「T-THEATERER 2026について」奥主榮
二年以上前から、「またやります」と言っていた、詩の朗読を中心とした舞台集団T-THEATERについて。例によって例のごとく、僕個人の定期朗読会の準備に追われて一年以上愚図愚図していた。けれど、さすがに今年になってからあれこれ動き始めた。今年が第0回公演から30周年。僕が詩を(意識的に)書き始めてから55周年。機会を失してしまえば、なんだかマヌケな企画になってしまう。
新しい公演を行う団体の名称も、T-THEATERと決定した。(僕の記憶違いから、一時期あちこちで「T-theater」と誤表記してしまっていた。この点を指摘してくださった大村浩一に感謝する。) また、公演のタイトルは、「地球人記録2026」となる。
このタイトルは、T-THEATER第0回公演の「地球人記録」を踏襲している。これまでにも幾度か書いてきたことだが、この企画は次のような意図で行われた。僕が詩の朗読の舞台をやりたいと思った時点で、舞台全体に何らかの統一性を持たせたいと思ったのである。「ばらばらな作者の、方向性も異なった作品を、きちんと一つのテーマを持った短編小説集のようにまとめるには、どのようにしたら良いのだろうか?」 そうした課題と向かい合った結果、こんな設定を思いついたのである。
「遥か遠い未来。太陽は既に活動を終え、太陽系の惑星も全て、惑星としての活動も衰えた星系と化している。地球の生命体も全て滅び去り、そこに生きていた生物たちの残した痕跡だけが在る。そんな時期に地球を訪れた外宇宙からの来訪者が、かつてそこに生きていた生き物たちの記録を発見する。そこに残された地球人の記録の一つひとつを、一編いっぺんの詩に見立てて上演していく。」
この設定は、けして個々の作品を素材として軽視したものではない。むしろ、僕の中には、当時こんな思いがあった。「もしも異星からの来訪者の視点という、全く異なった価値観に晒されたとしても、今生きている一人ひとりの人間の苦しみや悩みは、尊重されるものではなかろうか。」 この一言に集約される。
今回の新しいT-THEATERの活動に際して、こうした企画の基本を改めて文章化してみた。また、今進めている企画に関して、あれこれのプレゼンテーションみたいなものを行う機会もあった。その過程の中で、僕とっては大切な課題となっているテーマに触れた一文を、無意識のうちに書いていた。それをここに引用してみる。「間違いや、手探りだらけの存在であろうと、けして否定されてはならない。」
この中には、僕のこんな思いが込められている。「僕は、この星の生命体の記録を肯定したい。」
現在、参加表明を出してくださっているのは、白糸雅樹、大村浩一(作品参加のみ)、葛原りょう、森政也、rabbitfighter、冨士山絢々、紀子、そして僕の八名。
いずれも、それぞれに舞台経験も数知れぬ、錚々たるメンバーである。なんだか、今更ながらに大それた企画を始めてしまったのではないかと思っている。先月、実質的に初めてのミーティングがあり、そこで今の時点で参加者が提出した作品の素読を行った。
そして実感したのは、このメンバーは全員、はっきりとした生命のリズム(あるいは、律)を心の中に持っているということである。身体の内側に刻まれたそれぞれの律を獲得するために、どれだけの体験をしてきたのであろうか。そんなことを思った。僕は、裸足で逃げ出したいような思いに襲われた。
今回の公演では、音楽担当者がおられない。最初はそのことを残念に思っていた。しかし、白糸雅樹からは「逆に以前のT-THEATERは、音楽に頼り過ぎていた部分があったのではないか」という指摘があった。(僕らの内部では、割と容赦のない指摘が飛び交うのである。) もっともだと思う。音に関して、2026の僕らが何をやるのか、少し楽しみにして頂けたらとも感じ始めている。
現時点では美術を担当される方もおられない。こちらに関しては、僕はこっそりと、「誰か視覚表現で参加したいという方が名乗り出てくださらないかな」とか、そんなことを考えている。僕がお声がけをしようとした美術作家の方々は、大学の卒業制作で忙しかったり、ご自身の創作活動に追われていた。(T-THEATERは、ギャランティが払えるような団体ではない。支出さえ、参加者で分担しているぐらいである。) でも、例えばこんな方がおられたら嬉しいなとは僕は身勝手な妄想をしている。絵を描くことが好きでしょうがないから、舞台で朗読や身体表現が進行している間に、片隅でひたすら紙に即興のドローイングを続ける。そして、それを舞台にどんどん貼り出していく。三回行われる公演の間、それを続けて、舞台はどんどんその作家さんの世界と同化していく。といったことを「やりたい」と言い出してくださる方がおられたら、とても嬉しいなと。(本当に虫の好い願望である。)
閑話休題(それはさておき)。
実はT-THEATERというのは、参加者同士でお互いの表現に関わり合う機会の多い集団である。
昔のT-THEATERに、紀ノ川つかささんが初めて参加されたとき、「病の床」という作品を描かれた。病気で仕事を休んだ男が家で寝ながら、映画やドラマの主人公のような劇的な病状ではない、さえない状態を嘆いているという内容の詩だった。この作品に対して僕は、こんな演出を考えた。「この詩の登場人物が、実は深刻な病の兆候に気が付いていないという設定にしたら、面白いのではないか」。
同じ公演の参加者であった松岡宮さん他のメンバーに僕は頼んだ。「朗読している紀ノ川さんの傍で、死を連想させる不吉なメロディーを口ずさんでくれ。」 僕は、かなりタチの悪い演出家である。
だから例えば、作品を大切にすることと、作品を自己撞着の手段とすることとの区別が出来ない方によって、T-THEATERに参加することの印象は正反対のものとなる。前者の方々にとっては、無理なく自然に参加できるが、後者の方々にとっては、ストレスを溜めてしまう。
詩にせよ音楽にせよ絵画にせよ、身体表現、照明、音響等々、客いれ、前説さえもが、僕は一つの舞台を支える大切な要素だと考えている。そして、そうしたどんな分野の作品も、世に出せば作家自身にとっては不本意かもしれない評価に晒される。作品を大切にする人間は、それを「どうすれば自分が実現したい創作意図が実現されるのだろうか」という方向性を得る為の言葉と受け止める。しかし、自分の創作物を脆弱な自我を守る為の盾や身を守る為の鎧程度にしか思っていない人間は、まるで自分の人間性を否定されたかのような過剰反応を示してしまう。後者のような描くことがかえって自分を不自由にしてしまう状態は、僕は極めて個人的な感情から、「大嫌い」だと思っている。
参加者全員が身勝手で好きなことをやりながら、同時に他の誰から干渉されることも許容する集団。T-THEATERが、そんな集まりであれば好いなと、僕は勝手に夢見ている。(しかし、自分の理想像をどの参加者にも強要するつもりはない。)
こうした取りとめもないことを綴りながら、すごく素朴な疑問が脳裏をよぎっていく。創作活動とか、作品っていうのは、いったい作家の為にあるものなのか、それを受ける側の為にあるものなのか。何かを描きたいと思ったときから、発し手が抱き始める気持ちだ。でも、僕はこうした疑問というのは、安直に結論を付けなくて構わないものだと思っている。
実際に僕は、作品って、誰の為にあるものなのかなっていう疑問に対しては、今でも答えをだしていない。というか、「死ぬまで結論などはうっちゃらかし続けたまんま、好き勝手な創作活動を続けていたい」という、逆説的な結論だけを下している。
僕は、詩という媒体を通して、受け手の方々と飾らぬ姿で向かい合いたい。詩の読者にとっての、一編いっぺんの在り様というものも、それぞれに異なる。どうして詩を読みたいか、詩が何故好きなのか、どんなきっかけで詩に惹かれたのか。そうした一人ひとりの人間の感情を、分析したり解釈したりすることに、僕は抵抗がある。
詩が描き得るものというのは、そうしたマーケティング・リサーチ的なものとは無縁なものだと個人的に判断している。(この点に異論を語られても、全く構わない。)
互いの作品に干渉し合えるという、そんなT-THEATERの僕なりの理念には、一つの背景がある。一言で言えば、創作の世界での作者間での対等性というのがある。
極端な話、〇歳の子どもが突然、何かの作品を描いたとする。同じく百歳の老人が、熟練した手腕で何かの作品を描いたとする。しかし、受け手にとってはどちらも等価な作品なのである。
創作物というものは、個々の作者が背負ったバックグランドなどは無視して、それを受ける側にとってこそ、自由に享受することが可能なものなのである。そして、僕はそうした作者と作者との関係が対等で在り得る状態というものが、とても好きだ。
そこには、とてつもない自由がある。
だから、T-THEATERでは作者と作者が、干渉し合うことを是としている。
これは同時に、とても怖いことである。誰かが真剣な思いで朗読しているときに、「本当にそうなの?」といった身体表現をするとか、いきなり合いの手を入れて茶々をすることも可能なのである。(無論、事前の打ち合わせは存在する。) けれど、そうした中で作品を客観的に扱いながら、お互いを尊重し合う。
それは同時に、自分自身が発する言葉の意味を、作者自らが自分の中で反芻する機会でもあると、僕は考えている。
表現というのは、時には一方的に相手に向けられるだけのものになりがちである。だからこそ、作品を発する側にとって、「こんなことを描いても良いのであろうか」という葛藤を生み出す。僕は、「本当にこんなことを描いても良いのか」という苦しみを、描き手の誰もが経験しているのではないかと考えている。参加者同士がお互いの作品に対して、遠慮がちにであっても自分の意思で関わっていく朗読集団。そんな舞台を僕は妄想している。
僕自身が、表現者としては十分なぐらい未熟な存在である。そして、過去に自分がしてきた拙い活動を乗り越えていきたいと考えている。そして、表現活動をすることによって、何を実現したいのかということを考えてしまうと、とても「とほほ」な結論しか自分の中に浮かばない。僕が何やら描き続けている理由は、たった一つである。
だって、どうしても「描きたい」んだモン!
過去のT-THEATERというシロモノがどうであったかとか、そんなものは僕にはどうでも良い。積極的にそんなものをぶち壊しても、「描きたい」というだけで動いている、困った連中の集団として、「地球人記録2026」を実現したいなと、そんな野望を、僕は内心抱いている。
2026年のT-THEATERの公演は、JR日暮里駅間近にある「日暮里モンパルナス 丘の上の工房ムジカ」で、以下の日程で行われる。(開場は、開演の30分前)
2026年 12月 19日(土) マチネ
14時開演
12月 19日(土) ソワレ
19時開演
2026年 12月 20日(日) マチネ
14時開演
入場料:前売り 2500円+ドリンク代
当日 3000円+ドリンク代
詳細な情報は、また改めて告知いたします。
2026年 7月 6日
