「晴天の詩学2 現代詩とは何かー答えるシーズン2 何のために詩は書かれるのか」平居謙

2022年10月31日


中村剛彦『生の泉』という詩集を読んでいた。中村はミッドナイトプレスの副編集長だった人で、たぶん今でもそうである(と思う)。しかしこの話に肩書は要らない。そういう立場に就く前の、柔らかな芽のような時期の物語だ


詩集のあとがきに、次のように書かれている。「何のために詩を書くのか、詩とは何なのか、ずっと問い続けてきたが、答えはまったく見えてこない。...(略)...ただひとつ言えることは、詩を書き始めた十代終わりから、一人、私とともに詩を書いてきた友人がいたという事実だ。彼と私は、お互い詩を書く上で、あたかも空気のような存在であり、常に最初に出来上がった詩を読み合う親友同士であった。つまり詩を書く行為が、互いの承認を得ることで初めて成立していた。だから私は、当初の疑念はそのままに、詩を書き続けることができた。」と。


この短い文章にとても打たれる。羨ましさと清々しさが同時にやって来る。ところがその直後に、その友人が二〇〇六年十一月二十一日に亡くなったことが書かれていた。中村は「私の心は凍りついた」と書く。それを読む僕の心も同じように凍る。


中村は詩を書くのをやめてしまおうとも思ったそうだ。しかしやめなかった。その後中村が書いた詩も、すべてその友人に見せる気持ちで書かれたのだと僕は思う。


この連載はステージ2に入ったばかりだ。だが、ステージ1から数えればもう丸一年書いている。これまで、あれやこれやと「詩とは何か」ということをこねくり回してきた。それなりに接近したような気もするが、そう思った瞬間、すっと逸れてしまう。この中村の断章ほど、詩の持つ意味を射抜いた文章はない。それで今回は、彼の文章を少しだけここに写した。中村が大切にしていた友人の名前は金杉剛といい、1999年にとてもダイナミックな書を表紙にあしらった私家版詩集『がらん』を出した。