去年の今頃は第一詩集「詩句と裸夢哉」の編集作業に日々追われていた。
詩集出版の経緯は固定された記事に書いてあるので読んでみてください。
過去の記事
「ぽえとりーサロン119」 ゲスト: 荒木田慧~詩の時代がやってくる、わぁわぁわぁ
「わたし、ダイエットやめたの。豆の。」
「あ、そう。」
「頭の中、ガルバンゾって言われた。」
「へえ、違う豆も食べてたじゃん。」
「豆はミネラルが豊富でいいんだよ。健康的。」
「なんか、飯食い行くか。」
「うん。ダイエットやめたら、ファストフードって決めてたの。」
「バーガーか。」
「うん。そう。やっぱり、背徳大事。」
「鍵とってよ。」
「ドライブ・インって、夜が、呼んでる。だから、あんたも禁煙したら。」
「なんで、嫌だよ。」
「ああそうですか。ねえ、なんで赤にしたのかな。テールランプ。」
「え、止まれって、ことじやね。赤信号とか。赤いし。」
「もっと、いろんな色があればキレイなのにね。夜のイルミネーションになるじゃない。」
「え、めんどくせえよ。わけわかんないじゃん。」
「ファンシーの新曲、かっこいいよね。」
...
「現代即興アート」馬野ミキ
いまから即興のアートをやりますと言って
誰かがペンキを身体をぶっかけた後に
走って壁に体当たりして
即興アートです、というので
それは即興アートじゃなくて
お前が勝手にペンキを被って勝手に壁にぶつかっただけだろう
と思ったが大人なので言わなかった
それから別の誰かが15メートルくらいのうんこを作って
これは現代アートです、と言った
15メートルのうんこはやっぱり迫力がある
でかい
俺は作者であるE・山口に「これはアートってゆうか、ただのでかいうんこじゃないか?」と言ったら
「日常とものの見方を変えてみることが大事なんです」というので
「何でも15メートルくらいの大きさで作ればアートかよ!」と言って襟首をつかんで暫くにらみあって疲れたので仲直りした後、二時間くらい全然関係ないエロい話をした
...
「インドのことで僕が思い出すこと」中川ヒロシ
音楽や仕事や、色々やめた後だったので、新しく始めることを無理に好きになろうとして、僕はインドプーリーの海岸にいた。
インドも好きになろうとしていた。
サンセットを見るのに、わざわざ一人海岸に座っていると、インド人の父子が歩いて来た。
「おー日本人!この海岸で夕陽を見ながらバーベキューをしたくはないかい?」
と言う。
別にバーベキューは、したくなかったが、何とか帰って欲しくて、「バーベキューしても良いよ」と降参した。
するとインド人父子は、「じゃあ市場に魚と野菜を買いに行くから500円くれ」と言った。
え!今から行くの!?と思ったけど、もうこの頃には夕陽が沈み始めて夕焼けも見頃だったので、とにかく500円程度渡して帰ってもらった。
...
「便所煙突くるくる廻る!」三明十種
勤労青少年会館を中心に配置して
日輪の揺らぎを平筆で描くやうに
脳病院ガ女子高ガ職安ガ珠算塾ガ
特殊浴場ガ交番ガ養老院ガ農協ガ
駅宿舎ガ電子オルガンの有る家ガ
禅寺ガ西東映ガ表札の無い長屋ガ
其の他業種身分階級互いに牽制シ
建ちならぶ!
其レら総ての便槽から、
其レら総ての便槽から、、
其レら総ての便槽から、、、
便所煙突ガ空に向かつて
立ちあがる!
其の先端に装着されてる樹脂風車ガ
朝東風を受けて廻転することに因り
臭氣を空にマジヱマジヱする仕組み
黄の三角旗掲げるのは汲み取り合図
美少女もルンペンも帰化人も神父も
労務者も同性愛者も役人も金貸しも
風俗嬢も民生委員も漁師も老夫婦も
糞のやうな奴等も糞のやうな奴等も
わたしもわたしもわたしもわたしも
開いて拡げてみりや汚ねえもんだし
ほれみい、ほれみい、
便所煙突くるくる廻る!
...
「Choriさんのこと」奥主榮
僕は、詩の世界の人間とあまり交流がない。他の方の活動には、基本的に興味がないのである。自分は自分で、好きなものを好きなように書いていたいだけである。なので、たまたま場を同じにする機会があった方とだけの関わりはあるが、それ以外の相手との関係はほぼ持っていない。
そうした訳で、昨夏逝去されたchoriさんとの接点も、ほとんど無かった。
「鳥」稀月真皓
囀る君は既に鳥だ
空の青に溶け
森の緑を解く君は
既に鳥だ
なおも鳥になりたいと願う君は
何を求めているのか
風の伴奏か
木々の喝采か
冴えた月明かりに
瞼を伏せて
宇宙の語りに聴き入る翼
羽ばたく君は既に鳥だ
君よ
天の琴線となる一筋の銀であれ
琴に触れる私は既に詩だ
なおも詩になりたいと願う
君よ
天の琴線となる一筋の銀であれ
そして私は震える魂になる
吟じるあなたは既に詩人だ
人の波に溶け
街の青を解くあなたは既に詩人だ
なおも詩人になりたいと願うあなたは
何を追っているのか
ネオンの声援か
雑踏の拍手か
冷えた無関心に
口を結んで ...
「スラッシュ」9オビ・イルテッシュ
手を伸ばそうとすると斬りつける
スラッシュ
斜めになって滑り落ちる
滑り落ちた断層はそのまま
建物や森は引きちぎれる
どうして
嘆くひとの声
どうしようもない
滲む雨の遅れ
なかなか登れず溜まりに溜まって沼になる
スラッシュ
大陸ごと分断する
「もう九月」大井悠平
僕しかいない部屋で色々考えた。
僕と君
しわくちゃになっても闘って、
ノイローゼになりながら闘って、
僕と君
一体何の景色を見ていたのだろう。
冷めた笑い、
冷めた笑いに対する大きな声、
大きな声に対する冷めた笑い。
どうしたら良いんだろうね、
もうわかんなくなっちゃった。
僕と君
一体何の夢を見ていたのだろう。
君の健康は 僕の平穏は
争うたびに失われ、
そりゃ、今年の夏が過ごしづらくなるわけだよ。
「向日葵」 朗読:荒木田慧 詩:馬野ミキ
2025年8月に僕が投稿した「向日葵」を荒木田慧さんが朗読してくれたものです。
「この声はあなたへ届くのか」西村太一
今迄随分悩みましたけど、幻聴をリセット出来るようになりました。彼や彼女が言っているわけではありません。分かっていてやっているんです。あんまり深い意味はないけど。何らかの作用なら、毒を持って毒を制す。矜持を持ちます。どうやらこの雨は暫くすれば止みそうだ。この二三年、内面では酷い想いをした。沢山発散させた。かと言いつつも、大変勉強になりました。まだまだ続きますが、妄想は止まらない。学校で静かに授業を聞くように、何でも静かにしていれば、そのうち静かな雨音にもすっかり収まるべき形として、雰囲気に埋もれるだろう。何か仕事で時間も忘れて作業でもしていれば、僕の耳も良くなる。さて、珍しい事にパズルでもしてみようかな。1日では完成しないような。よく考えよう。はこを開けたらピースの山だ。うん、隅っこのパ...
「また そこに夕陽が沈んでいる」中川ヒロシ
子供の頃、母は和裁の内職をしていて、キモノを作っていた。
ある日、その横でTVを見ていた小学生の僕は、みかんの汁を飛ばしてしまった。
キモノは当時何十万もした。僕はもちろん何度も謝った。
母は、僕の謝罪を聞く事さえせずに、慌ててシミ抜きをした。
そして、キモノを僕に見せて、「おまえの目から見て、どう見える?」と僕に迫って来た。
僕が「僕は何処にシミがあったか知ってるから、まあまだシミが分かるかな」と答えた。
母は裏のおばさんを電話で呼んで「真っ新な目で、このキモノ見て何か感じる?」と霊媒師のように迫った。
おばさんは「みかんの汁かなんか飛ばした?」と即答した。笑
あれから、どうしたんだろう。
あの日と同じ夕陽がまたそこに沈んでいる。
カバンの中にいつも小さなぬいぐるみがいる。キーホルダーとして使える部品がついているから、ぶら下げればいいのだけど、ちぎれてどこかへ行ってしまいそうなので、カバンの中のポケットにそうっと入れる。入れるというか居る、居てもらう。恥ずかしながら、わたしはただの「もの」として彼らを扱えない。恥ずかしいけど、四つの頃からずっとそうだ。家にはたくさんぬいぐるみがいて、それは、可愛いとか可愛くないとかではない。彼らは、「もの」じゃないのだ。自分の弱いところがぎゅっと可視化された生き物たち。彼らにはそれぞれ名前も、人格もある。
2011年のアメリカ映画で、「The...
わが地名論」連載にあたって
詩の中に地名を書くこと。その意味を探ること。これは僕自身の詩集に関わりながら展開する「わが地名論」。この連載を通して〈地名とは何か〉〈詩とは何か〉を考えてゆく。
「初夏に溺れる光のように」かわいあやの
木々がざわめくように
大勢の蝉が鳴いている
鳴き声が
身体の中まで響いてくる
それに共鳴するように
私の鼓動も広がっていく
風が吹かなくても
生きていることがわかる
影の中では
鉛色は暖色とみなされる
世界を抱きしめるように
一歩ずつ
水面に近づいて
きらきらと輝く光に
向かうカマキリよ
あなたは
どうして
光に惑わされるの
それはね
お腹に針金虫がいるからよ
針金虫の故郷は
今も無自覚の奥に潜み
記憶の故郷へ
導いてくれる
人間のはらわたにも
あてどなく渦巻く
針金虫は
あなたの故郷を知っている
ふるさともまた...
「性をテーマにした共同企画」奥主榮
モーク阿佐ヶ谷という映画館がある。いわゆるミニ・シアターに分類される劇場なのだけれど、少し余所と違った特色がある。
...
「死に箱」ヒラノ
取り壊された建物の跡地、気がついたらふんわりと何か別の建物が出来上がっている
「高山建築学校」 馬野ミキ
飛騨は高山にて毎年夏に開催れる「高山建築学校」にゲスト講師として参加して
「高山建築学校のうた」を作詞作曲、演奏してきました。