「挨拶」コオリヒロノブ

2022年09月01日

暗渠に落ちる水のにおいに
今日一日分の体臭を思い出し
わたしたちは手早く仕事を眠らせて
坂道を下る
どこかで誰かが挨拶をしているのが聞こえる
古い鉄扉のように
今日のしめくくりを
それで宥められるはずもないのに

徒労と空腹の夜を
何かほかのもので満たそうとしたわたしたち
水やりを忘れた鉢植えに
二〇年ぶりに季節が舞い降りるような
そんな話は
やっぱり二〇年に一度しかないことを知っているくせに
迂闊な言葉を襟口から差し入れようとして
いつだってしたたかに擦り剥くのだ

駅から下る街並みには
すでに夜のくつろいだ明かりが灯っているのに
街路にあふれた「飲み込めなかったもの」たちが
坂道を流れて
不満げな襞になってひろがる
はしゃいだ声で言い換えた挨拶は
踏みつけるたびに飛沫をあげて
植え込みに差し込まれた吸い殻のように
互いに互いのめくれあがった皮膚に一瞥をくれながら
無数に夜の雫の中を飛びちがう

わたしたちは
たかが指先で揉み消せるほどの心咎めに縋りつかれたまま
にぶく尖った鳶口を引きずって歩く
殊更の肯定よりほかに
引き倒すものなどどこにもない
今日一日は終わるのに
坂道は
まだその先へと続いている