「インドでの発狂、日本での暮らし」荒木田慧
2023年7月から2026年4月までの約3年間、私は東南アジアからインドにかけて、目的もなくふらふらしていた。
2025年8月、北インドの聖地リシケシュで引きこもっていた際、インドの脳神経科医から処方された抗うつ剤2種類が引き金となり、かつてない発狂を経験した。
幻覚、幻聴、妄想。輪廻転生の仕組み。天国と地獄、そのまぶた一枚の併存。
相姦・共喰いの茶色い世界を観たときは、皮膚がそそけ立ち吐き気を催すほどおぞましいはずの画だったのだが、そこに「善悪」という概念は存在しなかった。するとむしろ静的で素直な、美しい調和さえ感じるのだった。
やがて内的意識と外的現象が接続しだし、気が迷うと部屋の電灯が消え、確信を持つと電灯が点くようになった。瞼を閉じると雨が降り始めた。(幻覚だと思う。)
iPadを、水を張ったバケツに浸した。
充電コードを、排水溝に詰めた。
抗うつ剤(と口紅?)を、自分の膣に突っ込んだ。
ベッドからマットレスをはがし、タントラの本を燃やそうとした。
パスポートの写真ページを、破り捨てた。
全裸になって近くのシヴァ・リンガ(男根と女陰の結合をかたどった宇宙創造のシンボル)へ夜、向かおうとして、当然だが通行人や宿の主人に制止されることになる。
宿の廊下で"FUCK YOU!!"と大絶叫した。
ほとんど記憶になかったのだが、皆が寝静まった深夜にもう一度、全裸でシヴァ・リンガを目指して、宿から抜け出そうとしていたらしい。宿の出口のシャッターにかかっていた南京錠を、金属の棒でこじ開けようとした。追っ手に気づくと金属棒を投げつけた。それをぶつけられて怪我をしたのだと、くるぶしの傷をあとで見せられた。
翌日、救急車に乗せられ救急病院で鎮静剤を打ってもらい、私の精神の治療はそれきりになった。
私は酒もタバコもドラッグもやらない。大麻も数えるほどしかやったことがない。それが医者から処方された抗うつ剤でここまで発狂するとは誰が思うだろう。それきりその薬を飲むのはやめた。(後にはっきりとわかるのだが、私は双極性障害、躁鬱病であり、抗うつ剤の処方は躁転を誘発するのでタブーであったらしい。)
日本大使館のかたは「お医者さんからもらった薬をきちんと飲んでくださいね」と何度も私を諭してくださったのだが、「その薬のせいでこうなったのです」と言っても伝わらないだろうと思い、「はい、わかりました」と答えていた。
その後は鬱状態に陥りながらも、小さな波を繰り返し、日本、インド、ネパール、インド、タイ、ラオス、タイへとなんとか移動を続けたが、希死念慮に耐えきれなくなり、今年(2026年)4月に日本へ帰ってきた。
帰国後すぐに精神科へ予約の電話をして、初診の翌日から1ヶ月、閉鎖病棟へ入院させてもらった。診断は双極性障害I型(躁鬱病の躁の激しいほう)で、あらためて双極性障害のための服薬治療がはじまった。
6月、私が精神科を退院した5日後に、脳梗塞で入院していた父が退院し、介護が始まった。
以下は、8月に馬野ミキから送信された
「日本での暮らしはどう?
おれは海外にいったことがないけれど。」
というメールに対する返信に加筆修正したものです。
穏やかに暮らしているけど
道を歩いていても動物がいないし
人間もあんまり歩いていない
私は車をもっていないから
自転車か徒歩移動だけれど
多くの人は
箱から箱へ、箱に乗って移動する
家から店へ、車で
友だちには
約束しないと会えない
「●月●日●曜日、〇〇でね」
ショッピングモールなど
多くのプロダクトに囲まれているけど
スピリットが入っていないから
もっともっと、となってる感じ
昨日、御盆の最後の日に
死んだ母の実家の
お墓参りに行ったのね
姉も弟も行かないみたいだったから
自転車で片道25分
晴れの日でよかった
従兄弟や親戚が
たくさん近所に住んでるから
きっとお花がいっぱいだろうなと
私の買ったお花は入るかなと思ったけど
杞憂だった
煙の立つお線香はあったから
誰かお墓参りには来たのだろうけど
お花はひとつもなくて
腐った汚れた水が
そのままになってた
雑巾で墓石を拭いて
水を取り替えて
お花を捧げて手を合わせた
夜は送り火を焚いた
先祖がちゃんと帰れるように
ただのキャンドルだけど
宗教センスは皆無だけれど
精神性への信仰だけなら
100あるんだよ今の私は
オモチャみたいな食べ物で
自転車の前カゴを重たくした
スーパーマーケットの帰り道
オモチャみたいに立ち並ぶ家々をみるとき
誰か私を殺してくれないかなと思う
誰も歩かないまっすぐな道を
家へ家へと急ぎながら
ときどき信号を無視して
