「インターネット詩は結構決まっている」椿美砂子

2023年04月03日

 インターネットの詩を読むとそのポップさに胸は踊るし魅力を感じる
話し言葉の詩が多い
なのですんなりと心に沁みて来る
難解な言葉遣いもそれ程ない
ないわけじゃないがインターネットには不向きな気がするし書籍ではないので読もうと言う気にならないので通り過ぎる
某黄色いインターネット詩の頁は色んな詩人が老若男女居て面白い
 そこでも難しい詩は通り過ぎる
スマートフォンで読む詩は出来ればロックでファンキーであって欲しい
通り過ぎる詩だからだ 通り過ぎる詩だからこそ交通事故みたいな詩がいい
 反発されるかもしれないが知的さや難解さは詩壇の重鎮な詩人の書籍に任せて欲しいとすら想う
 若い詩人は難解さを含む詩を書く人が多い
 私も若い頃はそれに翻弄された
美しくて言葉の波間にこんな言葉があったのかこんな表現があったのか
そんな詩が書きたかった
 なんかよくわからないけどいいなって言われたかったのだから
私もその頃インターネットの詩の世界があったら多分詩との向き合い方が変わったのだろうと想う
 でも出逢わなく良かったと実は思ってる
多分そうすれば現代詩文庫などには目をくれなかったのだろうから
 インターネット詩は
街のカフェで流れる音楽のような詩であって欲しい ほぼ消費される詩でもあるのだから
でも そこで
え?この曲なに?
となれば探し続ける詩であることもあるのだから
 同人誌や詩集に収納すると輝きを失う詩も実はある
タイムラインから流れて来て心を奪われるのはその瞬間だけという詩がある ぴんと来ないのに詩集という紙物に並ぶとひかり輝く詩もある
 詩というのは不思議なものだ 得たいのしれない詩は多分化け物なのだろう
私も日々毎日インターネットの海に詩を流している 誰かの目に止まってくれたら誰か読んでくれたらと願う
 ただ私は人間が出来ていないので書きたいという気持ちが無性に強い
詩を書きたいのだ
読んでくれたら運がいい
 で想う 詩はインターネットの文字数のまま 詩人は載せてくれたらなぁと願う
ワンクッション置いて頁を開けるのよりはすぐ詩が読めると
瑞々しさが冒頭から入って来るのだから
 ふと想う
今日はエイプリルフールだ
エイプリルフールなので好きなように書いてもいい気がして
エイプリルフールには土曜日がよく似合う





椿美砂子