「詩」と他の文章の違い 馬野ミキ

2024年02月12日

詩と他の文章の違いを湯原くんに問われた時
ばこばこ改行しまくればいいw
と言って笑わせてしまったことがあるけれど
この論理はエンターキーを押す時にりずむが産まれるためにあながち間違えでは無いのだが
先日、建築現場の休憩時間に
詩と日記の違いを問われ
それはほぼ日記のような文章を「蟻鱒鳶ル売り鱒」に自分が書いていることもあると思うが

詩と日記の違いを自分は即答できなかった
分からなかったからではなく、そんなことを言語化する発想がなかった
それからその命題をことばにしようとする働きが
一日に2分くらいは自分の脳内でふつふつとしてはしずまった

かんたんなところから喋ると
100/800は
10/80
1/8と約分できるじゃん
これはそれを1000/80000とかに膨らませる「小説」と

「詩」

が異なるところだと思う
まあ一つの側面として頭の隅に置きここから生ずる問題は
約分が過ぎて「他者に伝わっていてない」という現象が起きる

つまり
光は闇である
とか
終わりの始まり
とか
本当の白は本当の黒だったとか
まあ真逆にあるもの組合せというのはもうパターン化できてしまう
何か意味ありげだけど、読み手利き手はちんぷんかんぷん みたいな
アートっぽいけど はてな みたいな (少なくとも俺は)
これはもうある程度パターンの組み合わせで 手先、指先、口先でターンテーブル回せるわけです
脳髄から青い汁が
アンタレスの裏側では
アンタレスの脳髄から月の青い汁が

いまや詩を作るAIは、何もわかってなくてもそれっぽく言えるでしょう

DJ って言ったらかっこいいかもしれない
音楽かけ係 って言ったらそんなにな恰好よくないかも知れない
まったく同じことをしているのだとしても。

詩人ではなくても
歴史の偉人の名言とかって
何百年、何千年と残るじゃないですか?

1 世界を俯瞰し
2 約分され
3 

3は、何だろうか
「伝わる」ことではないかな どうだ

詩を上手に作るAIと私たちの違いとは何だろ
AIは記憶しますけど「体験」しない
データですからね 勇気とか元気とかはないわけです
コンピューターってめちゃ受け身なんですよ
プログラムとか