「詩とことば(10)」奥主榮

2022年09月26日

第一章 顰蹙をかうようであるが(9)

 第二話 脅迫者(其の五)

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 天皇は芸能(僕は詩歌や小説も含めた表現活動、映画や音楽や漫画等は全て「芸能」であるという認識である)の世界で、どのように描かれてきたのであろう。

 昔、ひゅーじょんぷろだくとという出版社から「COMIC BOX」という雑誌が刊行されていた。漫画評論の先駆的な雑誌である。昭和天皇崩御の折に、日本の漫画は天皇をどのように描いてきたかという依頼を呉智英という方に依頼した。呉は、日本の漫画は天皇を描いてこなかったと断言した。ファクトチェックを行わずに文章を掲載した編集側の校閲も杜撰だが、雑誌掲載の急ぎの原稿で嘘を書いた呉の罪は重い。これは、明確な誤認である。ちなみに、漫画家白土三平に敬意を抱いていると表明している呉は、白土の「消えゆく少女」という単行本が青林工藝舎から復刻された際に解説で、本文中にある「鹿島」を「鹿児島」の誤植であると指摘している。被爆した少女を主人公としたこの物語の冒頭、どう考えても「広島」が舞台としか思えず、旧字表記の「廣島」が「鹿島」と誤植されたとしか判断できない。呉の解説は、内容をろくに吟味せずに書かれた安直なものとしか理解できない。

 それはさておき、雑誌「COMIC BOX」の日本の漫画は天皇を描いてこなかったという呉の虚言が尾を引いて、未だに「日本の漫画は天皇を描いたことがない」という誤謬が語り継がれているようである。
 ただ、僕は子どもの頃に雑誌少年マガジンに連載されていたジョージ秋山の「ほらふきドンドン」に皇室をネタにした回があったのを覚えている。世間の不正に「喝」を飛ばしながら、与太話しかしない法師を主人公にしたこの作品の中で、皇室についての与太が連発される回があったのである。記憶がうろ覚えなのだが、当時の呼称のままに書いていくと、天皇が陛下と呼ばれるのは散歩の途中で屁をしたときに近くにいた人間が「屁ぇか」と口にしたことがきっかけであるといった他愛もない地口が連発される内容であった。ほかにも、皇太子殿下がトイレにいるときに美千子妃殿下が「交代してんか」と懇願したといったものもあったと記憶している。もう五十年以上前のことなので、曖昧な記憶であるが。ところで、古い日本のフォークソングに詳しい方ならお気づきであろうが、このネタは岡林信康の歌っていた「ヘライデ」のネタそのままである。岡林の三枚組ライブアルバム「狂い咲き」では皇室ネタに関する部分だけが抜粋して歌われているが、1969年のフォークキャンプでは、もっと長いヴァージョンが歌われている。皇室ネタだけではなく、当時のビールの値上げやアポロの月着陸についての庶民的な思いが歌いこまれている。少年マガジンに「ほらふきドンドン」が連載されたのは1969年から1970年にかけて。ジョージ秋山がネタを流用したのかどうかは分からない。ただ、「ほらふきドンドン」自体も面白い作品であったし、この回もタブーブレッキングな部分が笑いを誘った。日本の漫画が皇室を描かなかったというのは、全くの誤りなのである。(ただし、この回は単行本には収録されていない。また、ジョージ秋山には悪い癖があり、連載を進めていくうちに作品に入れ込み過ぎて、話が破綻してしまい、物語の後半部分を単行本化の際にカットしてしまうのである。後に完全版が刊行されたりすることもあるが、明らかに雑誌誌面からの粗いスキャンであり、原稿管理か雑誌社の原稿の扱いに問題があったのかもしれない。)

 閑話休題。
 天皇を、身近で当たり前の存在のように描いたのは水木しげるである。貸本版の「河童の三平」、後年リライトされた少年サンデー版の「河童の三平」。どちらにも昭和天皇裕仁が、窮地に陥った主人公の三平に声をかけてくれる通りすがりの登場人物として描かれている。裕仁によって苦境を脱した三平が、「天皇陛下バンザイ!」と叫ぶコマでこのエピソードはしめくくられる。また、短編として描かれた南方熊楠の伝記作品「快傑クマグス」でも、裕仁が描かれる。水木は昭和天皇の、自分に対して敬意を払いながら、気取ることなく飾らぬ姿で接した南方への思いを描く。
 ここまでの文脈で、僕は呉を低く評価したような書き方をしている。しかし、実際には僕は呉から大きな影響を受けている。例えば水木しげる作品の受けとめ方として、イデオロギーに囚われないフォークロアの作家であるという視点等である。僕は、自分に多大な影響を与えた方として、呉を認識している。けれど、そうした敬意を抱いていたからこそ、後に残念に受け止められる側面が見えてきたように思う。
 結局のところ、自分の才気に溺れた批評家なのかなといった印象をもっている。

 漫画作品ではほかに、かわぐちかいじの「血染めの紋章」も興味深い。この作品では、昭和天皇に関して、極めて悪意に満ちた描き方をしている。ここでは、2・26事件が描かれている。物語の骨子は、このようなものだ。現人神として君臨する偉大な方は、農村の窮状に耳を傾け、苦境にある臣民を救うと信じて、農村出身の下級兵卒たちと直接接していた青年将校たちが蹶起し、クーデターを起こす。苦境にあるものが、すめらみことの大御心によって救われることを信じたのである。
 かわぐちの描くこの物語の中で、最終的に登場人物達は天皇に裏切られと感じ、蹶起した将校達は裕仁への呪詛を吐きながら刑死していく。
 この作品は、思い込みと、それから予め設定した結末へと向けた予定調和みたいな作品であり、あまりにお粗末な内容である。かわぐち作品は、デビュー当時は「死風街」や「風狂えれじい」といった作品集のタイトルからも想像されるとおり、社会から忘れ去られたような人々の心情を描いていた。そして、時代がバブルへとさしかかる頃に「体制側の苦悩を描く」という売れる作品の描き方を発掘していく。そのきっかけは、「獅子の王国」という作品であったか。バブルの時代にも、その恩恵にあずかることのできない人間というのは存在した。僕は、バブルの頃も貧乏であった。そうした生活上の立場から、「体制内にいる人間の苦悩など、どうでも良かった人」というのもいたと思っている。この時期からかわぐちの作品は、「選ばれた人間には、低級な人間には計り知れない悩みがある」という鼻持ちならない内容に転化していく。
 かわぐち作品は、この後明確に劣化していく。見せかけだけの娯楽主義と、薄っぺらな内容で、読むに耐えない人気作を連発していく。

 漫画からは話題がぶれてしまうのだけれど、触れておきたいことが一つ。先に述べた、軍人と短歌にまつわる話である。
 天皇について描いた訳ではないが、2・26事件に深い関わりを持つ歌人が斉藤史である。陸軍軍人の家系に生まれた斉藤は、父を介した交流等の中で、2・26事件で刑死していく将校たちと、歌を通しての関わりを持っていた。(そうした中には、幼なじみもいた。)
 また、本稿の筆者奥主の祖父も、職業軍人であり、陸軍の将校であったが、歌人でもあった。軍関係者で短歌に関わった人は多かったようである。
 2・26事件については、祖父が生前語っていたことを母から聞かされたことがあるが、それはここには記さない。あくまでも公職にあった人間が、個人の感想として身内に漏らしたことに過ぎないからである。
 ただ、陸軍内部での勢力抗争の為に若く純粋な魂を犠牲にした方々に対しては、強い憤りを表していたということのみは書いておく。かわぐちの描く軽率な世界観とはほど遠い厳しい政治の世界がそこにはあるのだ。

 漫画の話に戻そう。
 一九七〇年代にデビューしたある人気作家の、長編代表作は実は非常に婉曲な描写であるが、天皇によって支えられた国家が崩壊していく姿を描いている。掲載誌を変えて、ようやく連載を完結させた作品であるが、おそらく数万コマを超える描写の中のたった一コマによって、日本の象徴が葬り去られる未来を暗示している。
 世の中には、正しい誤っているといった二元論でしか物事を判断しない人間も存在する。
 なので、その作家も作品も明記しない。長編作品の中で、非常にさりげなく価値観の崩壊が描かれている。(当然、天皇とは別の、もっと古くからこの国土に根付いた価値観が提示されているのであるが。)

 どれだけ何かを信奉する人間であろうと、その読解力に問題があれば、テロをくわだてるべき対象も特定できない。天皇という存在に基づく思い込みをあえてイデオロギーというのであれば、ある意味、情けないシロモノである。主観的な価値観によって左右される、実は主体性はないものなのである。


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 漫画から、話題を他の表現手段にシフトしてみよう。

 小説の世界では、大江健三郎の「セブンティーン」という作品がある。前回の原稿でも取り上げたが、この作品の続編は正式な単行本には現在は収められていない。テロを誘発しかねない内容であるとも判断されている可能性がある。発表された時期が近い「風流夢譚」により起こった嶋中事件などの影響もあるのかもしれない。後述するように、僕はある権威というものが絶対的な権威とされる状態を怖ろしいものだと思っている。「セブンティーン」とその続編は、どちらも思考停止に酔い痴れて、一人の人間が自分の価値観を絶対と錯誤する状態に陥っていく感覚を描いている。
 深沢とは全く異なるアプローチであるが、天皇という存在について正面から向かい合った作品である。続編がなかなか読めないことが残念である。(もっとも、作中に登場する「新東宝」というあだ名の登場人物について、僕は妻から「新東宝」というのは当時の人にどのようなイメージで語られていたのかと訊ねられて、返答に困ったことがある。新東宝という映画会社そのものは東宝の大きな労働争議の末に生まれた新会社であるが、紆余曲折の末に見世物的な際物映画=ただし瓢箪から駒の傑作も多い=の代名詞となるからである。大江の小説が、新東宝がどのような経営をしていたタイミングで描かれたかまでは、僕には判断できない。)

 しかし、やはり嶋中事件の効果による委縮というのはあったのであろうか。天皇を扱った小説はあまり描かれなくなる。
 「天皇ごっこ」(見沢知廉、新潮社)という作品については、この連載の次の回で触れたい。右翼の描いた問題作と言われているこの作品に関しては、多様な要素が含まれている。連載一回分を費やしたい。

 これまでに読んできた小説について、もう少し触れていこうか。

 例えば、赤坂真理の「東京プリズン」は、愚劣な作品に過ぎなかった。表現の世界でタブーとされている天皇制について描いた作品というふれこみで売り出されていたが。
 赤坂真理の書いたものを読んでいると、昔出版された「中央線の呪い」(三善理沙子)という本を思い出すのである。これは、本当にひどい一冊で、単なる思い付きの羅列を単行本一冊分書いていっただけだという、とんでもない本なのである。(ある時期までであれば、「学生の内輪ノリで書いたものは出版できません」と断られた。その程度の内容の本である。日本がバブルで頭が沸いてしまった後だからこそ出されたような本である。)
 赤坂作品には、三善の本と似たテイストがある。何か、書き手の中では書いている内容にもっともらしい裏付けがあるらしいが、読んでいる側にはそれが独りよがりなこじつけにしか思えないのである。
 内輪受けしかしないという観点から読むと、赤坂作品を評価する同質性の集団ってどんな方々なのかと思う。すると、とてつもなく暗い気持ちになってしまう。


 井上ひさしが、一九七〇年代の初めに野坂昭如責任編集の「終末から」という雑誌に連載し、後に休刊に伴い別雑誌へと連載を移した作品「吉里吉里人」という小説にも、間接的に天皇制は描かれている。東北のある村が突然国家としての独立を宣言しながら、最終的に権力によってそれを阻まれるという展開のこの作品では、骨子になるのは「少数民族問題」である。
 皇室という「絶対権威」という問題に触れながら、その対極にある少数民族問題がなかったものとされることで社会の秩序が保たれるという発想のこの小説は、差別の根源というものがどこにあるのかを活写している。
 差別の根源というのは、私たちの社会という幻想を維持していくために生じるものなのだろうか。
 社会を構成する人間は、無条件な権威への服従をすることで、謂れのない差別を生み出す根源へと成り下がる。
 僕の個人的な見解に過ぎないのだけれども、この認識が多くの方々に共有されることで、今よりも少しでもマシな社会が生まれるのではないだろうか。
 無条件の絶対的な権威の肯定というのは、その一方でないがしろにされて当然な存在というものを肯定しかねないのである。
 僕は、そうした状態に対しては、異議を唱え続けていたい。


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 意外なことに、映画の世界では天皇は結構自由に描かれている。たとえば、タイトルそのものに天皇という言葉が織り込まれた「拝啓天皇陛下様」のシリーズである。この作品は、テレビでも一九八〇年代までは普通に放送されていた。
 その第一作の内容はこんなものである。貧農に生まれ育った男がいる。徴兵によって軍隊に入って初めて飯を腹いっぱい食うことができる。あるとき、天皇陛下が閲兵式に訪れる。主人公にとっては、自分を腹いっぱいにしてくれた偉い方、白馬に乗った麗しい姿を拝見して、熱狂してしまう。ファンレターを送ろうとしたところで、戦友から「不敬罪になる」と言われて断念する。この愚直な二等兵を演じるのが渥美清で、ここでの役柄が、後に渥美の代表作となるフーテンの寅シリーズへと発展したとする見解もある。
 この映画の中には、いくつかの興味深い描写がある。例えば、主人公が、敗戦後の内地でも、戦地でしていたのと同じような略奪行為を続ける描写。農家から「調達」(要するに略奪)してきた鶏を、物語の語り手の前に差し出したとき、彼はたしなめられる。けれど、そうした主人公がようやくこぎつけた結婚を目前に、米兵のジープにはねられ死ぬくだり。語り手である戦友の声が静かに流れて映画は終わる。「拝啓天皇陛下様。今日、あなたの最期の赤子が亡くなりました。」(引用は、筆者の記憶によっている。)
 このナレーションを、順接と受け取るか逆説と受け取るかは、人それぞれである。
 「拝啓天皇陛下様」の語り手は、戦友を指導する知的な男である。字の読めない男に、当時の子ども向けの雑誌であった大日本雄弁会講談社(現在の講談社)の「少年倶楽部」を利用するくだりがある。当時人気のあった漫画「のらくろ」を見せながら、文字の読み方を教える。もう何十年も前に見た映画なので、正確なセリフは覚えていない。天皇陛下にご不敬になるとも思わず手紙を書こうとした男は、「のらくろ」を読みながら、その主人公を自分と同じような貧しい無学なものとして共感する。「のらくろは可哀そうじゃのう。わしと同じじゃ。」といったセリフがあったのではなかろうか。
 この映画が多くの戦争体験者に受け入れられ、続編まで作られたのは、こうした受けとめ方が当時は一般的な感慨であったからではないだろうか。
 貧しく無学なものも大切な臣民として尊重して下さる現人神という良く分からない存在。よく分からないが尊い存在というイメージは、そうした意識の中で醸成されたものなのかもしれない。
 しかし、作家の大西巨人が四半世紀をかけて完成させた小説「神聖喜劇」は、そうしたイメージを粉砕する。人は、自分より劣った存在がいるという幻想に酔い痴れることができるから、自分の優越感を満たすことができるのだと。大西は、食わせてくれる軍隊が天国と受け止める劣悪な育ち方という幻想そのものが、「自分はよりマシな立場である」という誤った自己肯定基盤の上に成り立っていると指摘する。
 ちなみに、「拝啓天皇陛下様」には、実現しなかった幻の続編も存在したらしい。沖縄戦の最中に、皇族の女性が居合わせる。高貴な身故に、空腹等の不満をいっさい口にすることが許されないまま、彼女は苛酷な戦場に放り出される。設定のみで詳細は知らないが、実現していたらどんな映画になったのであろうか。

 「拝啓天皇陛下様」について考えるとき、僕が思い出すのは「兵隊やくざ」という題名で映画化された小説のことである。原作となった小説の本来のタイトルは「貴三郎一代」。作者は有馬頼義。有島は、華族の出身である。恵まれた環境に育ち、大日本帝国が掲げた理念に関しても、ある程度は疑いなく受け入れていた立場の方だったのではないだろうか。ただし、実際に戦地に赴くまでは。「貴三郎一代」は、理念を信じながら戦争の現実と向かい合わされた苦痛に満ち溢れた小説である。(それにしても、「貴三郎」という命名の巧みさ。貴族の貴の文字と、次男坊三男坊で家督を継げずにはぐれものとなる象徴である三郎という名前の組み合わせ。)
 原作小説の作中に、僕が忘れられないエピソードがある。戦地で脱走し、死んだ兵隊がいる。今の方には分かりにくいかもしれないが、脱走兵というのは当時の日本ばかりではなく、どこの国でも蔑むべき存在なのである。しかし、部隊長は名誉ある「戦死」として処理し、遺骨を語り手と貴三郎の二人に内地の遺族に届けるように命じる。内地に帰った二人が骨箱を抱えているのに気がついた憲兵が、「最近は脱走兵でも戦死とすることがあるそうだな」と駅で誰何してくる。脱走の果ての死は、不名誉なものであり、遺族までもがそしられる。主人公たち二人は、戦地での苦楽もともにしてきた戦友の死を汚されたくない。
 このとき、兵隊やくざの男は、憲兵をまるで事故のように見せかけて線路に突き落とす。
 戦争体験者としての、有馬の悔しさが凝集したシーンなのではないだろうか。安全圏に居ながら、戦場で追い詰められた人間をなおも追い詰めようとする正義への嫌悪感。

 たとえば、将校たちの「短歌をたしなむ」といった「素養」とは無縁の立場の人間が、戦争という現実とどのように向かい合ったか。「貴三郎一代」という作品には、僕は有馬の想像しがたい苦悩を感じるのである。
 話を戻そう。「拝啓天皇陛下様」では、戦場での略奪といった行為は間接に描かれていた。けれども、実はこの時代には略奪は非難されるようなことではなく、男の誉れとする価値観もあったのである。

 近年、「南京大虐殺は虚構だ」という言辞を目にすることがある。しかし、こうした「日本軍はそんなことはしていない」という主張は、実際の当事者たちにとっては、侮辱となる可能性も高い。
 強姦とか虐殺を、「手柄話」とする感覚もかつては存在したのである。「南京大虐殺は虚構だ」などと言ったら、逆に喜々として参加した軍人たちからは叱られるかもしれない。「ワシらは、そんな腰抜けではない。強姦も虐殺も、きちんと帝国軍人の責務としてやり抜いた」と。(そうした価値観の名残は、戦後の「桃太郎」の絵本などにも残っている。そこでは、「分取品」を得ることが賛美されているのである。)
 「拝啓天皇陛下様」の中で、渥美清演じる登場人物が、戦後の占領下の日本で同じ日本人(とてもいやらしい言い方だ)から略奪をしようとして、物語の語り手に叱られるシーンを思い出す。

 川島雄三監督の、「グラマ島の誘惑」という作品も、天皇そのものではないにしろ、高貴な方々を諷刺まじりに描いている。
 敗戦時に、ある船の乗員がグラマ島なる無人島に取り残される。実際にそうした事件があり、それを下敷きにしているようだが、そうした報道にリアルタイムに接していない僕は、詳しくは知らない。
 ただ、ここでは無人島に取り残された人々が、スティーブンソンの小説「宝島」のような生活を余儀なくされるのであるが、高貴な出自の方々(森繁久彌とフランキー堺が演じてる)は、他人に世話されるばかりである。その結果、しまいには「にせものの高貴な方じゃないか」と噂されるようになる。

 「太陽を盗んだ男」は、冒頭で「天皇に会わせろ」とバスジャックを行う老人が登場する。彼は戦争に子どもを奪われている。どうしても、陛下にお会いして話をしたく、修学旅行の高校生が乗るバスを乗っ取り、皇居への突入を図る。この映画は、そのときバスの中にいた沢田研二演じる高校教師と、菅原文太演じる老人を確保しようとする刑事がメインに描かれる。高校で物理を教える教師は、原発からプルトニウムを盗み出し、手製の原爆を作り、日本政府を相手にテロ予告を行い始める。(この映画が製作される少し前に、「十万円で原爆をつくる方法」という記事を掲載した雑誌があり、問題視されて回収された。その記事を踏まえた作品であったかもしれない。) しかし、大きな武器を持ちながら、実現したいことなど高校教師は見つけ出せない。一方、刑事の方はその犯人を追ううちに、かつて担当したバスジャック事件制圧の協力者である高校教師を思い出す。その確執を軸に物語は展開していく。自身が被爆体験を持つ長谷川和彦監督による、優れた内容の娯楽作品となっている。
 冒頭の描写で、皇室に関してかなり迫った描写をしていることで、現在では微妙な扱いの作品となっている。
 それでも、(とても残念なカーチェイスのシーンを除いては)極めて優れた娯楽作品であることは確かである。かつてはテレビのゴールデンタイムに放映されたこともあった。

 岡本喜八監督による、「日本の一番長い日」。ようやく戦争について客観的に描こうとする時代となった1967年頃の作品である。大宅壮一原作(後に半藤一利原作と改められる)の、玉音放送に至るまでの一日を描いている。タイトルは、第二次世界大戦の分岐点となった「史上最大の作戦」(The Longest Day)にちなむ。この映画の中での昭和天皇は、ご聖断を下すだけの存在である。
 戦争に一兵卒として参加した岡本喜八監督は、この後、自分自身の敗戦体験を描こうと、自主製作映画に近い「肉弾」を撮る。そこでは、何の政治的な事情も分からないまま戦争に参加させられた一人の青年の寂寞のみが描かれる。現在の視点からは、性的な描写に問題があるとされるかもしれないが、生死の境という事態に直面した一人の人間の葛藤を克明に綴っている。
 この映画の中に、僕がとても好きなセリフがある。肉弾攻撃(要するに、実質的な特攻)を命じられた主人公が、その前日に外出する。雨が降っている。傘をさして走っている。憲兵に、「どこの国に傘をさして出歩く兵隊がいる」と咎められる。主人公は口にする。「自分は明日から神になるのであります。ですから、今日のうちに人間らしいことをしておきたかったのであります。」見ていて切なくなるシーンである。ちなみに、岡本監督はこの憲兵もけして悪役としては描かない。

 天皇を扱った映画は、日本以外の国でも撮られている。
 「アンボンで何が裁かれたか」は、オーストラリアの映画である。第二次世界大戦中、南方の戦線で行われた、日本軍による捕虜虐殺を描いている。上からの命令で、捕虜への不当な待遇を行った男。しかし、命令を下した将校は内地へと召喚されていく。日本の敗戦後、本土を占領したGHQは、日本統治の政策として、天皇の免責という手法を選ぶ。
 「アンボンで何が裁かれたか」の中では、かつてインドでイギリスが選んだ政策と同じ政策を米国が選んだのだと指摘される。昭和天皇崩御の際に、浅田彰が指摘した「土人の王様」の話である。野蛮人を統治するのに、その蛮族が信奉している王様を支配することで間接的な支配を行う。「アンボンで何が裁かれたか」の中では、そうした政治的な事情が描かれる。
 たとえば、アジア諸国やアメリカといった国が、当時日本との直接の交戦国となったことは知られている。しかし、捕虜虐待等によって、日本への悪感情を抱いた国は多い。それは、日本で敗戦後にシベリア抑留などによってソ連への、絶対回復不可能な嫌悪感を抱いてしまったことと同等のことである。
 ちなみに、映画化されたことで有名になったピエール・ブールの小説「猿の惑星」は、戦時中に日本軍の捕虜になり、非人間的な扱いを受けた体験を元にして描かれたものであるという。ここでの「猿」は、露骨な日本人の比喩なのである。
 一般に、日本人が盧溝橋に始まる十五年戦争で戦った相手として認識している国家は少ない。近年公開された娯楽映画「シャドウ・イン・クラウド」を見ていると、英米豪等の国々が共働して参戦していた姿が描き込まれている。

 「太陽」は、ロシアの映画監督ソクーロフの作品であり、人間宣言をした折の昭和天皇の苦悩を描いた作品として喧伝された。しかし、実際の内容は皮肉なものである。そもそもこの作品は、スターリンやヒトラーを描いた連作中のの一作として撮られている。戦中、現人神として絶対的な権威を誇った裕仁が、「人間宣言」さえすれば免責できると無邪気にはしゃぐ。しかし、その結果は、宮内庁関係者の自死という結果でしかない。
 遠慮がちな宣伝文句にも関わらず、自分が引き起こした戦禍に適当な御名御璽を賜り、何も責任を取ろうとしなかった日本一の無責任男の愚劣な実態を描き出している。

 さて、「東京裁判」という映画がある。ドキュメンタリーであるが、ドキュメンタリーほど怖いものはない。監督(フィルム編集者)の意図によって、見終えた後の印象は全く変わってしまうのである。
 東京裁判については、次のような言辞が存在する。いわく、「戦勝国による、敗戦国への裁判は一方的だ」、「東京裁判の不当性はパル判事が述べている」。他にもいろいろな異論は語られるのだけれど、この二点にのみ少しふれておこう。この映画の中でも描かれているように、東京裁判の不透明性という点に関しては、天皇の戦争責任が問われなかったことという点が、敗戦国統治の都合のみで天皇の免責を決定した米国(というか、マッカーサー)以外には、裕仁の絞首刑は必須のものであった。先述のように、実際の占領国は統治の都合上の理由で、天皇の免責を選んだ。ちなみに、巷間喧伝される裕仁が自分を処刑しても良いから国民には罪がない云々という発言は、公文書に残されたものではない。マッカーサーの私的な回想録に残されたものにすぎない。この言辞を天皇免責の根拠としようとした占領軍の政治的工作と考える方が、妥当であろう。
 また、パル判事という存在の怪しさに関しては、岩波新書から出ている本があるので、そちらを参照すると良い。細かい内容は忘れているし、話がそれることに加えて、引用が面倒なのである。ちなみに、パル判決書に関しても、講談社学術文庫から辞書二冊分ぐらいの厚さの翻訳が出ているので、それを精読してから触れた方が良いと思う。
 何かを描くときに、予め、こうでなければならないという結論に落とし込もうとして論を進めると、極めて不自然な形になる。といって、「東京裁判」という映画が、そうした要素をはらんでいる訳ではない。
 話を映画「東京裁判」に戻そう。裕仁免責という出来レースが決まっている状態で、「上からの命令で」と証言してしまう東條英機。総理大臣であった東條の上には裕仁しかいなかったのだが、その自覚がないまま「上からの命令で」と口にする。ある意味では、ナチスの収容所で大量虐殺に携わりながら、「すべて合法的な指示に従ったもので問題はない」と自分の無罪を主張したアイヒマンより怖ろしい存在かもしれない。アイヒマンは、確かにコマの一つ(ただし良心を欠いた)にすぎなかったのだから。
 そうした事情で、中断する裁判。こんな人間が、多くの国民の生死を左右したのである。そんな、最早変えようのない記録が、情けない。

 ある存在を検証抜きの絶対的な権威として扱うことを厭わないという行為は、その対極に粗末に扱われても良い存在を想定しているということだと、僕は思っている。

 皇室という存在は、そうした根源的な害毒を生みかねない。
 勿論、皇室という存在そのものに敬意を払う方々の存在は否定しない。そうしたことは、存分に承知している。

 日本の芸能が、天皇や皇室について、どのように扱ってきたのか、連載一回を使ってまとめようと思っていたのだが、予定外に長いものとなった。次回、一回この続きの話題に触れ、その後で深沢七郎の作品についての考察に戻る。

2022年 9月 12日