【詩群】 河野宏子 『お父さんのバスタオル』

2022年04月02日

父が死んでいく数ヶ月のあいだ
わたしにとって詩が救いになってくれたのは間違いありません

 父はあまりにふつうの、そして幸せな人間だった
幸せな人間の
ごく普通の人生の果ての死なんですが

記憶のなかのどの瞬間にも
詩になる手前のかけらがきらきら漂っていて
閉じたあとにそれらが押し寄せてきてしまいました

生きて死ぬ姿を晒してまで
父が教えてくれたものはあまりに大きいです





                                                                河野宏子さんとのメールのやり取りより一部引用  


一九八五年 大阪の小学生たちにとって
ランディ・バースは
サンタクロース以上に偉大な外国人で
吉田監督はどんな大企業の社長より偉かった

男子は給食の時間に六甲おろしを合唱してから
牛乳を一気飲みし
おませな女子はハンサムな真弓選手を応援した

夕飯の時間は必ず お父さんとナイターを見た
ビールがまだ瓶でうちに届く時代だった

ある時お父さんが甲子園に連れて行ってくれた
いつも自分の車でしか出かけたがらなかったので
電車で出かけた日のことはずっと忘れられない
もちろん阪神巨人戦だった

出かける前にお父さんは
愛用していたボロボロのショルダーバッグに
バスタオルを二枚押し込んだ
何に使うん、と聞いたら
「これはな。座布団にも、傘にも、毛布にもなるねんで
覚えとき」
と教えてくれたので三六年経った今でも覚えている

バスタオルはただただ
大きくて あたたかく やさしい

その夜はよく晴れていた
試合は阪神が勝った
お父さんはたくさんビールを飲んでいた

帰り道に野球帽を買ってもらった
ぎゅうぎゅうの にぎやかな阪神電車で
お父さんにつかまって帰った








『ロード』

大学生になった頃から
お父さんの車の助手席に乗って
仕事を手伝うことがあった

(そうは言っても気が利かないので
ほとんど見てるだけ)

夜が明ける前 三時に起き
分厚いダウンジャケットを着
ニット帽で耳まで隠す
デニム越しのシートが
いつまで経っても温まらなかった

多かったのはうどんや鶏肉の配達
工場で受け取って
効率よく降ろせるよう軽トラに積み込み
市内にあるいくつかのお店に配送する

わたしたちには朝だけど
暴走族の子たちにはまだまだ夜で
目の前をゆらゆら 赤いテールライトが
挑発しながら走っていた

お父さんは
「見たらあかんで」と言ったのだけど
目を閉じたら眠くなるので
ダッシュボードのあたりをぼんやり見て
カーラジオのAM放送に耳を集中させた

THE虎舞竜の「ロード」を嫌いになれないのは
この時流れてきた思い出があるせい

バイクの爆音と
チラチラする赤い光をバックに流れてきた
イントロのブルースハープを聞くと
美談にもネタにもならない
ほんとになんでもない夜が蘇り
今でもすごく複雑な感情になって
困りながら笑ってしまう
困りながら笑ったあと
笑顔が行き場をなくしてしまう






















『トロール』

久しぶりにやっと
お父さんに会えたのは
病院の個室だった
八月ももう終わる頃で
壁一面の大きな窓からの光で
お父さんの綺麗な白髪が逆立って透けていた
髪だけじゃなくて
日焼けして黒かった肌も今や透けるようで
お父さん自身が少しずつ光に溶けていきそうな

目の奥の
お父さんをお父さんたらしめていたピントが
時々違うところに合わさって
お見舞いで滞在しているわたしと母と
対峙している数十分の間にも
子どもになったり
お父さんに戻ったり
知らない何か別の、不思議な存在に変わったりした

ファルコンとか、トロールとか
子どもの頃に信じていた
あの不思議ないきもの

怖いと感じそうなものなのに
どのお父さんも美しく愛おしかった
病室の空調がきついから
手をさすってほしいと母に甘えていた

お父さんが
少しずつ
光に
溶けていってしまう

帰り際
手を握ったときは
わたしの知ってるお父さんの目と
お父さんの握力だった
何やぁ〜元気やん!
こんな明るい声は浮いてしまうに決まってるけど
笑ってドアを閉じるしかなかった



















『おかえり』

お父さんは車椅子に乗って帰ってきた
直射日光が顔に当たって眩しそうなので
妹と二人 遮るように手をかざす

両親の仕事場の隣室に据えた介護ベッドに
看護師さんが数人がかりで横たえてくれる
看護師さんたちは明るくパワフルで
おかげで家は賑やかだった
娘さんふたりとも美人やね、
ベテランの看護師さんの言葉に
お父さんがいやいやとしかめっ面をするので
せやけどわたしら、お父さんに似てるって言われるで、
と返したらアチャー! と表情で語るのでみんな笑った

看護師さん達が帰ったあと
お母さんの作ったおでんとビールで乾杯した
お父さんはほとんど飲めなかったし食べられなかった
帰ってくるだけでも相当な気力を使ったのかもしれない
意識のピントは数分単位であちこちを行き来していて
何か確認するように天井を見回しているので
お父さんの家。
お父さんががんばって買うてくれた家やよ、
と言ったら満足した顔で頷き
その直後に
わたしを宏子だと認識するや否や
ごめんな、ごめん、と繰り返すので
なんで謝るん、帰ってきてくれて嬉しいよと答えた

その後ずっとお父さんは苦しげだった
天井に腕を伸ばして
もういややと叫んだり
言葉になっていないこともあった
日に何度も
自分のからだを出ていきたがった
鎮痛剤や尿や酸素の管が
いくつもお父さんを捕まえていた

































『経口補水液』

帰ってきてから四日目
お父さんは熱が下がらなくなった
三十九度台から数値は動かず
取り替えても取り替えても
すぐにぬるくなってしまう氷枕と保冷剤
頼りない小さな冷凍庫

それでもあたしには
来月以降の生活があるから
仕事には行かねばならず
時給千円のために
お父さんと離れる

「どっこも行ったらあかんで」
明るい声色で響いたやろか
どうか
お父さんがまだ
どこにも行きませんように

祈りながら働き 退勤し スーパーに寄り
息子の宿題を見ながら夕飯を作る
夫が帰ってきたので急いで実家に戻る支度をする
母に電話をしたら
経口補水液を買ってきて欲しいと言うので
棚にある分ありったけ買って
バスに乗る

お父さんの具合はやや落ち着いていて
上体を起こし
少しだけ でも美味しそうに
経口補水液を飲んだ

ちょっとは親孝行できたかな、
おどけた口調で言ったら
お父さんは黙って微笑んで
首を横に振った
もうじゅうぶんやとでも言うみたいに

その顔がずっと胸の底に張り付いている
わたしはそんなふうに
許してもらえるような人間じゃない
意識の片隅で
GIFのスタンプ画像みたいに
お父さんが何度も微笑むたびに
思い出して苦しい
今まで傷つけてきた人たちのことを



















『いしきのかわ』

お父さんは自分の体を出て
いしきのかわを渡りたがった

空のある方へと苦しそうに
細くなってしまった腕を伸ばす
そうしたいのならと
わたしと妹でその腕をいつまでも支える

七つの頃
妹と紀の川で遊んでいた
とつぜん深くなった川底に足を取られ
二人同時に溺れてしまったわたしたちを
お父さんは二人同時に助けてくれた

泳ぐのが得意で河童と呼ばれていたお父さん
河童のくせにきゅうりが苦手なお父さん
あの時わたしの頭を抱え岸へと向かった腕のちから













『おみやげ』

お父さんは生涯 商売人だった
はじめは喫茶店のマスター
その次は貸レコード屋
わたしが小学校に上がる前には
運送店を開いた
お母さんの支えもあって繁盛し
わたしが小さかった頃はよく
遠方への仕事に出ていた

夕飯のときにお父さんがいない日は
"遠くでお仕事の日"
高速道路の休憩所から
公衆電話を通して聞こえるお父さんの声は
いつも少し誇らしそうで 必ず最後に
「おみやげ買うて帰るで」と言って切った

翌日幼稚園から帰ると
お父さんからのお土産があって
それは貝殻の詰め合わせや
好きなアニメの絵柄の
金色の缶に入ったチョコレートで
年末にはクリスマスケーキや
ドラえもんのカレンダーだったり
小学校に上がると
木で出来たうさぎの鉛筆削りや
綺麗な千代紙が巻かれた鉛筆のセットになった

どれももう残ってないし
選んでくれてる姿を見たことはないけど
わたしも遠い街で働くことがあると
息子に電話して
気づくとそっくり同じ話し方で言ってる
「おみやげ買うて帰るで」

お父さん、
あの時こんな気分やったんやね




























『軽トラ』

紺地に燕脂の三本ラインと大きなリボン
かわいいはずのセーラー服がさっぱり似合わず
中学時代は毎日うんざりしていた
好きなものを着て過ごせたら
自分の容姿を少しは好きになれるかと
私服通学のできる高校に進むと決めたら
偏差値を十五ぐらい上げる必要があって
隣の区の進学塾に通った
夜遅くなる時は
仕事帰りのお父さんが
時どき軽トラで迎えにきてくれた
寒い日には甘ったるい缶コーヒーを奢ってくれた

夜中まで勉強していると必ず
トイレに起きてくるお父さんが
「代わりに勉強してやることはできへんのや」
とだけ言って布団に戻った

晴れて春
入学のための説明会にはお父さんが来てくれた
あの日もやっぱり軽トラに作業着で
「お父さんが高校生の頃 バスケの練習試合で来た時には
こっちが正門やったのになぁ、」
と言って
桜に埋もれるように立つ
裏門横の「初志の像」を懐かしそうに眺めていた

わたしは好きなバンドのTシャツに
男の子のようなショートヘアーで
強制される服で誰かと比べられる日々から
やっと抜け出せた

誰にも代われない わたしの人生

美術の授業用の油絵具セットが嬉しくて
助手席で何度も開けて中を見た
油の透明な黄色が
温かい空気の中で揺れて
とてもきれいだった




















『幸福の木』

わたしの身体が大人の身体になったとき
お母さんはちらし寿司を作ってくれて
お父さんは幸福の木をくれた
手渡しじゃなく
お母さん経由で

うちに庭があったら
植えて育てたかったでしょう
鉢植えのまま何年か育てて

枯らしてしまった

幸福って何やろうねぇお父さん
お父さんの人生はとても幸せそうに見えたよ
腰痛や膝の痛みで歩くのすら苦しそうな時も
家のことで苦しんでいた時も
お父さんはお父さんらしい誠実さを貫いた

わたしは 特別なことなどない
当然のように温かさに守られたわたしの人生が好きになれず
だから面白い詩が書けないのだと
自分の人生を恨みまでしました

滅多に娘を褒めないお父さんが
一度だけわたしの自慢をしたことがあった
わたしが詩人として大きな舞台に立たせてもらったのを
友人の坂田さんに酔っ払って話していた
背中しか見えなかったけれど
嬉しそうだった

お母さんみたいに
よく気がきいて かわいらしい
穏やかな女性になってほしかったのよね

二〇二一年九月一三日の午前二時ごろ
お父さんは息をするのをやめた
すぐ隣でうとうとしていたお母さんを起こしもせず
お父さんはお父さんの身体を出ていった
幸福の木は何十年かに一度

小さな白い花を咲かせるらしい
枯れてしまったはずの幸福の木をまだ
胸の内に抱えたまま
お父さんに会えなくなる寂しさのなかで
理想の娘になれないわたしが

静かに羽を伸ばす

















『歯並び』

子供の頃からのくせはまだ治らない
街なかで
赤帽のトラックを見つけると
お父さんのかなって確かめる
確かめようと数歩
進もうとすると同時に
お父さんが乗ってるわけない
ひんやりした寂しさが胸に広がる

お父さんのくせは
横分けのふさふさした白い前髪を右手で撫で上げること
運転席で信号待ちのあいだ
帽子を被り直すためにそれをするお父さんを思い出す
髪が多いのと前歯が大きいのは河野の血
大きすぎて乱杭の前歯がわたしはずっと嫌いだった
今でもそんなに好きじゃないけど
街角で泣くのを堪えながら舌先で歯並びにそっと触れた

お父さんからもらった半分は
この身体じゅうにある



『お父さんのバスタオル』より