から家へ戻ることは、〈自分の出自と別れて現在に戻ること〉つまりは〈自分の幼児性を消し去り現在へと戻ること〉に他なりませんでした。もちろん、そんなことは詩を読むどんな人にも伝わりようはないのです。



次に〈大学〉という言葉を見出すのは、「蠢動する Type2」です。〈Type2〉と、制作ナンバーを書いているのは、桑田佳祐がアルバム『タイニイ・バブルス』の中でタイトルソングに「Type-A」「Type-B」などとしているのに倣ったのでした。しかし「蠢動する Type1」はどこにも見当たりません。


      蠢動する Type2

   訣別だ 訣別だ と彼女の乳房を ひね
   りあげて 僕は笑う。彼女は大学であっ
   た。根がはえかけた太陽を、 むりやり
   根こそぎ引きだして、 たたき割っては
   豪放(たか)笑う。太陽もまた 大学であった。
   世界が橙色に輝いたとき、一片の坊主が
   中空をけたたましく走り抜ける。 そし
   て彼だけは何物であるのか、俺は未だ
   にわからなかった。      ('84)



「訣別だ 訣別だ」というのは、志賀直哉『暗夜行路』の中で時任健作が女の乳房に触れて「豊年だ! 豊年だ!」というのを下敷きにしたものです。この詩は僕にとって、関西の詩壇の人々との最初の合評会に出したという点で記念碑的な作品です。大阪の中之島公会堂の小さな会議室で行われていた「現代詩研究会」の案内を、クラスメイトの大村青狼が新聞の催事欄でみつけ、「お前以外にも詩をかいているばかがいるんやー、行ってこいや-」と勧めてくれたからでした。このことは、本連載の前身にあたる「晴天の詩学」にも少し書きましたが、その時に合評会に出したのがこの詩だったのです。そこには冨上芳秀や原冬木子がいて、確か冨上が「乳房をひねり上げるなんてことを女の人にしたら張り倒されるでぇ」というようなことを言っていたのを覚えています。もちろん詩を書いた時には、大阪の合評会へ(僕にとっては京都の象徴にほかならない)〈大学〉についての詩を出すのだ、なんて思いもよらないことでしたし、その会に行った当日もそんなことは何も考えませんでした。しかし、〈京都〉を背負ったこの詩が大阪に遠征したことは確かなことでした。その日合評にゆくため地下鉄淀屋橋駅から地上に出た時、頭がくらくらしたことを覚えています。大阪のビルディングが高く聳えていたのですね。何しろ京都は建物が低いからそう感じたのでしょう。まだまだ行動範囲の狭い田舎の大学生なのでした。



自分自身のことに関する時、〈大学〉と書くと京都のことになります。しかし、友人にとっての大学について触れる時、それはたとえ同じ大学のクラスメイトであったとしてもそこには〈京都〉という意味合いが入り込んでくる余地はありません。次の「逝春」という詩は、あるクラスメイトが〈高校の時に自転車で転倒して唇を縫ったが、親が「そんなあなたのくちびるが好きという人が出てくるよ」と慰めてくれた〉みたいな話を聞かせてくれたのを、ほぼそのままに書いただけの詩です。後半のに出てくる〈大学〉には、時期的な意味合いこそあれ、地名としての(京都の)含みは感じられません。もっともこれも読者にとっては、あまり意味のある相違ではないでしょう。


      逝春

   さかだちした
   ぐるっとまわった
   自転車でくちびる切った高校のある日
  
   そんなくちびるが
   いいといってくれる人も
   でてくると
   君がいったころは

   赤が顔で雲が白

   バイクでひっくり返った大学の空    ('85)



この〈大学〉は大学生の頃の時期、という言葉に置き換えるのが適切です。空間的な意味合いよりも時間的な〈高校生の時期〉との対比としてこの詩のなかで流れを担っているのです。



地名とは。京都とは。今回は、詩の中に出てくる〈大学〉が、京都という意味を負っている場合と、そうでない場合について見てみました。しかしそれは、作者である僕自身にしか分からないことであって、それについて語ることに何の意味があるのでしょうか。僕は、連載4、つまり今回の原稿を書くまでの間、ずっとそのような疑問を持ってきました。しかし、今書いたことは、作者が書かなければ決して見えないことであって、どんな読者、批評家にも不可能なことなのです。また僕自身にとっても、自分の作品に関してのみ、知り得る事実であり、どれだけ詳しく他の詩人について調べたとしても踏み込めない領域なのです。



そんなことに気が付いた今、僕はようやくこの連載を続けてゆける確信を得ました。僕だけにしか見えない、僕の詩の中の地名に関わる謎と意味について。





平居謙