「ルーキー」石渡紀美

2022年04月14日

おまえがうまれるすこし前

外国で大きな戦争があった
この国の政府はその戦争を支持した
国民の間では数十年ぶりに反戦デモが流行した
みんなで当世風に呼ぶところの〈平和散歩〉に出かけた

センソーハンターイと叫びながら街路をねり歩く時
人々はいっとき日常の殺意を忘れた
          退屈を忘れた
          レクリエイションを忘れた
日々 彼らを生かしめているものたちを忘れた
そういう仕方で、彼らは戦争に参加した

その頃 臨月を迎えていたおまえの母親は
新聞も読まず 
テレビも見ずに
蜜柑の皮をむきながら
隣人の愛し方について考えていた

それから
理性と野性のがっぷりよつのせめぎあいの果てに
あざやかなうわて投げで野性が決着をつけて
おまえのうまれる朝がやってきた

主格から所有格へと転落し
漢字能力と正しい「てにをは」を失った女の胸に植えつけられたものが
すでに彼女を蝕みはじめていた

母性はいつも最悪の事態を考えたがる

夜な夜な繰り返される悪夢のフィルム
食べ物とまちがえて焼き石に手を伸ばす少女
瓦礫の下から聞こえてくる細い声
舞いおこる砂嵐
どこまでも続く車の蛇腹
ひかれそうになるのはいつも、子ども

かーさんがーよなべーをしてーてぶくーろあんでーくーれーたー
って 誰もたのんでねぇよ
 夜なべすんなよ
 恩着せがましいんだよ
 たのんでねぇよ、産んでくれなんて
―いや、それはちがう
 おまえが、うまれてきたんだ
 主語は、おまえだ!

隣人の愛し方
に続いて次は
「いかにして赤ん坊を開いた窓から放り投げないか」がテーマになる
それは十数年後の
「いかにして我が子に金属バットで殴り殺されないか」につながっている
バット殺人されないために
野球をしたがる子にサッカーをやらせればいい、という問題ではない

彼のファーストネームは「希望」
世界の黄昏を生きぬく希望
ミドルネームは「可能性」
彼が独裁者になる可能性

かくして「希望」は生まれけり
生まれたからには育てねばならぬ
私は散歩には、行かない
私は散歩には、行かない

戦争を取り囲んで
賛成の人は赤い旗の下へ
反対の人は青い旗の下へ
どーでもいい人は黄色

―あんたみたいな人がいるかぎり、戦争はなくならないのよ!
―そして、あんたみたいな人もいるかぎりね。

百の育児書よりもおまえを見ていること

ラジオから聞こえる
War is not the answer
しかしなぜ答えが要るのか?
All you need is LOVE
ではどんな種類の?

「泣きやませテク」って なに?

―声がかれるまで泣いたら
 のどがかわいたので
 手近なおっぱいで水分補給をして
 その後でまた泣こうと思っていたのだが
 なんで泣いていたのか忘れてしまった
 それで、てれかくしに寝たふりをしたら
 親はだまされて喜んだ

ママのミルクは鉄のあじ

女に2種類、在って
かわいいおばあちゃんになる女と
魔女になる女
後者に育てられた赤ん坊が
世界を黄色に塗りかえてゆく









石渡紀美