「かれは」 泉 由良
祝福 と おめでとう の違いが
三文字分でも分からなくて
葉の色が変わる季節
落ち葉を靴の下に踏む
街路樹の葉
森林のなかの一樹になりたかったですか?
山のなかで立っていたかったですか?
祝福 と おめでとう の違いが
三文字分でも分からなくて
葉の色が変わる季節
落ち葉を靴の下に踏む
街路樹の葉
森林のなかの一樹になりたかったですか?
山のなかで立っていたかったですか?
みきくんこんばんは 三
日本も十一月が近くずいぶん寒くなってきましたね、でもこのくらいの寒さではまだまだスコットランドのアロアの真夏で、今日の天気ならアイスクリームは売り切れです。
「ふあんなんです」
あっ!あなた、もしかしてよくツイッターで見かけるあの人ですよね...
わたし、ファンなんです
わたし、フアンなんです
わたし、ふあんなんです
「われた社会の窓から」
おふろ場で
おちんちんが
ぴいーんと
上を向いた
・山の水でいける
・うなぎがとれる
・携帯電話の電波がとどかない
「なんでもいけます!」
素直になっちゃう自分が居て、かと云ってブラジャーの金具を噛むことはやめられない。
たとえの話である。
熱を
測ってみる。
平熱である。
生きているのである。
今日は寒かった、今年の今日は寒かった。
安いパスタを買ってきて茹でる
何もかけるものがないので塩を振る
タバコが吸いたいが金がないのでシケモクを吸う
部屋はゴミで溢れている
日々に疲れ綺麗にする気力がない
使い捨てマスクが山のよう
ささいな躓きが
ひとを変えてしまうことは
よくある
欲張るな
日々に垂直に屹立せよ
なんていわれても
地球の表面をやわらかくなぞることしかできない
動物化したポストモダンは
お手紙をむしゃくしゃ咀嚼して
いまやヤフコメや5ちゃんに草も生えない
ぼくのいかりとかけて
振り上げたこぶしととく
そのこころが
どこにもおろせない
ジアスターゼが足りない
消化と昇華は名前が似ているだけの他人だ
すれちがった肩の角度で
ぎりぎりわかるような
秋がふかまってゆく
その重力にしがみついて
スライドしてゆく、愛も勇気も
いまだかつて
未来を諦めたことはあるかい
ぼくは架空の文法を羽織る
そもそもなぞれるような
他人事の人生はここにない
「ごあいさつ」
抒情詩の惑星へ、と書いて、
僕の心は抒情詩ってなんだっけ?
となった。
瞬間、
抒って漢字、前に書いたのいつだっけ?
に移った。
久しぶりの日本での数か月は楽しかったです。
八月になったので再びイギリスに向かいました。
姉のところにまずは遊びに行くのでスコットランドの空港から入ったのですが、八月なのに気温は五度でした。
夏服で出発したので凍え死ぬかと思いました。
みきくんこんばんは。
知り合ってから二十年以上がたちましたね。
二十年前に鳥取で遊んだあと、三年くらいそのまま広島にいました。
あれから今日まで、どこで何をしていたのか話したいと思います。
鳥取では一緒に漫画を描きましたね。
あの後漫画を持って東京のコミックビームの編集長に会いました。
私が漫画を描く仕事をこの先ずっとするかがわからない、と何とも的を得たコメントをいただきました。
あの編集長は素晴らしいですね。
懸念のとおり、あの後一度も漫画を描くことはなく、どうしたことかスコットランドに行ってしまいました。
あの時この先ずっとやることと言われて考えたところ、好きなことなら覚えるのも楽だし続けるのも楽しかろうと、靴を作ることにしました。
絵も好きだったので、靴のデザイナーになりたいと思ったのです。
...
ちいさいころ
時代劇や特撮番組で
お姫さまや可愛い女の子がさらわれて
縄でぐるぐる巻きにされていた
福島のさらに僻地の奥の中学1年生のときに図書館に置いてあったコリン・ウィルソンのアウトサイダーを読む。
へえ、人生って無意味なんだべが?と悩む。
高校1年生のときに朝まで生テレビを見て、西部邁に影響を受け、
やっぱ、大衆ってのは愚かなんだべなあ、おら、大衆でなくてよがっだあ。と思う。
高校3年生のとき、浅田彰の逃走論をよみ、時代はPOP哲学だやなし。と目覚め、東京に行くことを決意する。
大学1年生のとき、宝島社の現代思想入門を読み、フーコーみたいになりてえべした。と思う。
既にその頃は統合失調症に罹っていた。
美術館に並ぶ彫刻のうち、いくつもに鉄の覆いがほどこされ、まるで工事中の建設物のように、警備員が立ちふさがり、何が隠れているかも全く分からないのだという。
俺が総理大臣になったら
自衛隊を廃止して軍隊を整えたい
つまり陸・海・空を廃止し
侍を配置し
刀を装備させたい
にっぽんの武器だ。
この、
われわれのような
たような 人間のようなものが
七十億もいるとすると
やっぱたまには戦争や、
人を殺めることがあっても 致し方ないのだろう な
自分の字も汚いですがそのまま掲載させてもらおうかと思てます。
この原稿は2008年10月10日に、角田寿星さんが「現代詩フォーラム」に投稿された「詩学社、そして寺西さん」を
角田さんの許可を得て、原文ままここに再反映させているものです。
耳たぶをコウモリが掠めて
目覚めると 夜の森林公園
どこにもないよ 落ち着ける場所なんて
骨が軋んで ささくれ立ってる
真っ暗な部屋で
ベッドに伏せると
なんで天井は水面になるのだろ
床はゆらいでゆくのだろ
雨だけれど
いつまでも雨の からだだけれど
僕を産んでくれたのはお母さん
それは紛れもない事実
どんな酷い人生でも産んでくれたのは
お母さん
僕が幸せかどうかは僕にしかわからない
僕は幸せなのか?
生きているんだし僕は幸せだ
幸せじゃなければ死んでしまうだろう
お父さんが精子を送り込んだから
僕はお母さんから生まれた
お父さんが誰でも僕はきっとお母さんから
生まれてきた
世の中にはお母さんを憎む人もいる
何にも楽しい事がなければその人は死ぬだろう
お母さんを憎みながらも
何かしらでも楽しい事がある人は
お母さんを憎む事は筋違いなんだ
お母さんを憎む事は子供である証拠だ
あなたは子供なんだ
僕はもうお母さんを憎んでいない
1度だけお母さんを憎んだ事がある
もっとお金持ちが良かった
もっとかっこ良ければ良かった
もっと才能があれば良かった
もっと・・・
...