「晴天の詩学1 現代詩とは何かー答えるシーズン2 おれ、搦め手から攻める」平居謙

2022年10月01日


現代詩とは何か、について暫く書いてきて、ぐるぐると回っている。正攻法過ぎたな。相手が護謨みたいだから弾き返されたのかもしれない。それでは、もっと答えに迫るため、搦め手から攻める。搦め手から攻めるぞ、湯原さん。


詩を書いて、詩を書いて、詩を書く。溜まってゆくと詩集になる。当たり前だ。たまに「私なんか詩集を出すなんておこがましい...」と謙虚になる人がいる。そういう人は無理に出さなくていいんだな。どうしても出さなければならない人は出すんだから。それで、詩を書いて詩を書いて詩を書いて詩集ができる。評価を得たり得なかったり褒められたり馬鹿にされたり、いろいろある。一番多いのは何だと思う?無視さ。蟲、🐛、蒸し。それらの反応をやり過ごしたとして、また詩を書いて詩を書いて詩集ができる。その先はお前、何をめざすのであるか?


おれは、こういうプランだったな。詩を書いて詩集を出して偶然賞を取る。あるぱかみたいな編集者どもが賞に騙されてむやみに評価が高まって、詩集以外にも週刊プレイボーイみたいな低級雑誌からエッセイの依頼が来る。しかしおれは、むつかしい詩論の本とかもちゃんと書いていて、それ以外に、雑誌に出した綿菓子記事をまとめたトンデモ随筆集なんかを出す。で、原稿料今日は行ったから飲みに行こうぜ、みたいに、若いぎゃるとか、弟子筋の書き手引き連れて飲みに行く。。。。


まあ、似たことはやって来たが、最初の「賞を取る」というプランが実現しなかったから、ちょっと当てが外れたね。しかし、賞がとれないからって、諦めないところが平居謙だ。賞を取るために、○○詩人会とか入って事務局引き受けて、受付やって人脈拡げて...、とか或いはペラペラの私家版を賞がとれるまで送り続けて、、、なんて蛙みたいなことをしないのが平居謙だ。違うルートを行ったんだ。


平居謙は搦め手から攻めたね。結局のところ、霞みたいなエッセイ集を出したい(究極の目的じゃなく、余技的にね。飲むためにね。)ならば、まず、そこから先やれば~っ(クレヨンしんちゃん風に)てわけだ。それで、『ゲゲゲの鬼太郎の秘密』とか、何冊もの『「one-piece」読本』の類とか、いろいろ風のような本を一杯書いて、儲かった金で「飲みに行こうぜ~」ってやってきたわけだ。


で、結局何が分かったかと言えば、自分が書きたいタイプの詩を信じて、それを書くのがやっぱり一番楽しいね、ってこと。たったそれだけ。そういうふうに搦め手から「現代詩とは何か」を考えてみると、結構早速大切なものが見えてくるじゃん。つまりは、詩とは何にも譲ることのできない、自分自身の表現そのもの、ってこと。それからは、売れるために自分を殺してるやつとか、売れる工夫をしてるやつとか、よく見えるようになった。大変だね、ご苦労さん。


他人に合わせたり、人気が出るように目論んだりして、それに合わせて詩を書く書き手は牛か田螺かおたんこ茄子である。ついでに言えば、地方自治体に誑し込んで詩の賞作って審査員に収まり権威を作る、なんてやつにロクな詩人がいるもんか。同じように売れる詩にロクなものはない。それらは地べたに寝ころんでる奴らだけが嗅ぎつけて喜ぶ腐臭をむんむん発しているからだ。「売れてない詩にいいものなんかない」というしいたけ野郎!BBQにして食っちゃうぞ!大して売れない詩人の書いたサイコーの詩を見つけ出すこと。それがここんところのおれの、楽しみである。


文句があるなら言ってこい。全部引き受けて弾いてやる。いくら焼いても焦げ目のつかない、燃えるきらきら。煮えたぎる星空。頭がどうかしているマジックインキ。黄金で真緑の灼熱。痛い痛いたましいの耳。これから書いていくのは、おれたちがめざす「晴天の詩学」だ。