過去の記事

週末実家で、何もする事がなく
僕を褒めてくれそうな飲み屋に、自転車で向かう。
途中、お寺があって、昔はお線香の煙を頭に浴びると頭が良くなるなどと書いてあった。
今は高齢者しか来ないからか、「病に良い」とか書いてあり、極めていい加減だけど、ついやり出すと真剣にやった。
僕を褒めてくれる予感の飲み屋は、昔の仲間もいたが、TVでイチローの名プレイ集みたいなのを、演ってて僕に対する褒めが、始まらない。
12時過ぎたので
「ガソリンが高くなったね」
と言ってみた。
店の裏には、懐かしの海岸や幽霊屋敷は、そのまま残って、思い出が鳴りを潜めている。
この仲間で最初に酒を飲んで出掛けた、伊勢神宮の夜は違った。
「まあいいか 人はまた生まれるから」
と思う。

とんでもない不幸に見舞われて
これ以上の事はさすがにないと
慢心していたら
割と不幸はちょくちょくある
人生そんなもの

女性の魅力とは何か?

それはふくよかな曲線ではないでしょうか
それは身体的特徴だけでは無く、心も

ある有名な成人向けコンテンツの俳優がその道に入ろうと思った時、それなら自分のウンコを食べるぐらいの覚悟が必要だと言われた

彼は間もなく面接の場を設けてもらい、そこで本当に食べた

翌日、高熱にうなされる事になる
細菌が多く口に入れてはいけないものなのだそうだ、ウンコは

東京都、大田区、そこに生花市場がある

そこで以前働いていた人から聞いた話

同僚に自称画家がいた
自称の、だ

「俺さぁ、昨日すげぇいい女見たんだよ!」

「どんな人だったんですか?」

コンビニのレシートを裏返しボールペンを握る

仮称で和田さんとしましょう
和田さんがレシートの裏にペンを走らす

「ほら!これ!めちゃくちゃ良い女だろ?!」

...

KALDIの袋をください!と、元気に言った。
「この紙袋がブックカバーになるんですよ。」と、心の中で何度も何度も言った。
結局口には出さなかった。
店を去る時の私はにこやかだった。

霧に陽光が降りそそぐと、視界は瞬く間に広がりはじめた。
白く霞んでいた光景が、恐ろしいほど鮮明な映像となってアリを取り囲む。南西に切り立った雄大な尾根、黄色い花を咲かせた高山植物が生い茂る山腹、瑠璃色に淀んだ深い淵、細かな砂粒が光る岩肌、山頂に作られたケルン。
透明度が極めて高い空気は、アリの目に非現実的なパノラマを映しだす。

台所でカレーを煮込みながらつま先立ちで食器を洗いつつ息子に宿題の進捗を尋ね、頭の中では今回の連載のことを考えていた。電子レンジの中ではサラダにするためのかぼちゃがぐるぐる回って甘く柔らかくなっている最中。カレーとかぼちゃサラダはダンスのために家を空ける向こう三日間の昼食兼夕食、つま先立ちはダンスのための足の鍛錬、今回の連載は天職について書こうと考えていた。食洗機がほしい。

昨秋、高田の馬場のJETROBOTで、ぷろじぇくと☆ぷらねっとによって、「詩人と役者の朗読劇」と銘打った公演が行われた。「庭」という作品である。創作の背景としては、先行する別作品として「Here Come The Angels!」という作品が存在するらしいが、僕はそちらは未見である。ただ、一作の独立した作品としても十分に堪能できる舞台であったので、「庭」についての簡単な感想をまとめておく。


1.変異していく「ファンタジー」の意味

この作品を「ファンタジー」と形容して好いのかは、判断に迷う。未見の「Here Come The...

この連載は、昨年終わった僕の朗読会の際にメモしたMCの内容を、大雑把にまとめたものです。開場で語り続けてしまうと、何時間かけても終わらないことがわかっていたので、事前に「これだけは語ろうかな」と思ってまとめた内容です。
今回は、半世紀以上前に小学生だった僕が、原子力について感じたことに触れています。当時は、原子力は無公害の理想的な「未来のエネルギー」という認識でした。でも、偶然読んだ子ども向けの本から、僕はそれに疑問を抱きました。
...

たぶんわたしは
桃太郎にでてくる
犬サルきじより
ちょろいおんなです

きびだんごとか
もらわなくても
声かけられたら
ついていっちゃいます

そのひとのなかになにか
ひかりをみて
それがきれいだとおもったら
ホイホイ
ついていっちゃいます

鬼退治であれ何であれ
銀行強盗であれ何であれ

わたしはそれで
ずいぶんと
とおいところまで
行きましたし

ずいぶんと
惨めな思いも
したような気がしますが

あなたが笑いかけてくれたら
わたしはそんなこと
ぜんぶ忘れちゃって

しっぽをぶんぶんふって
やっぱりあなたのあとを...

性的な用途のローションが垂れた毛布をベランダに干す
自転車で最寄りのコンビニへ酒と煙草を買いに行く
「VISAで」
家の前でサッカーの練習をしている少年と
休憩中の現場作業員と目が合う
何故彼らと目が合うのか?

あの頃はインターネットが無かったからみんな街に出てカッカしていた
自分もよくスカウトされた
突っ立っていたからだと思う
手配師(日払いや寮というかタコ部屋での建築作業員の数を手配する人)や
自衛隊(入隊テスト受けるだけでいいからこい 缶詰とかの食料たっぷりやるから)
ヤクザの下っ端が家出少女二人組をAVに出演させようとしていて逃がしたり
スポーツ新聞に裏バイトがフツーにのってて
内緒のカジノや池袋のヘルスで坊主頭になってボーイとして働いて
裏のDVD屋の店長になりかけて逃げたこともある
街がいまより怖かった
あの時の怖かったお兄さんやおじさんたちはどこに行ったのだろう
死んだか老後施設で介護されているのだろうか
皆がイヤホンをしてスマホを観ている街で電車で時々そんな昭和の亡霊を思い出す
そしてこう思う
くたばれ!と。 ...

つむじでいいから見たいな

こっそり見に行ってみようか
オーバーコートを羽織って
黒のキャップをかぶって

ツツジがさ
四角く植えてあるじゃない
綺麗な道とか
大きい会社の前とか
そこに隠れてさ

12月にはツツジは咲かないから
ツツジを食べて待つことはできない

だいたい汚い
都会の植え込みのツツジは
犬のしょんべんやら
排気ガスやら
痰やらかぶってる

子供のころは
学校帰りにツツジを食べてた

子供の頃だったら
つむじがみたいー
なんて思わないで
ツツジの蜜を吸ってる
あんたの黒のランドセルに
飛びかかれたのに

ランドセルをしょって
ハーフパンツを履いて
ツツジをもぎったり...

なんだこの世界は
空がどこまで続いて
ぼくは地上でひとりぼっち
誰かがこの世界は素晴らしいと
美しいというけれど
ぼくはもう死にたい気分

クラスのいじめっ子も
ヒステリックなママも
いつも疲れているお父さんも
だけれど誰だって悪くない皆しかたなかった
全員が平等に、言い訳があり理由があって正しさがあった
この美しくない世界で

ぼくは向日葵の畑を歩く
真夜中に飛ぶ鳥の間に星座をみつける
夜明けに咲く白い花をちぎる
押し入れで体育座りをしている
自分の手を自分でさわっている
この素晴らしくない世界で

日が傾きはじめた頃、突然、風向きが変った。
峡谷を取り囲む尾根に霧がかかり、気温は急激に下がっていく。ロープの裏側にいるアリの頭上を流れている川も、今では霧に覆われてしまい、水音さえも仮想現実的な歪みを帯びて聞こえてくる。
数分前まで熾烈な熱波を放っていた太陽は神隠しにあったように消えてしまった。アリはロープの上に這いあがり、五感を研ぎ澄ます。すでに視界は360度、真っ白い霧に覆われている。
触角を頼りにアリは歩きだす。暑さで渇ききったアリの身体にとっては救いの霧である。今のうちに距離を稼いでおこうと思い、アリは足を速める。かつてない程の快適なペースでロープをつたっていく。

「チャリーん!」

「ポチっ」

「ガタン!」

さっ!

「これメスだ」

「?!」

「このコーヒー、メスです」

缶コーヒーにオスとかメスとか性別ってあるの?
そして購入者より先にその缶コーヒーを奪う様に握り、その性別を判定する

これが品田さん

品田さんの奇行は数しれず、誰もいない事務所の隅で灯りも着けず預金通帳を眺めて笑っていたり、デジタル時計の数字が変わるのが好きで常に携帯を見ている

「51、52、53、54、55、56、57、58、59、00」
この00の瞬間、キラーン!と笑顔になる

とにかく妙な職場だった。

...

2030年のはじめの月曜日に雨が降った
その次の月曜にも雨が降った
それから夫人は、月曜日には雨が降るものだという確信に至った
そして月曜日にはよくないことも必ず起こる
最初の月曜日には傘が壊れたし
その次の月曜には地下鉄が五分遅れた
夫人はそれを月の裏側の呪いと呼んだ
次の月曜にも雨が降った
しかし、その次の月曜はよく晴れた
夫人は裏切られた気持でいっぱいになった
その、いわゆる「第四の月曜日」に夫人は身支度を済ませると銀行から大金をおろし
鉄道を乗り継ぎ、雨がふっていたK地方にまで出かけた
夫にはテーブルに手紙を書き残しておいた
「心配しないで!いつか月曜日は終わる!」
K地方の中心地区の駅前で宿をとった夫人は
窓にしたたる雨粒を見つめて声に出してこう言った
「ほうらやっぱり!月曜日には必ず雨が降る」
...

INTERMISSION(休憩) (1) AMラジオ

URCのことについての話題が長く続いているが、少し別の話題も織り交ぜておこう。(次回以降もまだ、URCの話は続きます。)

昔、ラジオやテレビのアナウンサーというのは、それほど速くないペースで標準語を使って話していた。個性よりは、むしろ正確な日本語とされるコトバを用いることを求められていた。これは、テレビが普及する前の、ラジオしかなかった時代からのことであると思う。
...

四十年以上前、まだ大学生だった頃に、ボランティアとして募金活動をしたことがあった。交通事故で働き手を失った家族への援助活動であった。

...