【企画】古溝真一郎選 抒情詩の惑星 BEST Poet

2022年04月28日

以前、このサイトを編集している馬野ミキさんの詩集『金(キム)』について、「抒情詩にとって大切なものがたくさん入っている詩集」だと、七月堂の発行する小冊子に書いた。サイト名が詩の惑星ではなく抒情詩の惑星と付けられたのは、そのことがきっかけらしい。ためしに「抒情詩」を手もとの大辞林で引くと「作者の思いや感情を表す詩。」と書いてあって、「作者の」という言葉は不要だと一瞬思う、思ったけれど、やはり必要かもしれないと思いなおす。

詩は最低限、言葉のまとまりでさえあれば、それを詩だとじゅうぶん主張できる。でもあえて詩でなく抒情詩なのだと主張するためには、言葉のまとまりであるだけではやはり足りず、その詩がどのように、どのような「思いや感情を表」しているのかは問われるだろう。ただどんな言葉であっても、そこに思いや感情を見出すのはまったく読者側の自由だと考えることはでき、あらゆる詩がけっきょく抒情詩のようにあり得てしまう。抒情詩か否かを、読者の思いや感情の方に委ねるべきではないのかもしれない。

だとすれば抒情詩ではつねに、「作者の」思いや感情こそが問われることになるのかもしれない。詩が書かれるとき、とにかくそこには生身の人間が関わっている、その切実さとともに詩を読みはじめることは大事だ。ひとつの詩におおよそひとりの作者を仮構して、その思いや感情を真剣になぞりながら読もうとする態度がその都度、抒情詩をつくる。抒情詩とは「作者の思いや感情を表す詩」。それが正しいのなら、AIで詩はつくれるだろうけれども、現在のところ抒情詩はつくれないと言える。

【詩群】 河野宏子 『お父さんのバスタオル』
人が人とともに生きて交わすすべての出来事は、言葉にすれば何であれとてもありふれていて、同時にあまりにも特別なことである。そのことはたくさんの人がたくさんの言葉によって繰り返し確かめてきたことだし、これからも繰り返し確かめられていくだろう。あらゆるすぐれた抒情詩と同じように、これらの詩は作者である河野宏子さんにしか書けなかった。このボリュームで読めてとても良かったです。