【公開 詩のワークショップ】第四回完 白犬

2022年08月31日

第一回
第二回
第三回


私にとって詩とはなにか、というお題で作文を書けとみきさんに言われた。私の詩は、他者に読ませられるれべるでは無いので、まずは作文から、ということらしい。一応5年程詩をこつこつ書いて来た身としては、かなりの屈辱である。でも、私の詩の実力が雑魚なのも確かだ。から、素直に従おうと思う。ただ、はっきり言って、詩とはなにか、ということをしっかり、かつ滔々と述べられたら、それはもう1流の文学者だと思う。中卒の私には酷なお題だ。たぶん今時漫画のひーろーとかでもやらないれべるのきつい苦行、或いは初期装備でらすぼすに挑む位の難行じゃ無いだろうか。でも、恐らくみきさんが今の私に期待してるのはそういう文章では無いのだろう。「私にとって」と付いている。私にとって。そうした文章なら、だいぶ、とても、易しい。私にとって、詩は世界だ(この言葉は実はみきさんに言われた言葉のぱくりだ)。或いは、私に見える世界を形にしてくれる言葉、世界を私に与えてくれる言葉。そしてその世界には美が無ければいけなかった。つまり詩は美であるとも言える。と思う。私にとって。それが無ければ、私は生きてこれ無かった。そう感じて居る。

何故、生きてこれ無かったのだろう。たぶん、頭悪めの私でも言えるのは、世界というか人の社会が、基本的に弱肉強食、力こそぱわーで成り立ってるからだ。と思う。人の世の以前から、そもそも生物の根底には、生きること、そのものが刻まれて居るとされる。動物の多くは、食べることと生殖すること、が生のめいんのようだし、実際、人もそんなもん、のように私には見える。生き物というのはとてもえごいすてぃっくに成り立って居て、こんな言いたいことも言え無い世の中じゃぽいずん、弱いものは生き抜くことが出来無い。それでも、しんぷるな動物の世界と違い、複雑な人の世は無数の嘘や過ちや優しさや主張や痛みを抱えながら、なるべく多くの人が、「幸福」に生きれるように発展して来たのだろう。しかし、それでも、未だ、社会や世界から踏み外れ、零れ落ちて行く人々はたくさんたくさん、居る。私も何かが欠け壊れて居て、そっち側寄りだった。私に欠けて居た、壊れて居た、足りなかったのは、何だったのだろう。

とても幼い頃、夢想することが好きだった。と記憶して居る。お風呂上がりに、すっぽんぽんのまま、2枚重ねのこたつ布団の、2枚の間に挟まって、自分の空想の世界に没頭するのに嵌ったりして居た。もちろん通常のお布団の中も大事で、頭まですっぽり被って眠る癖があり、隣で眠る母に窒息しないかと良く確認された。お布団の中の小さな暗闇で、自分のふぁんたじーの世界に遊び耽けるのが、とても小さい頃の私の習慣だったのだ。それは確か、だいぶ後、10代の後半位まで続いて居たと思う。

子供というのは、ある意味でとても聡明な生き物だと思う。私達大人になってしまったものが思うより、遥かに。彼ら彼女らはとてもはいすぴーどに、貪欲に、自分の周りの世界に触れ、吸収し、自らの糧として行く。その力は、大人にはとても真似出来無いれべるに思える。そして、前述した通り「救え無い、救われ無い」とも思える世界に対して、彼ら彼女らは、彼ら彼女らなりの、対処を実行して行く。そう考えれば、私の夢想癖も、私を取り巻く世界と自分自身に対する、私なりの処方箋だったのかも知れ無い。それは成長するにつれ、漫画の絵や小説のようなものを書くことへと発展して行った。だが、何時までも夢の中で遊んで居ることは出来無い。家族や学校の友達といった小さな居場所を超えて、現実社会への、人としての本格的な参加が始まる10代半ばの思春期に、私は生きることに挫折する。

思春期と言えば、性である(勝手な断言)私は、性に対して、だいぶ遅れて居る子だった。幼い頃に、近所のお兄ちゃんに女性器を弄られて、喜んでおねだりをするような子だったから、むしろ肉体的には好色だと思うのだが、それが普段生きて居る自分の意識に登り辛かった。一致しないのだ。また、少女漫画が苦手だった。可愛らしかったり美人だったりするひろいんが、「文化」した舞台で、すったもんだを繰り広げ、最後はきらきらしたひーろーと結ばれる、というような物語(偏見)に違和感を抱き、興味が持て無いで居たし、少女漫画を読んでじゃにーずに心ときめかせて居るような同級生の少女達の願いは、滑稽に見えた。今考えれば、彼女らはとても健気に大人になる練習をして居たのだろうと思えるのだが。

元気で陽気、そして人の気持ちを察することが出来無いずれた子供だった私は、10代半ばの思春期の多感な世界の中で、少しずつ歪み壊れ、擦り減って行った。なにせ自分の世界観を、友達や家族といった、身近な他者と共有出来ないのである。これはけっこーきつい。そこから、次第に地獄の口は開いて行った。己の容姿を気にし始める。お洒落を学ばなかった田舎の野生児の私は、次第に女らしいふぁっしょんを身につけるようになり、輝き始めて行く同級生の少女らが恐ろしかった。自分が醜く思え、見様見真似で彼女らを真似てみても、私には全く似合わ無い。それもそうだ。私は彼女らが抱いて居るような女心を、その精神を持って居なかったのだから、仕方無い。猿真似。彼女らが何を話して居るのか判ら無い。友達に「どのてれび局が好き?」と聴かれて、「NHK」と答えるような子供だった私には(私はNHKの動物や自然の番組が好きだった)、彼女らの間を飛び交う、ばらえてぃや流行りのみゅーじしゃんの話に、ついて行ける訳も無かった。かと言って、漫画ばかり描いて居るおたく勢の、その熱中ぶりにも違和感を感じてついて行けなかった。誰も彼もが、己のあいでんてぃてぃを羽化させていく思春期に、私は完全に挫折して居た。私には判らなかった。何故、彼ら彼女らが、確固たる「自分」を持って居て、自分の好きなものやしたいことを、知って居るのか。何故異性(場合によっては同性)を求め、せっくすをするのか。戸惑い続けながら、土砂のような情報を浴びながら、高校に入る頃には、私はすっかり萎縮して、折檻された動物のようになって居た。と思う。周囲の変化から取り残され、人の目が恐ろしく、高校でも街でも、心が休まらない。私は学校を休みがちになり、登校拒否を始めた私を、父親は何故折角入った進学校に行か無いのかと半狂乱で怒鳴ったりした。母は黙って俯いて居る。居場所が無かった。結局、私は夏を待たずに高校を止め、引きこもりになった。

白犬 in the darksideの始まり始まりである。何も判ら無い日々が10年程続いた。自殺未遂のようなことをしたり、統合失調症になってみたりしながら、それでも覚えて居るのは、自分にとっては絶望でしか無い中で、藻掻き続けたこと、そして探し続けたこと。だと思う。私の生への欲動は、そのための探究心は、ばぐったdaysの中でも、1mmも進ま無いような、磔にされた上に縄でぐるぐる巻きにされてこーるたーるに沈められたような日々の中でも(※個人の感想です)、ぎりぎり、生きて続けて居た。駆動し続けて居た。そういうものだと思う。最後の最後まで、私達は藻掻くことを止められ無いのだと。結果、私は、排水管を伝う僅かな水を飲むようにして、少しずつ、世界との接点を持って行った。それらの多くは、作品達だった。友達は飼い犬のみちだけだった(へたれ美少年のしぇっとらんどしーぷどっぐだ)親の目を避けた夜中に誰も居ない居間で見る深夜映画、らじおや2chを辿って行きつくろっくな音楽、親の本棚や新聞の書評欄で見つける本、げーむ漫画絵画、少しずつ、少しずつ、見つけて行く、私に衝撃を与え、心を動かさせ、世界を伝えてくれる、そんな作品達。
そして、詩に出会った。

思えば、あの頃の、ほやほやの思春期から青春期の過剰であやふやで首の座りの悪い自我を抱えた私は、おおよそ凡てに、納得が行って無かったのかも知れない。てめぇのけつも拭けない自分を棚に上げてだ。怒りは尽きることが無く、幼稚な理想と圧倒的な現実の隙間で、満たされることは無くて、でも、どうすることも出来ずに、溺れる犬のように、ただただ藻掻い居た(ちな、37歳になった今も、私の自我は過剰であやふやで首の座りが悪い。まぁまぁ特殊な事例かも知れ無い)
けれど、詩の言葉は、親の本棚で見つけた詩集から、新聞の書評欄から、ちょっと変わった例ではろっくの歌詞かーどから。私の目に飛び込んで来た。そしてそれらは、私を納得させる効果があった。それらは、美しかった。見た目の美しさとは違う意味で、それらは私の目に遥かに美しく見えて、そしてそれは、あんぐりーやんぐめん白犬を鎮静させる効果があった。それは、私が幼い頃に夢想し続けた世界の感触にも似て、そしてずっと広がりがある、世界だった。私を納得させてくれるものが、私には必要だったのだろう。

何故、詩の言葉が怒れる若い私を納得させたのか、色々な考えを巡らせることは可能だし、それは私にとっては大事な作業になると思う。ただ、今、文が長くなって来たのと時間が無いので(〆3時間前にこれを書いてる)その辺は割愛する。
とにかく、詩を通して、私が得たものは大きい。とても、とても、とても。さいこーもさいてーも、この5年間を通してたくさん味合わせて貰ったし、それは、だーくさいどに落ちて全くの無力状態になって居た私にとって、生の感触そのものだった。
詩は、私に生と、それを通して触れる世界と、そこに存在する、もしかしたら偏在する、美しささえ味合わせてくれた。私はそこでやっと少し、息が出来たような心地だった。15で引きこもりになってから、30を過ぎるまで、死にてーばかり考えて居た私が、詩に導かれる形で、生きたいと思うようになった。感謝という言葉はわりと苦手だが、感謝しかねー!と言いたい。そして、私は元々は貪欲な質である。こうなったら、もっともっと生きてやりたい。その傍に、詩がずっとあってくれたら嬉しい。詩に、私ともっと踊って欲しい。詩に、導かれたいし、喧嘩したり、遊んだりしたい、たくさん。
そんなこんなで抒情詩の惑星に辿り着いた私は、たくさんの詩に触れられてとても嬉しい。私にわーくしょっぷを持ち掛け、拙い私の詩と、私に付き合ってくれたみきさんは、ある意味詩の具現化のような、ちょっと稀に見る存在だった。有難うございます。

元々、私の1番のお気に入りであった自作、「ring」を推敲してより良い作品にする、という企画だったこのわーくしょっぷ。結局、推敲は巧くいかなかったが、一応、推敲verを最後に置いておく。全然良くなって無い。それでも今の私の全力だ。拙いなりに、これからも、詩を書いていけたら、と思って居る。




「指輪」

きみのひたいにじゅうこうを
それがぼくらのせいなるあいのしるしとなるように

*
*
*

ずっとここで遊んで居たよ
君の心を何度も壊して
knock knock knock
幼い僕が心のどあーを出たり入ったり
駆けて 欠けて
目が溶けて固まる
目が溶けて固まる
目が溶けて固まる

repeat
repeat
repeat

逆再生

心臓にかちりと嵌まったring
魂の殺人、だった?
あのこ 結婚するって
今日も世界中で人殺しが成され続けたりするって ららら

ずっとここで遊んで居たよ

空と地が白く光る
手を振る
遠くに
焼け焦げた
土と心に
雪が降ってたの

人モドキ 獣モドキ 月の下で踊るよ にゃう

何処へも行けないって昔詩に書いたんだ

頭ん中は ずっと 戦場 だったでしょ 今も


柔らかい
魂を
抱く
行為だ


君の頬を抓り
君の鼻を胸で包む

僕の少年

した 、 した 、 した 、と
血の音は永遠のような反響を続けるから
耳を済ませる

僕の少年

るーぷし続ける日々が少しずつ歪んでも

僕らはふぁみれすに行こう びーるとれもんさわーで乾杯して いつまでも百済無い話を続けて 窓の外をへっどらいとが流れ続けて ちきんさらだときゃらめるあーもんどけーきを分け合って ふらふら暗い夜道を歩いて 部屋に帰って
それから出来るだけ長い時間をかけて せっくすしよう 例えば 赦せること 赦せないこと 煙草の吸い過ぎで声が出無い

目は見ていたんだ
性器は濡れていた

零れ落ちる
精液

まるで涙 だ

白い指輪をぷくぷくの指に

光が伸びて影が濃い
まるで人生だね、なんて歌っちゃって

ずっとここで遊んで居たよ

殺して、

飛び立って行く

無数 無数 無数 だ

僕の指が 引金を引く時
君は歌う 君の歌
それは僕を
それは僕を、

飛び立つ時に

きっと僕らは
紛れも無い
愛を願って居た

殴りながら
刺しながら
打ちながら
切りながら
怒鳴りながら
沈黙しながら
犯しながら
裂きながら

さいていく

泣いてる
笑ってる
融解してく瞳を見つめる

君のうたを聴きたい



指輪を嵌めて
茶店を出る


*
*
*


きみのひたいにじゅうこうを
それがぼくらのせいなるあいのしるしとなるように

あいしてる

一緒に海に行こう








白犬