【企画】誌上 短歌ワークショップ秋月祐一×馬野ミキ

2022年06月18日

2022年6月12日、阿佐ヶ谷「よるのひるね」での朗読会で祐一さんと同席する。朗読会の主催者である奥主さん白糸さんに祐一さんが「歌人」「俳人」であるという紹介を受ける。
少し前に、新宿の思い出横丁で飲みながら一句ひねっていた自分は早速交換してもらった祐一さんのツイッターのダイレクトメッセージにその句を送ってみる。するとすぐに推敲案が返ってきた。
阿佐ヶ谷から北へ、同じバスに乗り途中まで一緒に帰り、この短歌ワークショップはそこからはじまることになる。

講師:秋月祐一(以下、秋)
生徒:馬野ミキ(以下、)



馬:
ちょっと相談があるのですが
自分が運営しいてる「抒情詩の惑星」にて https://poetry2021.webnode.jp
俳句と短歌のワークショップをしてみませんか?
講師は祐一さんが ぼくが生徒です。
ズブの素人が 公開ワークショップで 少しずつ上手になっていく様を
リアルタイムで読み手に公開していくというかたちです。
メールかラインででやりとりできればよいかと思います。


秋:
ミキさん、おはようございます。公開ワークショップのお誘い、ありがとうございます。ぜひ、やらせてください。
 できれば、俳句と短歌ではなく、短歌でやらせていただければ幸いです。
といいますのも、俳句は書きはじめて7年ほどになりますが、人に教えたことがないのです。
一方、短歌は2018年から継続的に、短歌の後輩と短歌推敲セッションを行っています。
これは一方的な添削ではなく、一緒によりよい短歌をめざして、推敲を重ねてゆく、というものです。 サンプルをひとつお送りします。 
「秋と冬」マガジン第6号

これよりLINE


秋:
ぼくが講師役ということは、ぼくからやりとりを始めれば、よいのでしょうか?

馬:
ややこしいてですが編集は自分なので 自分から祐一さんに これから ワークショップを依頼するところから 公開していこうかとも思いますが どうでしょう?

まず、自分は短歌はまったくのズブの素人です
その素人のぼくが読者と一緒に勉強していくかちかがよいと思ってます。
自己分析として、
まず自分は学の無さを根拠とする「語彙」が少ないと思っています。
と、俳句、短歌って趣のせかいのように感じており、もともとパンクロックの歌詞を書くところスタートした自分との「折り合い」について少し心配があるのかな。
歌詞は30年、詩は20年はしているかと思います。
ちなみに「抒情詩の惑星」は去年の九月より運営しておりますが、俳句、短歌を扱ったことがありません。
先日の阿佐ヶ谷での話、興味深く拝見していました。
また、いまの自分が「制限のある中で書くことの面白さ」に興味を持っている ということもあります。
先ほど送らせて頂いた 講師自分 生徒白犬 版のワークショップのように、かなり脱線した話などもそのまま 二人の空気感を伝えるために ある程度リアルタイムでUPしたいと考えています。

秋:
はい。承知いたしました。


馬:

蝉溶けて アロハに土の 都落ち

と酔った勢いもありスマホのメモを祐一さんに見てもらったのですが まず 余白は詰めて  蝉溶けてアロハに土の都落ち としたらよいと言われましたね

秋:
そうです。俳句でも短歌でも、基本的に一字空けは必要ありません。

馬:
ほえー 知らなかった

これはその出会った、朗読会当日、ツイッターのDMで祐一さんから20:08にきた短歌への推敲案です

蝉溶けるほどの暑さやアロハシャツ土にまみれて都落ちせり


秋:
短歌には、季語も切れ字も要りません(ぼくの短歌の例には「蝉」という夏の季語や、「や」とい切れ字が入っていますが)形式が57577であれば、何を詠んでもよい、というのが短歌です。

ちなみに「切れ字」とは、や・かな・けりなど、一句のなかに切れをもたらすものです。


馬:
祐一さん、先日僕ら二人は朗読会でお会いしたのですが「自由詩」も聞く読む ぶんには おもしろいのです?


秋:
自由詩の朗読は、6月3日に上野の水上音楽堂で行われた詩の朗読と本の野外フェス『POETRY BOOK JAM』で聴いたのが最初で、6月12日の奥主榮さん、白糸雅樹さん、そして馬野ミキさんの朗読を聴いたのが2回目です。短歌の朗読会はよく聴いていましたが、また新たな世界を発見した、という感じです。

馬:
新たな世界というと?

秋:
短歌には定型がありますので、聴く側も安心して聴いていられるのです。それとくらべると、自由詩の朗読は、何が起きるかわからない面白さがあります。

馬:
僕がいま 俳句や短歌に感じている魅力は 制限のなかでどれだけ自由になれるか 創造性を発揮できるか ということかもです。


秋:
ああ、その感じ、よくわかります。歌人は(少なくともぼくは)定型を枷(かせ)とは感じていないのです。その中では自由でいられる、というか。


馬:
数日前もまた 思い出横丁で 短歌に挑戦してみました
自分は自分の描いた思惑通りに相手に読み取ってほしい というタイプで どう読み手に受け取ってもらっても構わない。と言えない性格なんですが、と、なかなか言い訳がましくなってしまいそうですが コピペしますね


桝の外こぼれる酒を拾え舌みろよ空には造花の桜

どうでしょう?



秋:
歌の感想を書きますので、すこしお時間をください。


馬:
DM(ツイッターのダイレクトメッセージ)でもしていましたが 相手の句?に対して 句をかえす 文化があるのですか?
短歌は歌か・・・



秋:
和歌は、もともとラブレターだったんですよ。歌を送りあうのが基本でした。
俳句は俳諧の連歌の一句目が独立したものです。なので、相手の句に句を返すというよりは、

575
77
575

というかたちで続けるほうが自然です。

馬:
もともと恋文というのはいいですね 最高です



秋:
ミキさんの短歌への感想です。

「舌」という身体性が入っているのが、まず面白いですね。

「桝の外」は「桝の外に」と字余りになってもいいから、助詞を補いたいと思います。

「拾え舌」は桝からこぼれるお酒を舐める感じなのかしら?
発想を変えて、表面張力でなみなみと注がれたお酒に、口を近づけるとしたほうが、読者に絵が浮かびやすいような気もしますが、いかがでしょうか?

あと、一首全体を見たときに、命令形がふたつあるのが、ちょっとくどいかな、と感じます。

「みろよ空には造花の桜」を活かして、上の句を推敲してみませんか?


馬:
---「桝の外」は「桝の外に」と字余りになってもいいから、助詞を補いたいと思います。---
 oh なるほど 助詞省きました 文字数に合わせようと思い。

---「拾え舌」は桝からこぼれるお酒を舐める感じなのかしら?---
もう床にこぼれてる酒をなめてる感じですが ちとここは難しかったですねえ

---命令形がふたつあるのが、ちょっとくどいかな---
ごもっともです。。

わー 推敲の余地がでてきて うれしいです めずらしい感情かも自分には。



秋:
口語短歌の人が入門書を書くと、助詞は省いてはいけない、でも定型は遵守せよ、ということになるのですが、これだと定型が窮屈になってしまいます。

拙歌を例にしますが、

笑ひながら生きてゆかうよ雪の日にでつかい塩のジェラートなめて/秋月祐一

初句「笑ひながら」は六音で字余りですが、これで問題ありません。「笑ひながら」→「生きてゆかうよ」と勢いよくつながっているかと思います。

四・五句「でつかい塩のジェラートなめて」は助詞を削っていますが、ジェラート「を」なめるのは自明のことなので、この「を」は省略可能です。


つづく














秋月祐一×馬野ミキ