「最後の生き証人として立て直す日まで」TASKE

2021年09月27日

「最後の生き証人として立て直す日まで」

TASKE...今までの人生の半分以上は、この名前で過ごして来た。 自分の中では享年10歳11ヶ月という若さで一度他界した事にしてるので、基本的に現時点でも本名は非公表にしている。 

1974年12月13日、本妻がいながら産んだら別れると言う約束の許、戸籍上の親父とお袋の間に健常児として東京・神田で生まれる。 しかし、尻の下に敷かれてた親父は本妻と別れられず、裏切られたお袋が養育費を請求した所で本妻が逆上したせいか、行動把握、住居侵入や電話盗聴などが始まった。 当然、自分はまだ知らなくて、当時お袋からは「お父さんは仕事でフランスへ出張に行ってる」としか聞かされてなかった。 以降、何度かお袋は東京・千駄木にあったお爺ちゃんから管理人を継いでた伯父から任せられてたアパートの家賃を収集しながら、警察署や弁護士会を往復したりしてた。

 1985年11月27日、お袋が都内の警察署へ行ってる間に、夕方5:10、加害者組織の一味の暴力団風が運転する急カーブして斜め後ろから突進して来た車に轢かれ計画的に救急車で藪医者へ連れてかれ、集中治療室に放置され、心電図一本になったりするも数ヶ月間生死の境目を彷徨った。 奇跡的に落下地点がボンネットの上だったので、とりあえず生き残れた。 

当時、お袋はぶつけた運転手の暴力団風M.Sに「このまま病院へ行かなければ、月々三百万一生払う」などと不当な要求をされたが、当然断ったら嫌がらせに拍車が掛かった。 1986年3月頃、病院で深夜に枕元のブザーを切られてたりで当時の親戚に連れられるように自主退院。 複雑骨折の為まだ歩行困難だったけど、自宅へ移ってからの方が歩けるまで早かった。 それでも、半年位は車椅子生活で別のリハビリテーションセンターでは「身体障害者手帳1,2級出しましょうか?」と言われた程だったけど、お袋は普通学級へ通わせたかったのか断ってしまった。 当然、当時の親族には猛反対されてた。 で、小6から通学再開するも修学旅行とか殆どの行事には行けず、物足りなさや体力の低下などに違和感を感じつつも中学へ。 

この辺りから、徐々に自分が母子家庭だったと気付くようになる。 

1987年11月某日 突然の電話、アパートの管理名義人でお袋の良き理解者でもあった伯父が何者かに腹を強く殴られたかで死んだとの知らせを受ける
お袋と自分が埼玉の田舎へ行くと確かに腹に痣は付いてたし鼻の穴にコットンは詰められてた。
でも、まだ心臓は動いてた。
なのに何処かの暴力団と関わりのあったお袋の長男に怒鳴られるがまま強引に死んだ事にされ、生きたまま火葬されてしまった。

 翌88年11月某日 お袋が、千駄木のアパートの住人のひとりから電話で「地上げ屋に『この土地買いました。今すぐ立ち退いて下さい』と言われた」との報告を受ける。 今思うと、この乗っ取りを成立させる為に87年11月に伯父を殺したのだろう。 後に、三社転売で別の悪徳不動産からも被害を受ける事になる。

 1990年3月某日 地上げ屋の事件が悪化して来た為、中卒後上京。 当時も、住居侵入や電話盗聴などは続いてた。 もはや勉強どころじゃなかった。 やがてアパートの住人は次々と立ち退いてしまい、隣の家も地上げ屋に丸め込まれたように引っ越し更地になってしまってた。 そして某テレビ局の取材が入り、当時構成を担当してたスタッフS.Iも裁判を傍聴した時は「可笑しな裁判」と語ってた。 それこそ地上げ屋側の弁護士Y.Kも当時民事介入暴力対策委員をやってながら、暴力団風な地上げ屋の手付金100万円に転び悪事を働くような出鱈目な人間だったので、其処に真実の追求なんてなかった。 

1992年2月24日、某テレビ局が地上げ屋にコンクリートの塀と2階の部屋の屋根裏を壊される場面を撮影しに来る。 同年6月17日、某テレビ局の特集番組が放送されたので見てみたら、あれから地上げ屋に丸め込まれたのかナレーションで「正当な売買契約を交わしたにも関わらず計画が実行出来ない事への損害賠償請求です」などと加害者側の一方的な嘘を吹聴され、そのヤラセのせいで近所の評判も悪くなり事態は更に悪化した。 

因みに、その番組のディレクターを担当したN氏は後に首吊り自殺したらしい。 

もともとこの事件は芸能界や暴力団絡みだったのはわかってたし、お袋から加害者が「個人的な所から大きな枠へと絡ませ撹乱戦法を狙って来た」や「血縁や怨恨、宗教、汚職、賄賂がどうのこうの」とかよく聞かされて来たけど、まさか此処まで酷い状況になるとは思わなかった。 そんな状況下で過ごした思春期。 身内までもが加害者側に蝕まれてくように次々とバラバラになり、もはやお袋しか信じられる家族はいなかった。

 成人式を経て2日後の1995年1月17日、千駄木の家は地上げ屋の裁判所ぐるみの大型詐欺が故に不意打ちに土足で上がり込まれ、荷物を外へ出されて取り壊されてしまった。 あの日、20年間の思い出や卒業アルバムとか何もかもが奪われた。 無断で倉庫に預けさせられたけど、全財産乗っ取られて身動きも取れず保管料も払えるワケもなく結局、無断で処分された。 その後も10数年間戦い続けたけど、事件の被害は堂々巡りでやられっ放し、正義は負けると言うのを身を以て思い知らされた。 気が付けば時効まで振り回されてた。

自分もお袋も精神的に限界だった。

正直、人生に疲れてると言うのが本音だけど、まだまだ損した分を取り戻す、いや、それ以上の達成感を得るまでは負けてたまるか、死んでたまるかと。

もう事件が時効になってしまい、加害者共に刑罰を与えるという目標が断ち切れてしまったので、余程の事がない限り本名は非公表にしようと決めた。 心の中で本名の自分は死んだ事にしつつ、人間らしい生活を取り戻す為に今日も余生を歩み貫いてる。 

2012年7月21日、生き別れの親父死去。
 2018年4月10日、唯一の親であるお袋死去。

最後の砦...こんな俺だけど今からでも間に合うのなら、良き理解者で且つフィーリングの合う美人で若い女の子と結婚して、出来れば子供を作って幸せ家族計画を築き上げたい。 
勿論、本名の自分もTASKEという本体が生きてる限りは、いつでも生き返す事が出来る。 2021年9月現在、既に46歳なので自分が年老いてしまう前に、世界情勢が更に悪化する前に、そして何より殆ど経済力がないけどいつか一家の大黒柱になれるように頑張りたい。

















TASKE