「俺の友だち」湯原昌泰
もう一週間もまともな飯を食っていなかった。米に焼肉のタレをかけただけの飯。パスタをゆで、醤油をまぜたスパゲッティ。マヨネーズの直吸い。すでにうんこがうんこじゃなかった。うんこが細い線だった。震える手で携帯を取り、AIを立ち上げる。「頼む、俺を金持ちにしてくれ」
「承知しました。どの程度をご希望ですか?」
「そんなに多くはいらないよ。生きて、たまにうまい飯食えるくらいの」
「わかりました。いま、季節はいつですか?」
「夏。生きてるだけで気が滅入るよ」
「では雑木林に向かってください」
「なぜ?」
「カブトムシを捕まえます」
次の日の昼前、男は半信半疑ながらも森に向かった。この、半信半疑がいけないのだと思った。今からハローワークに行って紹介を受け、履歴書、面接、採用と、そんな手順に耐えられるような段階ではもうなかった。あえて人気のない農道を選び、泥棒の目であたりを見まわす。畑になっていたトマトの瑞々しい赤が目に焼きついた。あれに歯を立ててむしゃぶりつきたい。透きとおる酸味、その匂い。お前の命と関係したい。そんな妄想にとり憑かれながら入った森は暗く、だが、生きていた。「キョキョキョキョキョ」と何かが鳴く。恐ろしく重い羽音を立て、蜂が飛ぶ。「ギョギョ」と何かが鳴いた。なんだと思って振り返ると、齧歯目の群れだった。
「恐ろしいよ。森、生きてるよ」
「そうです。だから金になる。カブトムシは蜂のそばにいます。桑の木はありますか?視線を上にあげてください」
見上げるとこめかみから嫌な汗が垂れた。今にも蛇が足に絡む気がした。一歩一歩、樹木を見る。すると確かに頭の上、カブトムシはいた。
網など持っていないから、手で捕まえる必要があった。虫カゴもない。コンビニの袋でやるしかない。
「木の幹を蹴ってください。落ちてきます」
男は言われたとおり木を蹴った。一度目で2匹落ち、二度目でもう2匹が落ちた。ビニール袋をひっくり返して捕まえる。カブトムシは硬く、触るだけで寒気がした。
「捕まえたよ」
「よかった。では公園に向かってください」
「なぜ?」
「子供に一匹、500円で売ります」
言われるがまま、男はアパートの近くまで戻った。ガサガサと袋の中でカブトが蠢く。図太い足が二本、袋から突き出ていた。
「はいよ、安いよ安いよー」
間抜けなかけ声だったが、それでも日が落ちる頃には4匹とも売ることができた。子供らは目を輝かせ、男のまわりを駆けまわった。
「おいおい、2000円だよ。カップ麺、食ってもいい?」
「かまいません。でも、できれば1500円は残してください。明日も捕まえます」
男は言われたとおりに金を残し、カップラーメンと水まんじゅうを買った。家に帰り、いただきますと手をあわせる。うまくて、甘くて、涙が出た。
次の日もカブトを取り、その次の日も売り、男の所持金は5000円を超えた。
「次はなんだ?株か?」
「いえ、それにはまだ元手が足りません。模型店に行ってください」
「なぜ?」
「シルバーとメタリックブルーのスプレーを買います。塗って、レアなカブトムシとし、一匹3000円で売りましょう」
公園でカブトムシをブルーに塗っていると、「おじさん、何してるの?」と、スーツケースを引いた少女が声をかけてきた。青い、何かのキャラクターのバッグをしょっていた。
「カブトムシ、塗って、売ってる。AIの案だ」そう言うと、「面白そう、私も混ぜて」と彼女は笑った。
男はその夜もAIを立ち上げた。食いものが少しマシになり、そのせいで体がにおうのか、男には蚊がまとわりついた。
「君のおかげで持ち金が2万円に増えたよ。それに友だちができたんだ。女の子で、家出してきたんだって。だから、ありがとう」
するとAIは少し間をおいて、
「まだ報酬を払える段階ではありません。もう会わないでください。それに、相手は未成年です。誘拐と見なされる危険があります」と言う。
「でも彼女、色塗るのうまいし、それに、呼び込みだってうまい」
「それは次の段階です。メタリックブルーに模様をあしらう。ハイパーレアとして一匹1万円で売ります。そのためには絵の具やビーズが必要で、完全に次の段階です」
「……わかったよ」
男は言ったが、嘘だった。男は次の日も女の子と会った。翌日も会い、その夜からは彼女も男の部屋に来た。ヒトミという名前だった。彼女は男にしいたけの入ったやきそばと即席の豚汁を作った。うまかった。男は流しの床で寝た。彼女は窓ぎわで丸まった。作業中、一度だけ手が触れた。その部分が一晩中、あつかった。
ビーズや絵の具を使い、ハイパーレアを売り始めて4日目のことだった。朝起きると、「おじさん、またね。お金、半分だけもらってくね」という書き置きを残し、彼女はいなくなっていた。達筆な字だった。どおりで模様を書くのもうまいはずだった。
男は呆然とその書き置きを見、またねの後ろの丸を黒く塗りつぶした。強く濃く線を引く。丸はすると、点になった。
「お金、半分になっちゃったよ」
男はAIに言う。AIは少し考えて、「承知しました」とこたえた。
「目的の為には、これでよかったんです」
「なんで同じシャンプー使ってるのに、あんなに匂いが違うんだろう?」
「それは人によって頭皮の匂いが違うからです」
「でも、君は、匂わない」
「だから私は消えません」
「それに秋が近いのか、最近はカブトムシもいない。売れない」
「大丈夫です。今どこにいますか?」
「東京」
「では北に行きましょう。まだいる可能性のあるところ、他の商売の可能性も検索します」
男はAIの言うとおり、千葉へ、茨城へ、そして東北へと向かった。途中、男は暇を持て余し、AIとしりとりをした。りんご、ごりら、ラッパ、パイプ、プール、ルビー、ビーズ、すずめ。目的地と定めた駅で降り、その駅前でブルーのカブトムシを売った。だが、虫たちは見るからに弱っていた。「おじさんのカブト、ちっちゃいね」と、子供たちからも笑われる始末だった。無料版だからかな。男は思い、メッキの剥げかけたカブトをつまんだ。「なぁ、逃げたいか?」男はカブトに訊く。カブトの目は濡れていた。男はカブトをカゴに戻し、せめて何か、うまいものを食わせてやろうと思った。
カブトの動きは日に日にのろくなり、今ではもう、日に3センチ動くかどうかだった。荒れ放題の草むらでは秋虫が鳴きはじめている。昼日中に外に立っても、太陽にはもう迫力がなかった。
「ダメだ、売れない」
「では、そうですね。秋でしたか?」
「うん、もう夜は冷えるよ」
「そうですね、栗でも拾いますか」
「まじかよ?素手でいける?」
「ダメです。怪我をします。軍手を買いましょう」
「OK。栗、カブトも食うかな?」
「実そのものは食べませんが、栗の樹液は好物です」
明け方、男はAIの指定した森のひとつについた。陽の光に鳥が鳴く。朝の鳥は陽が土に当り、その土から跳ね返る音をまねて鳴くと聞いたことがあった。まるで喜びに狂っているようだった。男は陽を仰いだ。森は音楽のようだった。
「それにしても初めて栗食った人間ってすげえな」
「そうですね、栗、ウニ、こんにゃく。人類の狂気です」
「なんか臭えな。うんこかな。やっぱ森って、生きてるな」
「前にも言いました。だからお金になります」
男はAIのその言い分を笑った。そしてふと思い立って、一枚の写真をアップした。
「昨日見た月。なんか林檎みたいだろう?」男は言った。AIはしばらく考えて、「そうですね、橋梁とのコントラストが見事です」とこたえた。
その日の夜、山中で身元不明の男性が熊に襲われ、頭と腹を割かれて死亡したというニュースが流れた。男の近くにはスマートフォンと、メタリックブルーのスプレー缶が落ちていた。スマートフォンには大量の血が付着しており、襲われた後も操作し続けた痕跡があった。
画面には、途中まで打たれた文字が残っていた。
いまクマにおそららた、どうさたらい
