「そのものとの分離について」馬野ミキ

2023年02月07日

自分が恋人にしていることを目撃した ひとによっては
それはハラスメントに写ることもあるだろう
自分がしてほしくないことは人にはしない、というのは実は違くて
例えばSMプレイのサディストとマゾヒストの欲するものは
真逆で
だけれど二人の関係は成立しているというよふに
あらゆる叫ばれる平等や正義
よしとされる美徳や常識をこえて
より人間が本来求めているものはある
自分が苦心して打ち上げた芸術作品よりも
子猫がただ転がってるだけの動画がみんなを癒すのだから
子猫はすごいなあ
子猫の才覚ってすごいですよね?
その才覚に子猫自身が気づいていないからこそ、より観察者に直接的に伝わる
例えばせかいにはまるで評価されていない、詩のような人間はたくさんいますよね
橋の下などに
よい詩を書かない すてきな人たち
対象に対し、俯瞰して物事を観るということは「そのもの」から分離しているということでもある
「そのもの」から分離した美しい詩を描く人たちは果たしてよい人だろうか
少なくとも僕はよい人間ではない

インスタの動物たちの動画を観ていたんですよ
特に異種間交流が萌える
犬と猫とか
そこに子供とかも混ざるか
みんな 会話が不要で 直接行動で 計画性がない
本能的である
本能的であるということは、阿呆だということとは別だとぼくは思う
高度文明社会なんていうが、人間の社会は上記の反対にみえる
長々と話せねばならず、行動はまわりくどく、計画に溺れて何の為に生きているのか分からなくなりそうになってはない?

強烈に猫が飼いたくなり(犬は流石に住宅状況で飼えない)
ジモティーの里親募集を眺める
譲渡後も室内飼いにしてください、とかそこまで言われなきゃならんのか
ペットはモノではないだろうな
イルカやクジラはペットではないがそうらしい
マグロは違うだろう 食べてよい
サンマも焼いてよい ペットではない
花壇に飢えてあるチューリップはちぎってはいけない
雑草はどんどん処理してよい
街に猿が降りて来たらみんなで追いかける お巡りさんやテレビのカメラマンみんなで一匹の猿を追いかける
多摩川にアザラシが迷い込んできた場合、みんなで可愛がるべきだ
保護して海に返してあげよう
そういった自然のなかで生きる体力がない場合水族館で面倒を見てもらうというのはどうか
去勢済みの地域猫はその証拠に耳をカットする
地球環境の保護のためにそのカットされた猫の耳の部分を集めてお裁縫をしてチョッキを作り
アフリカの恵まれない子供たちに送ってあげようかな






馬野ミキ