「詩誌を作り続けることとは」長谷川 忍

2022年01月31日

 詩を書き始めたのは、十五歳の頃からだ。七十年代の半ばになるのか。当時、学研から「高1コース」という月刊の学習雑誌が出ていた。そこに、詩の投稿欄があって、著名な詩人諸氏が選者となり投稿作品が掲載されていた。私も何編か作品を投稿したが、入選までには至らなかった。
 十代の終わり頃、ある小さな詩の同人誌に同人として加わった。この同人誌で初めて自分の詩が活字になった。当時はまだワープロのない時代だったので、活字になった時の嬉しさは今でもよく憶えている。
 商業詩誌は、二十代から、時々購入し、読んでいた。「現代詩手帖」「詩学」「詩と思想」「ユリイカ」、投稿詩誌では「詩芸術」「抒情文芸」などがあった。商業詩誌の投稿欄は、現在もそうだが、レベルが高い。私は自分の書く詩に自信がなかったので、投稿詩誌の「詩芸術」「抒情文芸」などに投稿していた。
 インターネットが普及してきたのは、九十年代の後半。さらに新しい世紀になって、ネット詩と呼ばれる作品が台頭してきた。ネットの詩の投稿サイトが次々に開設され、WEB上に、詩が登場するようになった。その頃、私は四十代になっていて、その中に入っていくには少なからず抵抗があった。サイトの世話人の中には、強気な方もいて、紙媒体などもう古い、などと豪語している方も見かけた。たしかに、そういった勢いは私もネット上で感じたりしていた。

 現在、某商業詩誌の編集に関わっている。もう十年ほど、その詩誌を通しさまざまな年代の詩の書き手たちを見てきた。とくにこの二年ほどは、コロナ禍の影響もありWEBが格段に進化した。SNSで、誰でも直接自らの「表現」を発信することができるようになった。でも、若手の方たちを含め、紙媒体へのこだわりは根強いな、ということを日々実感している。
 先だって、文学フリマ東京の会場を覗いてきた。コロナ禍がまだ終息していないにもかかわらず、会場はたくさんの出展者で溢れていた。個人誌、同人誌、冊子、手作りの詩集、あらためて、紙媒体への熱い思いを痛感した。
 当時のネット詩の書き手たちが、中年の世代に差し掛かってきた今、あらためて、詩誌を作り続けている編集者諸氏の視点、感受性が問われてくるのではないか。紙媒体の中から、どう可能性を掘り出していくのか。私自身も、自戒を込め考えている。





長谷川 忍