「イエス,アイムカミング(終)」 荒木田慧

2022年08月23日

退屈してLの部屋を出る。角を曲がるとすぐ商店街だった。


10月の太陽は日に日に帰路を急いでいて、気付けば西陽がアスファルトを、店々の軒先を、行き交う人々の頬をあかく照らしていた。どこもかしこもまるきり血まみれみたいだと私は思った。吐き気がするほど凄惨で、目がくらむほど生々しく光っていた。


通りの左手に、小さな神社があった。賽銭箱と鈴のある拝殿まで、みじかい階段を上ろうとしてふと見上げると、格子扉の一箇所だけ、小さな穴が空いていた。7センチ×5センチの、長方形をした虚無がそこにあった。


見られている、と思った。


瞬間、恐怖にとらわれて、私はそれ以上石段を登ることができなかった。


眩しくて眩しくて仕方がなかった。部屋に戻ると、Lがどこかからサングラスを出してきた。「これはレイバンだよ、ちょっといいものだよ」。共通の友人であるCから譲ってもらったものらしい。歴史の教科書で見たことのある、マッカーサー元帥がかけていたようなサングラスだった。私はすっかり気に入ってしまい、手元の小銭をかき集めてそれを買った。「Cには内緒だよ」とLは念を押した。


2晩たって、Lにどこからか金が入った。Lは嬉々として、私とRにいくらかの金を返して寄越した。いったい何の貸しがあったのだったか、とにかくこれで私は解放されて、やっとLの部屋を後にすることができた。


手に入れたばかりのサングラスをかけて駅のホームを歩く。どういうわけか世界は変わらず眩しく、よけいにチカチカ歪んで見えた。


池袋で乗り換える。せっかくマッカーサーのサングラスをかけているのだから、巣鴨プリズンの跡地へ行ってみようとふと思い立った。池袋サンシャインシティが建っているあたりだ。第二次世界大戦の戦犯たちが寝起きしていた刑務所が、かつてそこにあった。A級もB級もC級も、戦犯はみんなそこへ入った。多くの戦犯がそこで絞首刑になった。サンシャインシティを抜けて、公園に入る。その薄暗い一角に石碑があった。周囲にはそこかしこに人が腰掛けていた。あいだを生ぬるい、透明な風が吹き抜けていた。


帰り道、サングラスの蝶番がおかしいので、近所の眼鏡屋へ寄った。店主の親父は私のレイバンを手のひらで確かめると、「これは偽物だね」と唇を曲げた。言われてみればそのようだった。店の蛍光灯の下で見るそれは、安っぽいフレームにメッキの剥がれた、見るからに卑しくみすぼらしい粗品だった。親父はサングラスを私の手に返しながら、「とんでもないB級品だよ」と最後に念を押した。その言葉はそのまま私へ、LとRへ、路上の友人たちみんなへ贈られたように聞こえた。私はそれを大切に受け取って家へ帰った。


街はいよいよ眩しさを増し、内側から点滅するように光っていた。


ある朝、中野坂上の地下鉄の昇降口で、私はひとを待っていた。手足が、背中が、身体が重たかった。芯からとろけるようなその重力が、心地よくて仕方がなかった。気付けば私は背中を地面へ投げ出して、仰向けに横になっていた。


空は曇っていたが、雨は降りそうになかった。空気は適切に私と同じ温度だった。仕事場へ急ぐ人々が、下りのエスカレーターへと吸い込まれていくのを横目に見た。彼らには私の姿は見えないようだった。やっと透明になれたと私は思った。


携帯の電池は切れてしまった。

それでもきっとあのひとは来るだろう。


私はただ肉体の全てを世界に明け渡して、そこで待っていればよかった。




(終)


荒木田慧