「名前の話」千島

2023年01月23日

僕には三つの名前がある。いや、もっとあるかもしれない。

僕の本名は、病院で呼ばれる時だけ使っているような気がする。病院で呼ばれる度に、ああ、そうか僕はそんな名前だったなと思い出す。学校では先生と呼ばれていたから、ずっとそれに慣れていて、それが一番、人から呼ばれる回数が多い呼び方だった。

もう十年以上前から、音楽をやる時は別の名前を使っている。その名字で呼ばれたり、あと、高円寺で会った人たちなどからは下の名前で呼ばれることが多い。

2020年4月はじめ、ちょうどウイルスが流行しはじめた頃、インターネットで無力無善寺というライブハウスの名前で検索していた時に、東京荒野という雑誌の存在を知った。文章を募集しているらしい。なんだか自由そうだった。便所の落書きでもいいらしい。

今まで時々、なにかいろいろな文章の公募を見かけてはいたけれど、募集しているテーマがあってそれが全く興味をそそられないものだったり、権利はその主催に属することになったり、あと他にも色々なにかしら制限があったりして、どこも、つまらないな、合わないな、残念だなと思っていた。あとで知ったけど、東京荒野に掲載された作品の権利は全て作者に属するらしく、それが一番、本当に素晴らしいなと思った。

応募してみよう、と思った。とりあえず僕の書いた文章をひとつ送ってみよう、と。

名前は何にしよう。そうだ、僕の本当の名前にしよう。それは、僕が現実世界のどこでも使っていない名前だ。だけどそれが僕の本当の名前だ。僕は文章の中だけでも本当の自分でいたい。いられるかもしれない。

名字は千島だ。名前は何がいいかな。T、た、がつくものがいいな。たくみ、匠にしよう。

そうして僕は、ブログに投稿したばかりの「東京」という題名の文章を撤回して、少し編集し、千島匠の名で東京荒野に応募した。


あれから、二年が経った。

僕にとっての真実が他の人にとっての真実とは限らない。それを人は、嘘だと言うかもしれない。

誰にも会うことはないからいいやと思っていた。でも、会ってみたいなと思う物書きの人も出てきた。会って話してみたいな、多摩川とか公園で遊んでみたいなと思うような。

文章を書いている僕と、音楽をやっている僕の両方を知っている人というのは、それぞれの世界にいない。いや、いるのかな。もしかしたらいるのかもしれない。ああ、東京荒野の湯原さんには伝えてしまったな。

でも、そもそも文章を書いている僕というのはほとんど人に知られていないから、そんなに心配するようなことではない。そういえば、現実世界の僕と、文章を書いている僕と、音楽をやっている僕の全部を知っているのは、一緒に暮らしてた人と、妹だけだ。それでも二人もいるんだな。


僕はずっと、うしろめたさを抱えていた。いや、抱えている。嘘をついているみたいで苦しい。苦しかった。苦しい。両方の世界が交差することはないと思っていた。いや、ないかもしれない。僕が自意識過剰なだけで、誰ひとりそんなことまったく気にしないような気がする。ただ自分が勝手に苦しい。多分、苦しむことが趣味なんだと思う。

「抒情詩の惑星」という、詩人の馬野ミキさんが作ったインターネット上のサイトがある。そこで、ファミコンの思い出というテーマで詩や文章を募集していた時に読んだ湯原さんの文章に、僕は少し救われたような気がする。

オンラインゲームで一緒になった二人の強者プレイヤーが、恋人同士だと思っていたら実は同一人物だったということが書かれていて、それを知った湯原さんは、幻滅したりするのではなく、その人への評価があがった、と書いていた。それを見て僕はとても驚いた。よかった、と思った。

僕は、複数の名前を使うことで、なんとなく人を騙しているような気がすることがあって、だけどもしかしたらそれも悪いことではないのかもしれないと思えて、僕自身が少し救われたような気がした。

それを僕は湯原さんに伝えた。すると湯原さんは、多くの名があるということは多くの物語があるということだと思うと返事をくれた。それは素晴らしいことだと思うし、けど、時に疲れるだろうなとも思う、と。ゲームも同じで、二つのキャラを使えば出会う人が変わるし、でも同じレベルまで上げようとすれば二倍の時間を使わなくてはならない。改めて、尊敬の対象にしかならないなと思います、と。

僕ははっとして、この言葉にとても勇気づけられた。確かに、二つの名があり、二つのことを同等にやろうとすると、二倍の時間が必要になる。三つの名があれば、三倍の時間が必要になる。生きる時間が足りない。もしそれをこなしていくのであれば、相当の覚悟と努力と手際よさが必要になる。

最近、急にあるアニメ映画が気になって、普段毎週テレビでやっているアニメの方は最近はろくに見ていないのに、だから話も登場人物もよく分からないのに、僕は見に行った。すると、昔はいなかった登場人物がいて、彼は僕の興味をひいた。詳しいことは分からないけど、その人には三つの名前があって、というか、三人の人が実は同一人物、と言ったほうがいいのかもしれない。それで、それぞれがまったく違うことをしているらしい。

それを知って僕は思った。

かっこいい。
すごい、と思った。
あれ? なんだ、それでいいんだ、と思った。
三つの名前があるというその経緯はよく分からないけど、この作品も、僕を勇気づけてくれたんだなと思う。


本当は、ひとつの名前だったらいいのにとも思う。全部の名前を僕の本当の名前にしたい。現実でも音楽の世界でも文章の中でもそのほかでも全部、千島という名前で僕は生きたい。現実世界には存在しないのにそれが本当の名前だなんて、おかしいのかな。僕にはそれが、真実なのに。


僕は、千島の名前で呼ばれるのが一番うれしいです。呼ばれたことないけど。
もし町で僕に会ったら、そう呼んでください。


2022年10月10日
千島匠