思考を辿る 〜文学フリマに参加して〜 恭仁涼子

2022年06月11日
 私は海を愛している。
 一ヶ月も行けないと強い飢えと苦痛を感じる。
 文学フリマに関するエッセイで突然なんだと思われたであろうが、この文章は、久々に海を眺めて思考した産物の一つである。
 ミキさんから、文学フリマについてのエッセイを書かないかとお声かけいただき、面白そう! と飛びついたはいいが、参加の理由、スタンス、今後の展望......。
 はて、なんだろう。
 それというのも、私は物事の八割を直感で決める。文学フリマもピンときて、かなり早い段階で参加を決めた。今年に入ってすぐくらいのことだったと記憶している。
 私は、直感に深い意味がないとは考えていない。直感とは何かしらに熟考を重ねた上でパッと降りてくるものと心得ている。ならば、その「深い意味」とやらを考えるだけである。
 「深い」かどうかはわからないのだが、先日、江ノ島を歩き回りながら考えていた。


  今回の文学フリマにあわせて『ありあけの月』というコピー本を作った。今回のイベントまでの準備としては、私の中でこれが一番大きな割合を占めていた。
 試行錯誤してWordで原稿を作り、見た目をいい感じにする為に百均の紙売り場をうろつき、印刷後にミスに気づいて刷り直して、ホチキスを扱う際にうっかり指から出血して......。
 そもそも、この冊子の詩群を書くことに関しても、紆余曲折(が適切な表現かわからないが)があった。
 ありがたいことに、今年の二月に第一詩集『アクアリウムの驕り』を上梓させてもらったのだが、先々月だったか、平居謙先生が、多くの方とZoomにてこの詩集を巡り話し合う機会を設けてくださった。
 その場で皆さまから「一番好きな詩」について伺えたのだが、ほぼ九割の方から、詩を書き始めて一年以内の作品が選ばれるという結果になったのだ。
 そこで、どうも自分は初心に帰った方がいいらしい、という気づきを得た。しかし、初心ってなに? 探り探り、自分の心情や見たものを正直に書いてみただけだった。そう、割とすぐに答えが出た。
 そこから『ありあけの月』の詩群を書いた。これは極めて率直に自分の素直な気持ちを書いたものだった。
 正直に書くことと、直感で行動することは、私の中でほぼイコールである。ただ自身に忠実にあるだけなのだから。
 江ノ島の階段をぜいぜい言いながら登りつつ、突然すとんと腑に落ちた。
 私は「初心」というものを振り返るために、思考を辿った。文学フリマに参加するという行為も、きっとそれに近い。思考を辿るためである。
 もちろん、文学フリマに参加を決めた時期と詩集の感想会があった日では前者が先なので、参加の動機として考えると矛盾するのだが、申し込みの際「なにか」を求めているのは明白だった。それが、思考を辿るという行為であったように思う。
 Wordで原稿サイズをどう設定しよう? コピー機はどうする? カラフルな方が親しみを感じてもらえるか? ありあけの月っぽい紙は? 中綴じのできるホチキスは百均で買えるのか?
 冊子を一つ作るだけでも、今にして思えばこうして順に思考しているのである。そして、終わった今になり、その思考を辿ってみる。これが文学フリマに参加した理由だ。
 もちろん、段ボールを用意すること、お手伝いをお願いすること......やることは色々とあった。そして迎えた当日にも、ブースに来てくださった方との楽しい会話の機会があった。
 とても実り多い経験であった。というのはちょっと月並みだけれど。準備を進めて、緊張しながらブースに座り、後日にそれらの思考を辿る。考えてみれば、日常の生活も同じなのかもしれないが、文学フリマのあの空気感はまったき非日常のそれである。あの特殊な空間に、また身を置ければと願っている。 











恭仁涼子