「叙事詩「海の時代へと」(連載第二回)」奥主榮

2025年05月05日

   PART 2 トシキ


   一 トシキ


幼かった時分から
何度、父親に叩きつけられたか
それが トシキの人生の第一歩
成長するにつれ
制圧できなくなる息子を持て余し
ますます父親は荒ぶれて
やがて家を飛び出し そうして
トシキは母に疎まれるようになった

お前さえいなければ
お前さえいなければ と
母は何度も言葉にした

母は 自分のいる場所を守ろうと
ただそれだけの為に必死だった
トシキの存在は 否定された

疎まれ そうして
ないことにされた思い
自分の存在がまるで
蹴転ばされるような気持ち
それが群の中の鼠の また別の一匹
トシキのスタートラインであった

一見 弱いものには見えない
けれど全身の針で誰も傷つけてまわる
ハリネズミのような そんな臆病な姿が
虚飾を剥ぎ取ったトシキの姿であった
(いや 虚飾と虚勢こそが
 トシキの全てであったのか?)

守りたいものを見つけられないまま
ただ憎悪に駆られて 何かをコワし続ける
トシキには それしかできなかった
そうしてトシキは、自分の
毎日の生活をコワした

二〇一八年 八月 八日 



   二 殺戮(2)


ただ いきるために 家を飛び出す
望んでなどいない
けれども それしかない
お前さえいなければ と
たった一言で 自分を殺される家
全存在をなかったものとされ
精神をズタボロにされる家

何よりも憎かったのは
近所の連中 諍いの声が絶えない
トシキの家を黙殺し(大人の対応?)
噂話には喰いつくくせに
トシキそのものには関わろうとしない
ただ 面倒なもののように扱う
まるでカラスに喰い散らかされた生ごみ
そんなふうに扱う

  知っているかい?
  カラスが生ごみを散乱させる
  迷惑だからそれを防ごうと
  カラスネットをごみ収集所に設置した
  カラスは 狩りをする鳥だったんだ
  ハトを襲い 喰うようになった
  路上に散乱するハトの断片
  ニンゲンは それを嫌悪する
  忌わしいものとして処理する
  カラスが食事にありつけたことを
  祝福しようとしない

一匹の鼠が目から憤怒を溢れさせる
湛えられた涙の存在を忘れ
抑えることができないいきどおりを
零れ落としていく それは
もろく美しい結晶のよう
弱者をいたぶる他人は
容赦なく悪意もなく それを
踏みにじり 砕く

家という場所を失くしたトシキは
自分で自分を守らねばならない
ただ、それだけの行為の繰り返しの中
出会うもののことごとくが、
トシキの憎悪を加速する

寝る場所がなくて潜り込んだ非常階段で
あれこれ言ってきたヤツを殴りつけ
そのビルから出てきた連中にボコボコにされた
梅雨どきであった 児童公園の便所やら
バスターミナルの片隅
公民館の出入り口 その都度通報される
必死になって事情を話す トシキ
その都度 事情だけ聴かれ
それ以上のことはない
おまえさえいなければ と
そんな言葉が頭の中に響きわたる

追いつめられた人間への
言葉による殺戮が始まる
生きのびるためには
相手を倒さなければならない
トシキが人生の最初で学んだ
そんな処世訓が頭の中に蘇る

二〇二〇年 四月 二五日



   三 いきる


いきるためには くわないとならない
いきる場所のない人間は
喰うものが欲しかった
一人のかけがえのない人間が
鼠へと貶められた世界で いきていく
いきをすることさえ重苦しくおもい

そうして思い出す 家ばかりではない
自分を追いたてたのは
近所の連中も であったと

あるとき、しゃれた包装のお菓子を片手に
家路を急いでいる若い男を見かけた
見た瞬間に 無性に腹が立ってきた
人気のない路地であった
いきなり男の手にしている菓子を
蹴り飛ばした 一瞬で顔色の変わった相手を
そんな相手を見たとき、どうして
どうしてこんなことをしたのかと後悔した
けれど、その相手が慌てて
小銭入れを差し出すのを見たときに
もう、自分を抑えられなくなっていた

父親以外の人間を蹴り飛ばしたくなかった
いや、あれほど憎んでいた父にも
暴力の実力行使などできないでいた
ただ、いつも 自分を守ろうとしていただけ
けれど、膝を蹴り、転ばせた相手が
「なんで僕がこんな目に」 と叫ぶのを耳にして
ああ、こいつらは自分とは違う人種なのだと実感した

「なんで僕がこんな目に」
そう、叫びたいのは 自分の方だと

なんで僕がこんな目に という言葉を
トシキはいつも自分に封じてきた 哀しいことに
口にしてしまえば良かったのに けれど
そうした言葉を我慢して ずっと生きてきた
トシキの中に矯められていた憎悪が、その瞬間に
爆発した トシキは、もう我慢ができなかった

おそらくは かなりの重傷を負わせたことは自覚した
そうまでしてしまう自分自身に何より傷ついた
けれども、抑えることはできなかった
痛めつけた相手から札入れを奪い
菓子の入った袋を、何度も繰り返し
踏みにじり 自分がコワしたいものが何なのかも
自覚できないまま トシキは路上での生活を始めた

 二〇二〇年 四月 二五日



   四 なぜ?


いきるためにした行為 が けして許されない
そんなことはトシキには分かっていた
だから社会とやらは 自分を否定している
自分は否定され続けてきた
トシキの意識がそう叫んでいる

ただ いきるためにしたことが
許されないなら 自分はやっぱり
いきていてはならない存在なのかと
トシキは思う ひどい苦痛とともに

幸福そうに見えた近所の人たち
その人たちの事情など トシキにはどうでもよい
それぞれに、のっぴきならない背景があったかもしれない
けれども、トシキにはそれが見えない
なんだか幸福そうな連中、を憎悪する

暴力は、糧を得るためではなくなる
自分を見捨てた世界への報復へと成り果てる

老人に暴力をふるい 金銭を強奪した
あいつら何のために生きてるんだ と思う
子どもが留守番をしている家屋に押し入り 金目のものを漁った
お前は守られていて幸福だな と思う
深夜の無灯火自転車を倒し、食い物を奪った
こいつ、悪いことしているじゃねぇか と思う
歩きスマフォをしていた相手に難癖をつけて、金をたかった
たかってくれと言わんばかりの姿じゃないか

トシキの暴力は、いつも言い訳だらけ
言い訳だらけな分 自分を正当化する
そうした中で どうして自分がこんなことを
そうした感覚が麻痺していく

二〇二〇年 四月 二五日



   五 時代遅れの子守唄


街に落下傘の雨が降り注ぎ
時代遅れの連中は 路上にさ迷い出る
爆竹を鳴らし 通行人をおびやかし
精一杯の虚勢の中に 自分がいる場所があると
そう信じようとする

下水道から溢れ出した水は
どうしてだか汚泥にまみれておらず
青く透きとおり コバルトの色素のようだ
毒を含んでいるというのに
町の連中を魅了する

街に落下傘の雨が降り注ぐ
咲き乱れる花はまるで
滅びを讃えているよう
誰かが仕組んでいる この滅びの気配を
誰かが損なわれることで
他の誰かが栄える そんな世界を
何者かが仕組んでいる 世界の滅びのどさくさに
自分がどれだけ狡猾に振る舞えるかと

街に落下傘の雨が降り注ぐ
時代遅れの連中は 居場所を見つけようと
底知れぬ罠の壁に爪を立てて
追い込まれていく

二〇一八年 八月 九日



   六 ゆるし


自分がこの世界にいても良いのだと
そう思いたかったから ただそれだけで
トシキは世界に爪をたてた
どれだけ指先が血まみれになろうと
辛い感触を味わおうとも トシキは 世界に
関わろうとしていた この世界を構成する
その一人であろうと そうしていた

怯えた瞳に 暴力をふるった
弱いモノなどまるで価値のないもののように
唾を吐きかけた 踏みにじっていった

いきていたかったから

ただ漠然と生きている善良な人々には
関係もなかったろう トシキの怒りなど
しでかしたことは許されないこと
裁かれて当然なことではあるけれど
トシキを裁くことが 誰に出来るのであろう

二〇一八年 八月 九日



   七 穢れの街


居場所を失った連中が
誰かにたぶらかされる街
いいように使われまいと
牙を剥かないと食い殺される街

追い詰められた誰かが
耐えきれずに怒りを露わにすると
よってたかって責め立て
さらに凶暴に煽り立てていく街

他人を利用しようとする
卑しい連中ばかりが幅を利かせ
小さな鼠はどこまでも駆り立てられていく
ただ自分が安心していられる場所を
守りたかっただけなのに

鼠の群が居場所を失っていく
名前を奪われ 救いを求めた場所も追われ
自分を凶悪なものとして育てていく
それしか自分を守る術はないのだから

青白い水が街を満たしていく
透きとおった美しい液体が
街を腐臭で覆っていく 何もかも穢れさせる
街はまるで 穢れを好んで招いているようだ

二〇一八年 八月 十一日



   八 疑い


不良を自称する連中がうたを歌う
「ストリートに出よう そこには自由がある」と
歓声を浴びながら得意になって絶叫する
トシキには分からない
トシキはストリートから逃げ出したい

無頼を気取るマンガ家が人気を得る
「俺たち不良には不良の仁義ってものがあるんだ」
ちゃんちゃらおかしいと トシキは思う
そんな甘っちょろいものはなかった
そんなものがあれば自分はもう少し救われただろう

憎悪が満ちていく トシキの心の中に
世界は自分たちなんか相手にしていない
それはそうだろう トシキの体は
とてもいかつい 街を歩いていれば
すれ違う連中は身を避ける
トシキはそれを自覚している

居ることのできない家からストリートに逃れ
そこから抜けだそうとあがくほど
仁義のない世界に叩かれ続け そうして
何よりも正義と善意に追い立てられ
凶暴になることばかりが生きる術で

誰も信じることのできないトシキは
ユタカと出会ったときにも
ユタカを道具にしか思わなかった
ユタカは 自分と同じ目をしていると
そう思ったのに 信じることができなかった

二〇一八年 八月 十一日



   九 理解できない世界


ユタカとトシキ
出会わない方が良かった二人

ユタカは初めてトシキを見たとき
自分と同じ口調で話すやつだと直感した
ユタカが 糧を得たい男どもに
冷たい口調で話すと 連中は
余計に保護者面をしてみせた
したり顔に
どうせ 相手に伝えられることなどないから
ほくそ笑んで 演戯してやった
相手を満足させるために
トシキは、同じ口調で話す相手だと思った
けれども そうではなかった

トシキは初めてユタカを見たとき
思い出した 駅前広場の便所で一夜を明かし
洗面台の鏡で自分の顔を見たときのこと
鏡の向こうから、怯えたような顔で
こちらを見返していた二つの瞳
誰にも見せたくない弱み そんな双眸を
まるで操るかのように周囲に向ける少女
けれど そうしたことはどうでも良かった
食い詰めた人間に また出会え
どうにかすれば、また食いつなげると
そんなことしか頭には浮かばなかった

ユタカは 頼りなく漂着した海藻のようなもの
ただ そこにあるしかない
言われるがままにトシキの生活の糧となる
金を稼ぐために もう自分でも価値を
尊厳やら何やらを見い出せない肉体を
さらけ出そうと思う 嗤う 自分自身を
嘲笑する 自分から進んで
けれど、けして 自分から望んでではない

トシキには誰も見えていない
ただ直感で考え出す こいつは敵か?
でも、誰が味方かを判断する基準はない
頼るのは、「こいつは裏切らないか」だけだ
裏切らないユタカだと思いこんだ
「こいつ、人生を諦めきっている」
だから、ユタカを扱おうとしようとした
金を稼ぐ道具として 使い捨てても良いと
そう思っていた

ゆっくりと眠ることができる場所を トシキは
ユタカに、取りあえず提供してくれた
ユタカの中で さまざまな思いが膨れあがる
ユタカにはトシキが理解できない けれど
ユタカを、他のどんな連中よりもまともに
扱ってくれたトシキ ユタカは まだ
人間でいたい 鼠にはなりたくない
鼠の群が走り始めている 鼠の群が怒り始めている
何かに駆られ、走り始めたものがある

トシキはユタカを理解できない
ユタカはトシキを理解できない
相互に隔たれた二人が出会ってしまった
出会わなければよかった二人が
出会ってしまった

二〇二〇年 四月 二九日


PART 2 トシキ 完結





奥主榮