「わが地名論 第17回 もっとも楽しい時の名前を語ること」平居謙
「わが地名論」連載にあたって
詩の中に地名を書くこと。その意味を探ること。これは僕自身の詩集に関わりながら展開する「わが地名論」。この連載を通して〈地名とは何か〉〈詩とは何か〉を考えてゆく。
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前回は、アメリカのヨセミテ公園という、ピンポイントの地名について述べました。今回も海外。ブラジルです。
でも僕はブラジルには行ったことがありません。だから、ブラジルのピンポイントの地名を詩に書いても、きっとリアリテはなかったと思います。しかし、ブラジルの楽しい文化をあるとき僕は知った。
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「カポエイラ2015」という詩の中に、〈ブラジル産〉という言葉が出てきます。カポエイラというのは、この詩の中にあるように、ブラジルのダンスみたいな武術です。奴隷たちが自分の身を守るために、ダンスをしている振りをして練習していた、という悲しい歴史があるそうです。しかしスポーツとしてのカポエイラは、そんな重さを吹き飛ばすほど、豪快かつ繊細。歌と独特の弦楽器の奏でる夢のような雰囲気の中で、愉快な時間が流れます。
カポエイラ2015
カポエイラを始めました
足だけでたたかう
たたかうと言っても
くるくる廻り踊る
武術のダンスのあいのこのようなアレなんです
ブラジル産
だけあって
灼熱の香りがする
僕はもう詩を書くことなんてないだろう
カポエイラが生きることのもやもやをすべて
どこかに運び去ってゆく
練習の休憩時間に
そんな詩が身体中から湧き上がってきた
それで僕はあとになってこんな詩を作ったのです
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地名というにはお粗末で。しかし、カポエイラを暫くやった僕自身の記録として、この詩の中に確実に〈ブラジル〉の語はあるのです。なぜ〈暫く〉なのかと言えば、それには事情がありました。それについて書く前に少し。
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詳細を書けないことを「大掴みする」と言います。具体的な事柄が出てこない、いかにもざざっと物事の概略をとらえただけの段階のように聞こえます。確かにそれはそうかもしれない。けれども、大掴みすることの意義もある、というより大掴みすることでしか伝わらない喜びもあるような気がします。
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最初、大阪は千里中央のカポエイラ教室に見学に行った時のことでした。扉を開けると、みんな逆立ちをしている。それも普通の逆立ちではなく、右肘と左肘と頭をつけた三転倒立。ひっくり返った人間のオブジェがいくつも静かに立っていました。にこにこしながら髭の先生がやってきて、ちょっとやっていきますか?それで、初めて来たのに、ダンスの輪の中に入って足を上げたり側転したり。帰りには、「もう、やるしかないな」と心に決めて帰ったのでした。
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1年半か、2年くらい。随分楽しくやりました。しかし、空手時代からの膝の痛みが引かないのと、三転倒立からさらに、次の段階が来てしまったのも、さよならの1つの理由でした。壁に向かって逆立ちし、手を放して頭だけで身体を支える練習が始まったのです。何度かやりましたが、これが怖くて堪らない。というのも、当時僕は盛んに論文を書いていましたので、「もし、ぎくっと首をひねって、首に痛みが残ったりしたら、仕事に差し支えちゃうよなぁ」とそういう恐れが何より強かった。臆病者です。それで、残念ながら、その次の段階には進まず、楽しい世界を去ったのでした。
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でも、詩の中には〈ブラジル産〉。細かいことを書かないという意味で「カポエイラ2015」は、ブラジルという言葉の雑さ加減とおんなじレベルの大掴み。けれども、そこからこぼれ出る負の要素は書かない、知らない、伝えない。地名の出し方にも、そんな思いが無意識に、ただ国名を書くだけ、に留めていたりするのかなと、今、楽しかった時期を振り返ってそう思っています。
