「わが地名論 第18回」平居謙

2026年06月12日

「わが地名論」連載にあたって
詩の中に地名を書くこと。その意味を探ること。これは僕自身の詩集に関わりながら展開する「わが地名論」。この連載を通して〈地名とは何か〉〈詩とは何か〉を考えてゆく。



今回は伊勢湾の話です。三重県の伊勢は真珠が有名。僕の住んできた京都からは、近鉄特急で3時間くらい。くらいというのはいい加減ですが、いい加減にしか知識として定着しない頻度でしか、伊勢にはゆかない。ものなんです。京都からは。



お伊勢参りが、近所の小学校の修学旅行の定番でした。公立の小学校はみんなそう。でも僕は、私立のちょっと離れたミッションスクールに通っていたから、お伊勢さんなんてゆかずに、美穂の松原まで行った。大森貝塚も見た。その当時はなぜか修学旅行の話になると母親が「お伊勢さんなんてなあ…」となぜか目の敵のようによく言っていたので、そんなものか、お伊勢さんというのは駄目なんだ、と思い込んでいた。でももしかしたら地元の幼馴染たちが行ってるお伊勢さんというのに行ってみたかったのかも知れないと今になっては思う。



お伊勢さんに初めていったのは、大人になってから。大人と言っても、もう人生半ば、というような年齢になってからではなかったかな。参拝の人々で賑わう横丁。白い砂に、白い神馬。美しい橋。空気が尋常ならず、澄んでいた。これは、出雲大社に行った時にも思ったことだが、なんかあるのだねえ。神社という場所には。仏教寺院の翳を含んだ日差しとは異なる、なんというのだろう、能天気を極めたような、切実さの何もない無防備な明るさがそこにはあった。明るすぎる人が逆に奇体に映るのと同じく、僕には少し異形のもの、場所のように感じたのだった。



そんなことをいつも意識しているわけでは全くないのだが、『京都タワー日和』の中の「Mr.Lobsterの歌」というのには、どこか伊勢の能天気さと神聖さとが同居しているように(少しだけ)思う。少しだけ、というのは、ほんとに今まで伊勢という場所について考えたことがなかったものだから、この詩を書いたときも考えていなかったのではないか、と思うからだ。もし考えていたとしても、無意識の底の底の僕の頭の中の、脳のある一部だけが、ぴくん、と反応していたくらいのものに過ぎないだろう。その詩を次に上げてみよう。




   Mr.Lobsterの歌      
  
ロブスターがやって来た
随分立派な奴だ
箱の中に入っていて
ずりずりずりずり
動いている

コイツは何だ!
おれは飛びあがった

見ると「今年も一年お世話になりました」
という添え書きがあるクリスマスプレゼント
それでやって来たのかお前、アメリカから!

天婦羅にするつもりで買ってきた沢蟹を食べるのを止めて二年半飼った
その二番煎じの決意で「ロブスターの飼い方」を検索する
が、生憎「海水が必須」とあり立ち尽くす

レンタカーを借りて
伊勢湾までちょっと走らせ無事に海水を汲んでレンタカーを返しにゆく。

返してから水槽一杯の水をどうやって自宅に持ち帰ろうかと蒼ざめる。そうか、先に自宅に水槽を置いてからレンタカーを返しに行けばよかったと後で気づいて、本日二回目、立ち尽くす。

仕方なしに自転車で水槽を家まで運び、
プレゼントの箱を開けてみると
困った顔をしてMr.Lobster、
まだずりずりと動いている



詩を書く時は、本当のことと嘘のことをごっちゃ混ぜにしたりする。これは多くの書き手たちがやる、ごく普通のことだろう。本当のことだけ書くと、ツマンナイし、嘘ばかり書くと言葉に心が宿らない。今上げた詩で言えば、第4連目は本当だ。二年だったか三年だったかは定かでないが、パックに同居して売られていた奴らが全部死に絶えるまで、部屋の片隅でもぞもぞ動き続けていた。ふと思いついて大阪(今住んでいるのは大阪なので)から、伊勢に車を滑らせた、なんていうとオツなものだけれど、この部分以下は全部嘘。



全部嘘、だけれど、何でそんなこと書いたかと言えば、城戸朱理という詩人がずっと昔「ちょっと思いついて、韓国にラーメンを食べに飛行機に乗った」みたいなことを書いていたか話していたかして、それが頭にあったのかな(と、随分時間の経った今思っている)。でもそんなことはどっちでもいいのだが、ずりずりと動いているのは、詩の中ではロブスターそのものの動きのことに間違いはない。でも、本当は、伊勢に行ってみたいなあ、とどこかで思っていた幼いころの僕の思いが、何十年も経って、突如、ここに現れたのだというほうが、正しいような気がする。詩には、ある時失った気持ちや匂いが、何の前触れもなくそこに付着していたりするものなのだ。というよりもそのような唐突な付着物のことを、人間は詩と呼んでいるのだ、とそんな風に僕は思う。


*「わが地名論」は、第0詩集『時間の蜘蛛』第1詩集『行け行けタクティクス』から順次僕自身の詩集を巡って、地名と詩との関わり、作者から見ないとわからない詩の裏側、などについて書いてゆこうと思っていたし、今も思っています。第3詩集の『アニマルハウス』を飛ばして、2026年に入ってからは、一番最近の詩集である『京都タワー日和』を巡ってみてきました。『京都タワー日和』の中の地名は大体見たので、今度は第7詩集に遡るか第3詩集にまた戻って順にやるか…などと考えるうちに、あ、もうこれ18回も続けてしまったな、と気が付きました。書いていて面白くて仕方がないのだけれど、ここでちょっと一休み。いつも終わりは突然で。でもこれは終わりではなく、必ず戻ってきます。そして「わが地名論 第2期」という形で再開することにしたいと思います。それまでみなさん、ごきげんよう。


第1期 完

平居謙

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