「ともちゃん9さいおたんじょう会2023」 奥主榮

2023年08月27日

近況報告(20230827)

イベント「ともちゃん9さいおたんじょう会2023」。僕の友人の中には詩の朗読とは無関係の方も多いので、少しだけ説明しておけば「ともちゃん9さいさん」は、僕が詩の朗読活動を通して知り合った方です。ただ、平日の夜に仕事をしている関係で、僕は実は詩の朗読の世界とは余り接点がなかった。そうした中では比較的多く顔を合わせることのあった方だった。
4年前に亡くなられている。 
40代半ばに体力が衰え始めてから、自分よりも若い方の訃報に触れることが、前にもまして辛くなった。ともちゃん9さいさんは、家が比較的近所であったこともあり、買い物にでかけたときにばったり出会うこともあり、身近な存在に感じていた。今でも、買い物の途中で「そういえばこの肉屋さん、彼女も使っているって言っていたな」とか思い出して、改めて「もう会うことはないんだ」と、悲しみに襲われる。
今回のイベントに参加して、まだ亡くなられてから4年しか経っていないことに驚かされた。考えてみれば、その4年の中で3年余りはコロナ騒ぎ。慌ただしく毎日が過ぎた。そうした関係で、参加者の多くとも久しぶりの再会であった。 

詩の朗読を、僕は1996年に始めた。公営の公民館の会議室などで、何だか研究会のような感じでぼそぼそと開催される「詩の朗読」が厭だったのである。もっと、娯楽性のある詩の朗読ができないかと考えたのだ。暗中模索の状態で始めた。同じ時期、あちこちで様々な朗読の試みが始まっていた。(この辺りの経緯は、ネット誌である「抒情詩の惑星」に現在連載中の「T-theaterのこと」に詳述している。) 20世紀から21世紀に変わる頃に、少しずつ朗読関係の方々とのつながりが生まれた。多くは僕よりも若い方々から多大な刺激を受けてきた。(まだ繊細な感受性を保たれた方々に学ぶということを、この時期に僕は知った。それが、僕が現在形成している人間関係にもつながっている。)
古溝さんと最後に会ったのは、「逆光」という古書店での合評会であったと思う。そのときが確か、ともちゃん9さいさんと最後に顔を合わせた日であった。彼女が出したばかりのCDを購入しなかったことを、今も後悔している。古溝さんの詩は、とても好きだった。自分自身を傷つけるようにして描かれる詩というものがある。既に若さを失っていた僕には、彼が叩きつけてくる剥き出しの感情は、自分が何を失っているのかと突きあわされるものであった。今は詩を描く時間よりも、ご家族との時間を大切にされているそうだけれど、大村浩一さんと同じく、復活して欲しいな。(大村浩一さんが静岡で隠居してから、僕は復活して欲しくて、さんざん「静岡で廃人になって鉄道模型を作りつづけているそうです」と揶揄しまくった。)女性を、誰それの妻、といった書き方をするのは個人的に嫌いなので、筆名の名字で書けば、ぬくみさんと最後にお会いしたのは4年前の江古田の、フライング・ティー・ポットでであったことに、イベントが終わった後で気がついた。ともちゃん9さいさんの追悼の展示が行われていたのだ。イベントではなく展示なので、自由がきく時間に行けばよかった。僕は、おそらく動揺していたのだろうと思う。西武池袋線の、隣の桜台の駅で降りて場所を探し始め、それからかん違いに気がつき、江古田に移動した。平日の昼間に行った。誰にも会いたくなかった。僕は、混乱していた。自分が受け止めきれないことを前にしている状態で、誰かに顔を合わせたくなかった。平日のお昼、ひっそりとした会場に、ぬくみさんが訪れた。お子さんとご一緒だったと思う。ほとんど会話はなかったのではないかと思う。会釈をしただけであったか。自分以上に深い思いがよぎっているだろうと思うと、胸がふさがれる気持ちになった。

僕はもう、身体がぼろぼろだけれど、まだ執念深く生き続けるつもりである。(参加予定のイベントへの、体調不良によるキャンセルも、この春から連発している。) けれど、今回のイベント会場で改めて感じたことは、「描き続ける」ことの意味。表現活動を通して、自分が何を成し遂げたいのか、その意味もまた年齢とともに変わっていく。他の多くの参加者についても、ささやかな感想を添えようかと思った。けれど、それは傲慢で思い上がった発言にも思えた。全て割愛する。

何よりもまず、自分がまだ、前を向いて走り続けたいと思った。







奥主榮


※この文章は奥主榮さんがFacebookに掲載したものを引用させていただいたものです。