「TVゲームで死にかけた話」PARA

2022年05月10日

    そもそもトランプや花札を作っていた会社が何故こう言うのを作ってしまうのか未だ不思議に思う、それはゲームウオッチで遊んでいた頃からだった----------

     以前アパートだった六畳一間二部屋を押し入れの壁をぶち抜き、ようやく俺一人の部屋を持てたのは二十歳過ぎた頃と記憶している、ウッドカーペットを敷き壁と柱にペンキを塗ってコンセントのカバー交換もやった、親父のサポートもありつつも自身で作った独り部屋の暮らしに馴染んできた頃の話。

     親元で暮らし、学卒ではないが一流と言われている企業で働く会社員が、散財しなければ貯金はたまっていくもので競馬やパチンコの話が絶えない職場において、先輩や同僚に万単位で金を貸す傍らTVゲームくらいしか紹介する趣味がない俺に対してしばしば揶揄する先輩がいた事を想い返す、コミュニケーションと理解しているが貸す側の立場としてはあまりいい気分ではない。一番インパクト強い揶揄は、当時も今の俺も笑ってしまうくらい強烈だった。

    でかいファミコンでも買うのかよ!(たまった貯金で) ----------

     6日サイクルの交替制、翌日に昼勤を備えた休日、コタツを隔て27型TV画面と対峙している、セガサターンをセットする、この日は一日中TVゲームに浸かろうと意気込んでいた、ソフトを片っ端から遊んでやろうと意気込んだ、新しいソフトは特になく今まで遊んだ繰返しだが。

    新しいゲームをクリアすると言う快感は新鮮なもの、一旦クリアしたゲームを再びクリアするのも新鮮味はないが達成感を味わえる、またクリアせず途中で投げたゲームももしかしたら新たな進展が有るかも知れないしとにかく期待に胸が膨らんでいたのだが、ゲームの進みがイマイチ悪く、よし次はこれだと繰返す内ふと思いがよぎった。

    何をしているのだろう俺は?今後もこうやって一生過ごすのだろうか? 俺は馬鹿か----------

    思い込むと一辺倒である、死のうと言う意識が働いたのは小学時代にいじめられた時以来か、今度のGWに、富士の樹海で身を投げよう、この日は以降その計画方法を悶々と妄想しながら床に就いた。

    翌日、感情が少し壊れてる。親や会社で先輩の後ろ姿を見る度に感謝と申し訳なさでトイレに駆け込み泣いた...のだが、休憩時間、昼休み...時が進むにつれてその気が薄れて行った。なぜそこまで考えが至ったのかも疑問が生じる様になり、今度は逆に生きたいと言う意味を探し求めるようになる。定時で帰宅して、餃子をたんまり焼いてニンニクおろし酢醤油とご飯を掻き込んだら元気になってしまった。死にたい衝動は以上である。

     振り返ると考え方が稚拙である、樹海で身を投げると言うか身を投げる場所か在るのかも分からない、準備も段取りも全く考えになく段々実行できるか疑問が沸いてくる、ここで分かるのは衝動が強いとそれしか考える事が出来なくなり、他に考えが行渡らないことだ。

     この考え方、TVゲームにおけるデジタル感と言うものに近くはないだろうか。はい、いいえ、みたく少ない選択肢、8bit16bit32bit64bit...グラフィックが細かくなろうともポリゴンの角は永遠に丸まる物ではなく現世との乖離は塞ぎようもないのだ。

     二極化、二元論、階級社会、デジタル文化、いくら細かくなろうが現実との違和は拭えない----------

     否定はしない、あの日以降TVゲームは余りやらなくなったが反面、職場の話題はプレステを筆頭にTVゲームの話題が出だした、そして俺の趣味は映画に移行していた。コントローラーを必要としないTVゲームだ、おおよそは肚の落ちる展開になってくれるし、操作せずとも動いてくれる。現在の趣味である詩作や朗読に至るのはまだ先の話である。

     LSI平安京エイリアン、エイリアンに食べられない様、検非違使が落とし穴をあける、ただ俺は近づけたくも無く怖いので落とし穴を開けまくりエイリアンが隣に来るのを待った。友達ん家の縁側で、何やってんだとあきれさせてた。画面に示されてる様に心にも穴が沢山空いていて塞がれて行くのを求めていたのかも知れない、エイリアンと言う恐怖の対象をも利用して。----------

     小学時代に流行ったLSIや液晶、中学のファミコンまでは友達、人との交流が存在していた。高校では学校へ行く以外は引きこもりだったのでソフトを交換して一人で遊んでいた、兄とも一緒に遊んだがあくまでもソフト提供者だった。そして就職、した当時は屋外に出る事さえ抵抗があった。職場の人達は学生時代の友人とはまた違うものだと感じている、それは今もそうだ。その頃の様な友達付き合いを求めていたのかも知れない、今はソーシャルで話題も共有出来るし満たされるようになっているとも思える。

    でもやっぱ人だよね、人がメディア利して触れ合うのが本来で、人がメディアに振り回されちゃアカンのよ、そうなりそうなんで社会に警告しとく!---------- 

    娘は朝からずっとスマホだ、今日はお友達とお出掛けらしい。

    因みに俺のステージネーム"PARA"は、PCエンジンソフトシューティングゲーム "PARANOIA"の先頭4文字を取っている。----------