詩とことば(2) 奥主榮

2021年11月23日

詩とことば(2)

第一章 顰蹙をかうようであるが(1)
 第一話 暴力を描いた作家(前篇)

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 子どもが本を読むことを、とても素晴らしいことと語る方々が存在する。とんでもない勘違いをしている連中だと思う。きっと読書が、教養とか知性とかと結びつくと思っているのだろう。
 お笑いである。
 本を読むという行為は、意地汚く野蛮な行為だと、僕は思っている。

 書痴という言葉は、亡き井上ひさしのエッセイで目にした。本好きの人間が、いかに劣情丸出しで本を購入するかを活写していた。
 小学生の頃から、僕は劣情を抱いて本を読んでいた。

 小学五年生のときに、「とべたら本こ」(山中恒、理論社)を読み、興奮した。表紙を開くと、目次の後にいきなり新聞記事の切り抜きもどきが出てくる。どこかの誰かが、競馬で空前絶後の大穴を当てたという記事。そこから物語は一気に記事中の当たり馬券を買った男の家の子を中心に展開する。働き者であった父親が、昼間から酒を飲むようになる。近所の人たちもおこぼれにあずかろうとする。善意の寄付を求める怪しげな人間が訪れる。そんなふうに変わってしまった環境に、主人公が悩んでいるところに学校の先生が介入してくる。ここまで読んだ僕は、「なんだ、また学校の先生が主人公を救い、善導する話か」と思った。そういう本は、何冊も読んだことがあった。しかし、「とべたら本こ」は違った。その先を読み進めて僕は唖然とした。学校の先生は、よりによって最悪の事態へと主人公を追いこんでしまう。「子どもは大金を持たない方が良い」とかタテマエを言う教師もまた、酒盛りに参加する。
 それまで読んだ本の中では出会ったことのなかった、僕が生きていた現実がそこにあった。
 教師なんて結局、体裁を取り繕うだけの存在、子どもは大人の良識や思惑に弄ばれるだけ、そういったことを感じながら生きてきた。そんな漠然と抱いていた意識をこの本は明確にしてくれた。


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 後に知るのだが、山中の「とべたら本こ」は、僕が生まれた頃に描かれた作品らしい。単行本一冊分の原稿を、一週間で一気に書き上げたという伝説も生んだそうである。
 児童読み物の作家としての山中は、「サムライの子」、「赤毛のポチ」という作品を続けて描いていく。どちらも、敗戦後十年ばかりを経て、豊かな生活を目指して歩調を速めていく社会の歪みが描かれている。その中で、いなかったことにされていた人々を描いている。
 特に、「赤毛のポチ」は今なら「トラウマ作品」といった侮蔑的な扱いを受けるかもしれない。物語の本編そのものは、原子爆弾による後遺症に苦しむ少女や、知的障害のある少年に一匹の犬をからめ、いちおう「感動的」な話としてまとめられている。しかし、後書きを読み始めると、唐突に物語のモデルになった犬のポチは、お父さんの股引の裏地にされるために殺されて皮を剥がれたという話が飛び出す。ちなみに、この作品が執筆・発表された昭和三十年代には、犬猫が人間の都合で殺されることなど当たり前だった。是非は別として、そうした社会背景があった。そうした中で、このエピソードには皮膚感覚に迫るようなリアリティがあった。
 余りに無残な事実に付き合わされ、文字通り吐きそうになる嫌悪感をおぼえながら、作者が子ども相手に呵責なく送ってくるメッセージを理解しようとした。
 この作家は、相手が子どもだからと手をゆるめない。苛酷さを突き付けてくれる人だと思った。(同年代の子が書いたこの作品への読書感想文を、どこかで読んだことがある。後書きへの衝撃と、それをあえて描いた作者の「子どもを子ども扱いしていない姿勢」に正面から向き合う感想文であった。僕は、無惨な描写に傷つきながら、そうした作品を通して何かを理解しようとしている同じ年代の子がいることが、とても嬉しかった。)
 僕が子どもの頃にも、こうした作品に拒否反応を示す子はいた。ただ、偶然読んだ文章で、他の子が拒否するかもしれないものを真摯に受けとめている方の存在を知ったのは、僕にとって貴重な体験であった。

 僕は、子どもの頃に、初期の山中恒作品に出会い、心をわしづかみにされた。しかし、山中の賛美者にはなれかった。
 それは、自作の読み手である子どもと全身で向き合って問題作を描いた作者に対して失礼な気がしたからである。
 見境いのない賛美は、創り手への最大の侮蔑である。

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 児童読み物の作家としての山中の最高傑作を僕は「天文子守唄」(理論社)だと思っている。この作品は、山中恒原作作品としてNHKでラジオドラマ化されると知った。真空管式ラジオの時代だった。スイッチを入れたら、ブンッ、という音がして、ラジオドラマが流れ始めた。当時の電気機器は、余分な音とともに始動したのである。番組途中から聞いたと思う。最後のシーンが、妙に寂しく心に沁みた。
 夢中になって耳を傾けたドラマの原作本を、探して歩いた。まだ、目的のものを手に入れるためには、足を運ぶしかない時代だった。あちこちの書店を探して回った。
 子どもの頃の僕は、気弱であった。書店で、「〇〇という本はありませんか」と訊ねることさえ、とても怖かった。どうしても欲しい本に一目出合いたくて、あちこちの書店を自転車のペダルをこいで巡った。大きな書店では見つけられなかったのに、家から歩いて十分ほどの小さな書店で見つけた。(都立鷺ノ宮高校の近くにあったこの書店は、後にラーメン屋となり、今は戸建ての住宅になっている。) 僕は、商品の並んだ本棚から引き抜いた「天文子守唄」を抱きしめ、店の奥にあったレジへ駆けていた。(たぶん、とても狭い店内であったと、今では思う。けれど、当時の僕にとっては、大平原であった)
 こうして手に入れた単行本の後書きには、作品の成立経緯が書かれていた。紆余曲折を経たらしい。細かい事情を興味津々で読んだが、結局子どもにはどうでも良い話だった。

 ちなみに、「天文子守唄」の内容は、こんなものである。
 応仁の乱の頃、治安の悪化した京都の町を荒らしまわる鬼童丸という怪盗がいる。ある晩、一人の貴族の屋敷が鬼童丸に襲われる。その折、懐から転がり落ちたものを拾おうとして、鬼童丸に切り殺される一人の下女。その下女に育てられていた少年がいた。
 育ての母を殺されたムササビという少年が、鬼童丸に報復を加え始めることが、物語の主軸となる。ムササビが鬼童丸に加える報復は、児童図書とは思えないぐらい情け容赦もない。この本、妻と結婚したときに、子ども時代の僕の愛読書として妻に紹介したのであるが、余りに凄惨だということで途中で読むのをやめた。
 鬼童丸に暴力を振るうムササビの描写は、当時まだ父権社会の名残の中で鬱屈した思いを味わっていた子らには、何かすがすがしいものであった。不謹慎で顰蹙をかう言い方かもしれないが。ムササビは、育ての母の為に報復を始める。しかし、やがて鬼童丸の実母が不遇な生涯を送り、死んでいったことを知る。
 まだ、戦後二十五年頃。学校の教師から、体験談として「戦場で、『お母さん』と言いながら死んでいく兵隊はいたが、『お父さん』と言う兵隊はいなかった。」といった話を聞かされていた。何のイデオロギーも絡まない素朴な実体験だったと思う。

 少年ムササビの経歴はさておこう。話題はまた、別な方向へと転ずる。

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 僕は、「今ではアウトな表現」といった言辞が嫌いである。そうした言い回しは、なんだか切羽詰まって描かれた作品群を侮蔑しているように思える。というよりも、アウトという正体不明の言辞で、切羽詰まった訴えを退けているようにも思えるのである。
 自分の頭でものを考えない言い訳を語りたいのかなとか、そう思ってしまう。

 作品個々に対する評価は、相対的なものである。
 作品を描くということには、必ずボーダーラインがある。しかし、作家はそれを越境したいという思いを常に抱いている。

 時には、テロルという手段を選んでも。

 児童読み物の世界で山中が目論んだことは、そうしたある意味でのテロ行為だったのかもしれない。

 僕は、そうしたテロ行為を肯定する。しかし、同調はしない。あらゆる価値観の在り方は、同調されることでは肯定されない。それを僕は不健全だと思う。
 むしろ、批判され、疑われる(叩かれる)ことで、検証され、確かめられるものなのであると、そう思っている。

二〇二一年 一一月 一三日 






奥主榮