連載:これも愛やろ、知らんけど ⑥墓場のラブソング 河野宏子

2024年04月30日

 中学生の頃、毎週通っていた場所があった。折しも日本中でバンドブームが巻き起こっていた時代。東京のホコ天(歩行者天国)に対し大阪には城天と呼ばれる場所があって大阪城公園のJRの駅から大阪城ホールへの通路にバンドがたくさん出ていた。日曜のお昼ご飯を食べたら20分ほど自転車を飛ばして、友達と一緒に陽が落ちるまでお気に入りのバンドの演奏を観た。中年になった今とやってることは大して変わらない。自転車は新幹線になったしお酒飲んでるけど、それぐらいの違い。その中で一番好きだったバンドが後にメジャーデビューし、上京する前の恋人とのシングルベッドでの思い出をラブソングにして歌っていた。大学生になったわたしはそのCDをバイト先で棚に並べていた。

 そして幾星霜。中年になったわたしはライブ友達と飲んでいて、そのラブソングに歌われていた人の話を聞いた。作ったご本人はその後アイドルにたくさん楽曲提供をしている人物だし、あまりにも良くできた歌謡曲の歌詞みたいな話だから、歌のモデルが実在すると思ったことがなかったけれど、ほんまにいてるんやぁ、へぇぇ!とものすごく盛り上がった。この話だけでレモンサワーが3杯飲めそうだった。シングルベッドさんは今どうしてるんだろうな。たとえば付き合いで行ったカラオケで上司があの歌を歌ったら、あるいはお子さんと一緒にテレビを見ている時に流れてきたら、どんな気持ちなんやろな、など想像してみたが、いずれにせよどこかくすぐったく当時のことを思い出すのだろうな……と猛烈に羨ましくなった。

 ラブソングに限らず、歌は、そして詩も、当時の感情を封じ込めてあるものだから、どんなひどい別れ方をしていようが歌の中ではいつでもあの頃に戻るのだ。中年になり、いずれおばあさんになっても、死ぬ間際まで、その瞬間がその人の中で再生されるだなんて。いいなぁ。 

 そういえばわたしの夫は(ついでに言うと一回目の結婚相手も)兼業ミュージシャンである。作詞作曲をする人であるが、わたしに向けたラブソングは、ない。だが昔の彼女に向けたラブソングは、ある。しかも悔しいかな、わりと良い曲だったりする。何度も君に恋をするのかな、なんていう歌詞を歌う瞬間、夫は誰のことを思い出してるんだろうか。とりあえずわたしじゃないだろう。ふん。

 わたしは超絶めんどくさい女なのでこの件に関しては何度もほじくり返し拗ね飽きているのだけど、振り返ってみたらわたしも夫のことを詩にしたことは(ほぼ)ないのでお互い様だったりする。おそらくだけど、夫のことを詩に書けるのは何かしらの形で別れた後だろう。日常的に存在していたやりとりや血のように循環し続けていた感情を言葉にできると言うことはつまり書き手がそこで感情に区切りをつけている・つけようとしているからで、生活の時間や視点が切り替わる必要がある。逆にいえば、書くと次の段階に進める。

 今のところわたしはうんざりされるほど長生きする予定なのだけど、もしひょっとして夫より先に死んでしまったりしたら、夫はその時わたしの歌を作るんだろうか。どうなんだろう?なんにせよきっと聴けないんだけど。もしもお墓の前で歌われるようなことがあったら、蚊に転生して邪魔してやりたい。









河野宏子