舞台「贋作『銀河鉄道の夜』」評/奥主榮
杉並演劇祭の一環として、朗読劇ユニット緊急ルーレットの「幻想第四次の囚人 ~贋作『銀河鉄道の夜』」が上演されたのを観てきた。
さて、贋作とは何かという定義は、とても難しい。一般的には、著名な作品を真似て、元作品の人気にあやかって作られた作品ということになる。ただし、剽窃ではない。こう書くと、単なるパクリのように見えてしまうかもしれないが、実はもっと複雑な問題が背景にある。たとえばコナン・ドイルがシャーロック・ホームズを主人公とした探偵小説で流行作家になった後、夥しい類似作品が描かれた。はっきりとした模倣と感じられる作品も多かったが、それなりに趣向を凝らした作品もあり、それらの作品が描かれることによってミステリーというジャンルが確立して充実していった。模倣作が登場することで、それまでになかった新しい分野が確立していったのである。
また、こんな贋作の例もある。ニューヨーク市警を思わせる舞台での警察活動を描いた「87分署シリーズ」で知られる作家エド・マクベインの、カート・キャノン名義での作品に「酔いどれ探偵街を行く」という作品がある。(この作家、とにかく多才な作家で、1950年代の映画「暴力教室」の原作小説も、エヴァン・ハンター名義で手がけている。) 「酔いどれ探偵街を行く」はミステリ作家の都筑道夫氏が翻訳して、日本のミステリ雑誌に紹介した。本国ではさほど人気が出ず、短編連作としては単行本一冊分しか出版されなかった。しかし、妻と親友の不貞に我を忘れて起こした暴力事件の為に探偵証を失い、酒浸りの路上生活者へと落ちぶれた主人公が吹き溜まりのような街で、誰かに救いを求めている人々に出会い、何かをせずにいられなくなるという切ない設定は日本では好評だった。その結果、翻訳を担当した都筑氏は原作者の了承を得た上で、クォート・ギャロン名義で続編六編を描く。都筑氏には、日本の初期の捕物帳を著作者遺族の許諾を得た上で描いた贋作小説もあったはずである。都筑氏も、とにかく多才な作家だったのである。(彼もまた、数多くの別名義の所持者である。自作の単行本の解説を、変名で執筆していたりする。)
一口に贋作と言っても、いろいろな原典との関わり方がある。同時に、贋作は盗用やパロディとは決定的に異なる。単に他者の作品を敬意もなく換骨奪胎したものや、設定や登場人物のみを借用した作品ではない。贋作は、原典への分析的な批評が存在しなければ成立しえない表現手段なのである。
僕が宮澤賢治氏の「銀河鉄道の夜」に初めて出会ったのは、小学校五年のことだったと思う。家に、岩波文庫版の「風の又三郎」と「銀河鉄道の夜」があり、読める本は何でも読もうとしていた僕は、原稿の欠落とかが多い話というのが新鮮で、興味深く目を通していったのである。一回で内容を理解できるほどの読解力は、当時の僕にはなかった。比較的分かりやすい「カイロ団長」とか「セロ弾きのゴーシュ」、「注文の多い料理店」あたりから理解していった気がする。そうして、作品を理解していくにつれ、作者への敬意は増していった。そうした僕の中の「熱狂」に水を差したのは、三十代半ばで出会った僕の妻であった。妻は宮澤賢治氏が苦手だったのである。ただし、その頃には僕もミヒャエル・エンデの「ゴッゴローリ伝説」などに触れ、宮澤賢治氏がしばしば描く「自己犠牲」が「病んだ世界」の表徴であるという発想を理解できるように構築されていた。
そういえば、高校生の頃に、角川書店(現KADOKAWA)から出版された「唐版 風の又三郎」に、僕は感銘を受けた。同じ頃に出版された「別冊新評」の唐十郎氏関連のムックで、「舞台を観て飛び込んでくるヤツ」は上位で、「書籍を観てくるヤツ」は下位みたいな関係者の発言を読み、僕は結局世界を頭デッカチに理解しているだけの行動できない人間なんだなという意識に苦しめられた。今では、こういう「排除の発想」を、「偏狭な意識」として、僕は笑い飛ばす。そうしたことを踏まえた上で僕は、僕が箱入りハードカバーという、ある意味では権威主義に守られた単行本から受けた感動を、けして手放したくない。それまでは、学芸書林等の小さな出版社からの出版で糊口をしのぎながら、大手出版社からのオファーに応じたことにも、劇団を維持していくための様々な事情があったのだろうと思う。僕は、カウンター・カルチャーや、アンダー・グラウンドで活躍された方々がメジャーな場所で脚光を浴びるということに関して、とても複雑な気持ちを抱いているのである。その一方で、そもそも自分自身は、メイン・ストリームのメジャー詩人であるという立場を貫いているつもりで……。あ、あれ、過去の言動を顧みると、貫いていない。自分のことを、「ガラパゴス詩人」とか、「ぼっち詩人」とか言っているではないか。(わはは) それはさておき。
そうした中で、僕が宮澤賢治について抱いてきたイメージを大きく一変させる書籍と出会う。山口泉の「宮澤賢治伝説―ガス室の『希望』へ」という一冊である。著者の山口は、徹底的な宮澤への批判をここで行う。しかし、その記述には、確実にかつては宮澤賢治の諸作品に熱狂していた様子が窺える。
僕は、人間というのは、一度は絶対視して敬意を抱いた相手との関係を見直しながら変化していくものだと考えている。それは、決別とはまた別のものである。
「贋作『銀河鉄道の夜』」は、宮澤賢治の原作の意味を、一つひとつ、今の時代の現実へと変換していく。序盤から、原典の主人公であるジョバンニは、囚人として登場する。困っている人に施しをしたばかりに、「憐憫罪」という罪に問われたという設定である。彼の管理番号は一九三三。
考えすぎかもしれないが、西暦一九三三年は日本が国際連盟を脱退した年であり、ドイツではヒトラーが政権を得ている。軍国主義、ナチズムが幅を利かせだした年なのである。
そして、この舞台の中でも「宣告者」という存在によって管理された人々の生活が描かれる。
原典では、ジョバンニが貧しい生活を支えるために自発的に行っていた「活字拾い」は、贋作では囚人が宣告者の言葉を伝えるために強いられる作業として描かれる。同じく原典の中で、不遇なジョバンニを嘲笑する言葉を発するザネリは、独裁国家の走狗として描かれる。「ラッコの上着」というキーワードで主人公を揶揄する少年は、成人すればこのような権力者の代弁者となるのかもしれないと思わせる。こうした、意味の置き換えとでもいう描写が、とても巧みな作品なのである。
宮澤氏による元作品の中で、タイタニック号の沈没で命を失った方へのオマージュとして描かれている部分は、強制収容所や核による暴力の中で、他者を救済するために不遇な末路を辿った方々へと置き換えられていく。そうした中で、自己犠牲的な行為もまた原典と同様に描かれていく。しかし、その演出は原典に在る無条件な賛美とは微妙に異なっている。見ようによれば、個人の忍耐を強いるような押し付けがましい価値観への、遠回し皮肉にも思えてくる。いや、そもそも主人公のジョバンニが囚人となったきっかけが、弱者への救済の手を差しのべたからという「憐憫罪」によるものなのである。
こうした「置き換え」に付き合わされながら、「朗読劇」に立ち会っている僕は考えざるを得ない。そうした一つひとつの転換作業に、どうした意味があるのかと。
先達の作品と向かい合うということは、そもそも誰かの価値観と向かい合うということでもある。誰かの作品を受け入れることというのは、そこに描かれた思想の絶対性を受け入れることになりかねない危険性を内在している。
宮澤賢治氏は、作家である以前に熱狂的な宗教者でもあり、独断的な価値観を強要する表現者でもあった。そうした点への批判を欠いては、全面的に肯定することが怖い作家なのである。まかり間違えば、「扇動者」としての宮澤氏を肯定することになりかねない。
この舞台の冒頭の中で、囚人一九三三は、憐憫を罪と判定される世界で罪に問われている。それは、一見宮澤賢治氏の描いた慈悲に満ちた世界に対する、逆ユートピアのようなものに思えるかもしれない。しかし、何ごとかをもって責められる存在を生み出すという正義というもの、そのものが逆ユートピアの在り方ではなかろうか。「カイロ団長」のような、「誤った指導者が転落する物語」を僕らは体験しているのではなかろうか。「何が正しくて、何が誤っている」といった口吻の虚しさを、僕はずっと覚えていた。
「贋作『銀河鉄道の夜』」の中で、テキストを担当した春井環二氏は、原典への「本当にこの価値観を信じて良いの」という問いかけをくり返す。しかし、宮澤氏に対するリスペクトは失われない。
僕が、「贋作」というこの舞台に最も魅了された点は、「贋作」という体裁を装った反転なのである。
「特定の価値観を絶対視して好いのであろうか」という問題提起が、この舞台の全編に満ち溢れていたのである。
宮澤賢治氏を題材にしたとき、「賛美」や「肯定」の姿勢で扱うことは、容易い。しかし、検証無しの礼賛はむしろ、宮澤氏を貶め、辱めることとなる。
物語の後半は、舞台の送り手たちのメッセージを送るのではなく、原作の「銀河鉄道の夜」が描き出していた様々な事象(価値観、倫理観等といった)を、客席にいる人たちに改めて考えさせるように展開していく。そこに、何か特定の考え方の讃美はない。むしろ、舞台を受けとめた観客が、そこに描き切られなかったことに対して、どのように自分自身が考えているのかということに向かい合わされていく。こうした表現は、非常に難しく、また稀なものである。
もっと多くの方の目に触れてほしい作品だと、そう思った。
二〇二五年 三月 一八日