「五月の稲」湯原昌泰

2026年04月30日

 今年は稲が実りますよう。そう祈り、田植えを終えた五月の夜だった。
 稲田の草庵に一人の男が立ち、門を叩いた。
 身なりは汚れ、崩れていたが、立ち姿は山のように揺るぎない。手にしていたのは、人の身で振れるとは思えぬほどの長刀だった。
 僧はすぐに男を招き入れ、男に対し、座った。

「この草庵には武士が多く集まっているそうだな」
「はあ、皆さんここに集まって、私とよく話をなさってくださいます」
「何故だ?」
「何故と申されましても、ただ、話をするだけでございます」
「お前は悪人こそまず救われる。すでに阿弥陀仏の中にいると、説いているそうだな?」
「どうにも私にはそのようにしか思われませぬ」
「この土地の武士はタケミカヅチを祀る武士だ。雷神、または剣神。お前はそれをわかっているのか?」
「存じております。あのオオクニヌシさまを斬り、アテルイを斬り、熊野の神々をお斬りになった」
「では斬るとはなんだ?」
「思いも及びません」
「名付けだ」
「……おそろしいことでございます」
「お前は妻帯しているそうだな?」
「はい、妻がおります」
「ではお前の妻を呼べ。斬る」
「なりません。妻は私のものではございません。それに、なぜ、お斬りになるのです」
「見るためだ。さぁ、呼べ」
「──お呼びでございましょうか?」
 女が姿を現した。僧はこれを「下がれ」と手で制す。
「いやなに、悪人こそ救われると聞いたものだからな。その言葉、斬らせろ」
「いけません、タケミカヅチさま。試すおつもりなら私をお斬りください」
「いいえ、タケミカヅチさま。どうぞ私をお斬りください。それで常陸の神の御心に、少しの雨が降るのなら」
「では斬ろう。坊主よ、この刀でひとたび斬れば斬られた者は七度死ぬ。お前がやめろというのならやめよう。七度目までに止めなければ、女は永劫、首を飛ばされ続けるぞ。まず、一」

 恵信の首は断たれ、ボトリと一つ音を立てた。
「どうした?止めぬのか?」
 親鸞は目を真っ赤にして首を見る。口からは息が音のように漏れている。
「二」
 タケミカヅチはさらに刀を振るう。二つ目の首が親鸞を見る。
「三」
 親鸞の膝に恵信の濡れた髪がつく。
「四」
 刀は稲光り、その鳴りだけで首は落ちる。
「五」
 溢れた血で畳はぬめる。親鸞は声を圧し殺し、その隙間から念仏が、呼吸のように漏れている。
「六だ」
 タケミカヅチは言い、親鸞の前にはいま、六つの恵信が落ちている。
 十二の目と目が合う。その目が全て、止めるなと言う。
「止めぬのか?それとも、斬って欲しいのか?」
 親鸞は答えない。
「いらぬのか?なら斬ろう」

「七」
 そのタケミカヅチの手が止まる。
 恵信と目が合ったのだ。
 その目の中に、自分でない者が映っている。

 誰一人として動かなかった。
「そうか、お前か」
 タケミカヅチは言い、刀を納めた。
 女はそれでもまっすぐに、男の目を見つめている。

 刀が鞘に納まった瞬間、五月は息を吹き返した。
 無音の先に蛙が鳴く。男は立ち、部屋を出る。

 女は僧を振り返る。僧は男の背なを追う。

 草庵に、雨が降る。





湯原昌泰

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