詩とことば(7)奥主榮

2022年04月10日

詩とことば(7)

第一章 顰蹙をかうようであるが(6) 
第二話 脅迫者(其の弐)


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 前回、深沢七郎の作品世界の頼りなさというものが、漫画家の花輪和一の世界に似ていると書いた。その後、原稿を書き進めようとして、もう一つ気が付いたことがあった。

 深沢作品の中では、読者が当然の前提としている価値観が疑われる。そうした感覚を僕が最初に味わったのは、藤子F不二雄作品においてであった。それは、表層的なものではない。藤子F作品における価値観の異化は、かなり徹底している。

 僕が小学校に上がった1965年、いわゆるトキワ荘の漫画家はそれぞれ代表作を発表し始めていた。藤子不二雄(まだ二人の共作者のペンネームは分かれていなかった)は、「オバケのQ太郎」で人気を得ていた。(ちなみに、初期の連載作品を見ると、多くのトキワ荘作家の手が入っていることが分かり、とても懐かしい気持ちになるのです。)

 「オバケのQ太郎」、「パーマン」、「21エモン」といった連載を、リアルタイムの読者として小学校低学年で読む中で、いくつか忘れられないエピソードがある。その一つが、「21エモン」の中の、こんな挿話である。当時としては半世紀以上未来の21世紀を舞台にした物語、潰れかけたホテルで客室サービスのために古い特撮番組を借りてくる。(ウルトラマンが最初に放映された時代であった。) ところが、よりによって中で悪者として描かれている怪獣そっくりの宇宙人が宿泊してしまう。地球人が宿泊施設でヘイトな映像を流しているということで問題となってしまう。

 当時は、無邪気に面白い話だと思って読んでいたのだけれど、今から考えるとかなり怖い話である。作家が迂闊なことを描いて「炎上」してしまうことなど、他人事ではないのである。いや、作家ばかりではない。一個人でもそうであろう。

 価値観の全く異なる社会。そうした発想はおそらく、藤子F不二雄が敗戦という経験をしていたからではないかと思う。ある瞬間に、それまで人間の生活基盤であった価値観が覆されてしまう。

 ここでは藤子F論を展開するつもりはないので詳述は避けるが、一見口当たりの良い幼児や児童向け作品の中でも、藤子Fは価値観が絶対ではないことを描き続ける。

 そうした代表作の一つに、「ミノタウロスの皿」がある。この作品では、一人の宇宙飛行士が、牛が進化し人がその下位の生物となった惑星にたどり着く。そこでは、人の幸福は牛(作中ではウスという生物に設定されている)に食べられることが至上という価値観が支配しているのである。

 人が生まれることの目的が、ご主人様である牛に食べられること。この異世界での常識を、主人公は論破することができない。


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 藤子F不二雄は、それを悪として弾劾すべきものとして描かない。そうした異なる価値観の社会があり、否定できないものとして描く。

 私たちの社会が成立する背景には、相手の価値観を尊重することという前提が存在している。その揺るがせない前提が、どのようなものであるかを突き付けてくる藤子Fの作品は、とても恐ろしい。

 社会を成り立たせている論理そのものが、実は異様なものであり、そこに生きている人間の心を歪ませているものなのではないのか。

 そんな問いかけを、藤子F不二雄の漫画から感じることがある。


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 深沢七郎の「楢山節考」は、かなり誤解された作品である。

 年老いたから、山に捨てられる老婆を描いた作品。ということで、理不尽な死を受け入れざるをえない主人公と思われがちなのだけれど、そんな一筋縄でいく作品ではない。

 この作品は、今の私たちが持っているのとは異なった価値観に生きる人間を描いた、諧謔的な作品なのである。

 むしろ、諧謔作品として理解した方が良いであろう。年老いて歯が丈夫であると、村の価値観で意地汚いとみなされる。だから石で自分の歯を欠いて落とす、などという描写は、ギャグでしかないであろう。


 今村昌平は、この作品を映画化する際に、予め深沢に別作品である「東北の神武たち」を作品に組み込みますと伝えたそうである。では、「東北の神武たち」とは、どのような作品であろうか。

 東北のある寒村に、ヤッコとか神武(ずんむ)と呼ばれている人々がいる、という設定である。農家の二男坊三男坊なので田畑を継ぐことができない彼らは、土地や財産を分け与えられることもなく、当然結婚もできないまま、一生村の下働きをして過ごす。彼らが神武と呼ばれているのは、髪を整える余裕などなく、伸び放題の髪を束ねている姿が、神武天皇の鬘のように見えるからと説明される。

ところが、ある分限者がヤッコ達のたたりのせいで自分が病気になったと信じ込む。いまわの際に残された妻がヤッコ達の家を訪れて性行為の相手をしてやるようにという遺言を告げる。

 物語は、その訪れを心待ちにしている一人のヤッコを狂言回しとして展開する。しかし、口臭がひどいことからくされというあだ名を付けられている彼のところだけは、女は回ってこない。

 日本の民話の中には、木下順二の彦一話のように陽気なユーモアをたたえた作品としてまとめられた笑い話もある。そうした作品に比べて、深沢の作品には民話的な笑劇を装いながら、毒気が強い。民話というものが炉辺で語られていた時代には子ども向けの配慮などされることもなく、性的で暴力的な要素を持っていたことを割り引いても、深沢作品にこめられた悪意は度を抜いている。他にも、気に入らない相手の田んぼに水子を捨てるといった描写も登場する。

 ここで描かれているのは、現代の社会が封印してしまった価値観によって支配された社会である。村の中で必要とされる労働力に平等に分配されるほどの財産は存在しない。人間以下のものとして扱われる存在を前提として成立している世界。

 それは、深沢が「楢山節考」や「東北の神武たち」を書いた一九五七年には、けして遠い過去のものではなかったと思う。一九四八年(昭和二三年)には、日本国内で舵子事件というのが発覚している。これは、漁で生計を立てているある島で、人身売買などによって集められた子どもを監禁し、労働力とした挙げ句に死亡者を出してしまったという事件で、脚本家の水木洋子の手によってラジオドラマ化、映画化されている。その一方で、そうした形で数世代に渡って労働力を補ってきた地域の特殊性への配慮が欠けているとして、非難も受けている。
 深沢の描く、一見救いのない状況というのは、けして実感から離れたものではなかったのである。


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 しかし、これらを過去の物語として退けることはできるのであろうか。

 この小説が発表された六年後である一九六三年には、吉展ちゃん事件という誘拐事件が起こる。当時三才(僕と同い年であった)吉展ちゃんという子が誘拐され、警察は最初犯人を取り逃す。結局、数年後に逮捕されるのであるが、家族の願いも虚しく、誘拐された子どもは既に殺されていた。この事件について詳細に調べた本がある。「誘拐」(本田靖春、ちくま文庫)である。同書によれば、犯人の育った環境は、地形の関係で腰までの深さの水田で農作業をしなければならない生活であったという。そうした子ども時代に、水田での労働中に傷をつくったことがきっかけで、犯人は片足が不自由になったのだという。

 また一九五六年から一九六三年にかけて建設され、関西への電力供給の基点となった黒部ダムは、一七一名の生命の犠牲によって完成したものである。

 そして、こうした一見繁栄している社会を成立される前提として、特定の人々が犠牲を強いられるという構造は現在も変わらない。二〇一一年三月一一日、東京への電力供給のために原子力発電所が設営された福島は、日本で第三の被爆都市となった。日本は、広島、長崎、第五福竜丸に続いて、四度目の核の被害を受けた。

 そう、ある社会が安定した生活を送るために、その犠牲とされる人々の存在が前提とされるということは、「東北の神武たち」が発表された前後の時代も、現在も変わらないことなのである。


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 深沢の描く小説の哄笑の怖ろしさは、明らかにそうした世界の欺瞞を見すえた上でのものである。深沢は、そうした自分の立ち位置をしばしば「庶民」という言葉で表す。ただ、ここで言われる「庶民」とは、つつましく質素な生活をし、貧しいなりに思いやりを持って生きている人々の姿ではない。むしろ、そうした幻想とは正反対のものである。

 「異説太閤記」という作品がある。 題名の通り、豊臣秀吉を描いた作品なのであるが、その根底に流れるのは「成功することが果して幸福というものだろうか」という視点である。なまじいに出世し、天下を取ったばかりに、次には自分が狙われ、子孫にまで迷惑をかける。この視点のまま、全篇が貫かれる。

 例えば秀吉と家康の性格の違いを、「上淫」「下淫」といういささか品のない表現で描き出す。自分よりも身分が高い女性を狙いたがる秀吉と、避ける家康。また、後継者がなかなか生まれなかったにも関わらず、ようやく生まれた子を不義の子とも疑わずにいたことを間抜けとまで描くのである。

 権威を身にまとうものへの徹底的な反逆心と同時に、自分が敵と思いこんだ相手は徹底的に辱めたいという執念も感じさせる。

 そのことが、ときには傍目からは異常に感じられる言動となることもあった。

 そうした視点は、ときには露悪的でも思える内容の文章をまとめることとなる。例えば「焼肉物語」という小説ともエッセイともつかない作品がある。(深沢の作品の多くは、小説かエッセイか日記かといった区別が判然としない。) 食べる焼肉の話かと思って読んでいると、途中から葬式で屍を焼く話になっていくのである。

 ある意味、人間という存在をとても即物的なものとして見ている作家なのかもしれない。


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 僕が十代の頃には、深沢はまだ現役の作家であった。

 そして、僕が二十歳の頃に小さな事件が起こった。ある映画に、深沢七郎の作品のアイディアが流用されたのである。その作品は「陽炎座」。監督は鈴木清順であった。

 鈴木清順は、元々日活に所属する映画監督であった。日活時代の代表作は「けんかえれじぃ」。地方都市で喧嘩に明け暮れていた青年が、あるとき北一輝とすれ違う。その瞬間、言いようのない殺気を感じる。後に、二・二六事件の関係者として逮捕されたことを知る。国家を相手に喧嘩を売る人間もいることを知った主人公は、列車に飛び乗り上京する。といった映画である。(若い頃は何の気なしに見た映画だけれど、凄まじい内容の映画である。) ただ、カルト的な人気があったにも関わらず、日活は鈴木清順をくびにする。

 その後、紆余曲折を経て、撮った映画が「ツィゴイネルワイゼン」であった。シネマプラセットという移動式映画館での上映という珍しさもあり、大ヒットした。(僕は確か、吉祥寺のPARCOの屋上に移動式映画館が来たときに、この映画を見た。) 「陽炎座」は、そのヒットを受けて、続編として作られた。この映画は、渋谷の寺院の敷地内に移動式映画館が来たときに見た記憶がある。

 その後、しばらくして、深沢が雑誌に連載していたエッセイで、この映画に自作のアイディアを流用されたことに関して、怒りを露わにするのを読んだ。

 脚本は、「ツィゴイネルワイゼン」に引き続き、田中陽造が担当している。田中は「玉割り人ゆき」など、素晴らしい映画作品の脚本を、多数手がけている。 ただ、先行する「ツィゴイネルワイゼン」も、そもそも内田百間(間の漢字は、正確には門構えの中に月)の「サラサーテの盤」を下敷きにしているが、それらに対する是非は、ここでは問題としない。

 ここでは、当時の深沢の筆致について、触れておきたいのである。自作をパクられたと感じた深沢は、連載中のエッセイで罵倒の限りを尽くす。例えば、「ツィゴイネルワイゼン」というタイトルの由来が「ジプシーの音楽」という意味であることに言及し、ジプシーという差別用語を使うとんでもない作家という非難まで行う。当時、徐々に差別用語の問題が可視化されつつあった。とはいえ、深沢自身、作中では数多くの差別用語は用いているのである。

 ここで指摘しておきたいことは、以下の点である。深沢は、一度自分が敵意をおぼえた相手に対しては、執拗な弾劾を行う。それは、作中で何らかの権威を否定するときに、ある意味悪態のような表現をくり返すことと似ている。次に、事実関係に基づいた的確な非難といった行為ではなく、相手を全否定するような態度を取ってしまうこと。

 作家の中に、一度怒らせてしまうと関係の修復が不可能なタイプの人というのが存在するのは承知の上である。僕が敬意を抱いている作家の中にも、いくらでもそういう方々はおられる。おそらく、深沢もそうした一人であったのであろう。ただ僕は、こうした部分にも、周囲との遠近感が揺らぐ作家という印象をうけるのである。


 ただ、こうした深沢の作家としての資質が、一九六一年(昭和三六年)に大きな事件を起こすこととなる。いわゆる嶋中事件である。この事件について、次回はまとめていく。

二〇二二年 四月 一〇日 






奥主榮