「ぼくは人間」しせいそうせし

2023年03月02日

フィジカルが消えた後、哀悼の意味でしか胸をくすぐり唇に遊ばせる言葉しかないのでは、何百年の跡地でその人の子宮を揺らせるか。

ただ墓が立っていて、1年に1度の賑やかしに使われるなら何も残らないでくれ。
俺を忘れてくれ。
紐付けられた私が邪魔をするのなら知らないでくれ。

あ、今日あの人の命日だ。
詩書いてたんだったねー ちょっと読んでみる?

残った言葉がお供えのまんじゅうと化し、思い出とか温もりの上でしか成り立たないのなら。
お前の心を破り浸食し血肉となり排泄の循環にならないのなら。
詩が私より前に来ないのなら、言葉が私を差し置かないのなら、私が死んだ瞬間残した全ての詩は消えてなくなってくれ。


そんな事を書いていた。朝11時。

ストイシズムにかまけた後、ただ前へ前へ進み、笑みや心抜きを置き去りにし、編んだ言葉が自我を持ち私を飲み込んだ。
それは心の中で暴れた草を刈り発汗し血走る目で鎌を持ち、破壊と前進に己惚れた私の消し炭で、壊れた緑の付着した服を見て初めて気付く。

吸い込む空気はうまい。
ただ、肺に沈殿した草の汁が私を循環から切り離した。
突撃ラッパじみたその誠実な自殺に溺れて酸素を。もっと酸素をとむずがった。

昼の12時。

窓から普通の日差しが入り込んで蛍光灯と混ざっていた。
私は私の窒息に少し笑った。

憎悪や希望やあらゆる想い、それらを作品にせず口からこぼす表現者は嫌いだ。
詩より前に自分を置く詩人は嫌いだ。
もの作りに取り憑かれナイフで削いだ皮膚を差し出す人間が好きだ。

それはもっともで本当だ。

ただ私は恋人と手を繋げるなら詩が書けなくてもいいし、笑えるのなら音楽をやめてもいい。

私は人間だった。

あらゆる色合いがただの時間経過で変わっていく。
ものの手触りが思想が天気で変わる。
情緒が地球に転がされながら私は人間だった。