見えないのに見えるとき/ヒラノ

2021年09月25日

「見えないのに見えるとき」


詩の定義とは何だろうか?
それは様々で一括りに出来ないだろうけど、その中にジャーナリズムという要素もあると思います。
書いた時の世相、作者を取り巻く生活環境、訴え、願望、作者のドキュメントともとれる作品は多数あるでしょう。

ニュース、映像、原稿、写真と文章

でも、それだけでは伝えきれない事象は多々あるわけですが今回僕が皆さんと共有出来たら良いなと思う話を書かせて頂きます。つたない文章ですがどうかお付き合い下さいませ。

さて、フランシス・ベーコンという画家をご存じでしょうか?ピカソと並ぶ20世紀を代表する画家として現在でも美術業界で1、2を争う超高額な取引をされる作品を残しています。

同性愛者であり、おそらくジャンキーだったと思われます。彼は絵で喰っていくと決めた時、それまでの作品をすべて破棄してしまいました。そして死後行われた初の回顧展、これは開催にあたり一つの条件がありました。その条件というのは「次のローマ教皇が選出される年に行う」というものです。

生前彼は第二バチカン公会議が発足する事に多大な興味を示していました。教皇、最も神に近い存在。その人類で最も神に近い存在が二つになるという矛盾に着目していたようです。
彼の描く教会関係者の絵はどれも誰もが醜悪な印象を持つでしょう。そして油絵には珍しく作品はガラスの額縁が本人によって装丁されている。「この様な醜い存在から作品を鑑賞する人を守るため」という理由で。

権力、何しろ地球上で神の次に尊い存在がいかなるものなのか?彼はこれを写真と文章では無く絵画によって「告発」したと言えると思います。

ベーコンの告発は言語化できない、写真に収まりきらない、「何か」を確実に捉えており、その「何か」は言葉にしようものなら場合によっては命さえ落としかねないタブー中のタブーである。

もちろん作品には言葉は書いていないのですが子供でなければ「ヤバい」のは間違いなく読み取れる。彼が描く一連の聖職者の絵を見た時の余韻、これは琴線に触れる詩を読んだ後の感触にすごく近い物があります。

行から次の行へ。そのわずかな余白に存在する多元世界。彼はそれを視覚化する事に成功しました。

神の次に尊い「あのお方」
皆が下を向き口を噤んでしまう「何か」

この「何か」というのは言葉にして、だから詩にする事で描写する事が出来るのでしょうか?
もし出来るとしたら、それは行から行へ、次の段落へ、余白の中に閉じ込めるという作業でしか成功しないものなのでは?と思うのです。

素晴らしい作品を読んだ時、心震える時、そういう時というのは自分の心の余白が作品には書かれていない自分自身の言葉で埋まっているのだと思うのです。行間を読む時、本来は書かれていないのに見えて、読めてしまう時、そういう瞬間に作品というのはある種の使命を果たした事になるのではなかろうか、というのが僕の考えです。

素晴らしい詩って何でしょうか?何がどう素晴らしいのでしょうか?

きっとその作品の余白が素晴らしいのでしょう。何も書かれていないんですけどね。自分の中にある言葉が噴き出すような感覚。言葉にすると崩れて無くなってしまいそうだけどずっと心に残る感覚、余白。

そうそう、ベーコンの話なのですが彼の一番素晴らしい作品、これは彼の人生そのものなのだと思うのです。何がどう凄いか?画家で喰っていくと決め、死してなお回顧展まで準備していた。そしてそのタイミング。














ヒラノ