これも愛やろ、知らんけど。③絶句してたい 河野宏子

2024年02月08日

「子ども作っちゃえばいいじゃないですか〜」付き合って長い恋人が結婚に踏み出さないとこぼしたわたしに、Aキちゃんはあっけらかんと言った。絵に描いたような平成の社員食堂だった。会社員時代、大阪のオフィス街船場の自社ビル最上階にある社員食堂での昼休み、後輩のAキちゃんとたまにご飯を食べることがあった。バリバリのギャルで、濃いメイクや絶妙に本音を出すコミュニケーション術を駆使してどこでもカーストの上にのしあがるであろうタイプの女の子で、生粋の陰キャのわたしには眩しい存在だった。作るいうてもどうやって。「ひにんせんかったらええやないですか!」いやぁそれそんなうまいこといくの?昼間の社食であんまり露骨なワードを出さないで、とまごついていたら、遅れてやってきたM本さんが席に付きながら言った。「え?たまに盛り上がりすぎて忘れること、あるよな?」「ありますよねぇ〜!きゃははっ」M本さんはひと回り上の、とても仕事ができる先輩。メガネにおとなしめのお化粧で控えめながら根回しや重役さんの扱いが超うまい。どんな時も落ち着いて話すM本さんからまさかそんなワードが出てくるとは思わず、呆気に取られた。盛り上がりすぎてそんな大事なことを忘れる?わたしの人生においてそんなことはそれまでの人生で一度もなかった。この会話はうんと以前の話なのにまだ鮮明に覚えている。ひょっとしてわたしが冷静すぎるのか?世間の人はそれぐらい当たり前に自我を捨てて一瞬の勢いに身を委ねているのか。自分が不具者の烙印を押された気持ちになって、一瞬周りの音が遠くなった。

あらゆるものを案ずる臆病者のわたしは、流れに身を委ねるのも怖い。子どもを授かることがあるなら、それは貯金をして籍を入れてお互いの仕事が安定してから。若い頃からそう考えていた。付き合ってきた恋人たちはいずれもきっちり避妊をするタイプのひとだった。当時付き合っていた恋人も例外ではなくて、その流れを変えられるとは思えなかった。社食での会話があまりに衝撃的だったため、その晩恋人との電話でそのことを話すと彼は「そら、いつ子どもができても変わらず好きでおる、一緒にいられるっていう確証がお互いにあるからちゃう?幸せなことやん」と言った。そうか、そうなのか。わたしはてっきりあなたがわたしを大切にしてくれているから避妊するんだと思ってたよ。と言いながら悲しくなって電話を切った。この男はその後もプロポーズしないまま、痺れを切らした両家の親にゴリ押しされる形でわたしの夫となり、「良かったぁこれで地デジ対応テレビが手に入るぅ(※アナログ放送が終了し地上波デジタル放送が始まる頃のお話です)」と冗談を言ってわたしの人生に禍根を残した。死んでも忘れない。

詩人だからロマンチストで雰囲気に流されやすいかというとそうでもない。むしろ逆で、おそらくとてもエキサイトしている状況だとしてもその直後に「今先ほど自分の身に起こったことを2000字で書け」とPCを差し出されたらきっと書ける。しかもいくつかタッチを変えて書ける。つまらない。臆病者の脳内から語彙という自我が吹っ飛ぶことはなく、いつでもそのレンズ越しにしか世間と対峙できない。言葉なんか覚えるんじゃなかった、と書いたのは田村隆一。言葉を失った瞬間が一番幸せ、は宇多田ヒカル。ほんとそうですよね。できればのべつ絶句していたい、と書いていたのは谷川俊太郎。わたしもそう願う切に。何にも考えずにいられるのは、ビデオゲームに没頭している時と爆音の中で踊っている時ぐらいのものだろう。年明けに難波ベアーズで見たパンクバンドのライブで久しぶりに熱狂し怒りの感情吐露が止まらなくなって困ったことがあった。が、ライブハウスを出て5分後には「最中ほとんど吠えている状態に近かった」とスマートフォンのメモに書いてしまっていた。病気だ。もしくは言葉に呪われてるのかもしれない。

話をひとつ前の段落に戻す。夫の愛情は冗談にまみれていて当時から得体が知れなかったがそれは今でもそうだ。結婚したら、子どもが生まれたら見えるのかなと思っていたけれど息子が10歳になっても見えない。わたしがほしいのはそういうんじゃない!思い出に残る宝石みたいな言葉がほしい!と結婚した当初は駄々をこねた気もするが諦めた。可愛いとか愛してるとかほとんど言われたことがない。「それは、あなたかてそうでしょう」と夫は言う。確かにわたしも夫に言葉で気持ちを伝えたことはほどんどないし過去の恋人たちにも甘い言葉などかけたことがない。詩人なのにねぇ。なんでなんだ、ってきっとそれは、詩人だからだねぇ。昔から「全てに淡々としている」と言われる。人から見たわたしは随分とのっぺりしてるのだろうな。胸の内ではいつでも、嫉妬深い臆病者がテンパっているというのに、夫もわたしのことがよくわからないのかもしれない。

この臆病な波動が相手に伝わるから凪いでしまうのかもしれない。人間と人間は鏡だから。件のベアーズでのライブは演者の振り切れ方が本格的に凄まじかったので音に煽られこちらも言語や理性を吹っ飛ばすことができた。とするとわたしが避妊を忘れたことがなかったのはつまりわたし自身が理性をかなぐり捨てられるほどの状態になったことがないし過去の相手たちもまたわたしに対してさめていたってことに他ならないのか……。なんか書いてて自分の文章に傷ついてきた。うぅ。今日もひととき言葉を手放すために、スイカゲームに没頭する。