過去の記事

風が吹きすさむ峡谷。
壊れかけた大きな吊橋、所々踏み板が抜け落ちている。そこはかつて名声を受けた人々の足跡が化石として発見されている名所でもある。
一匹のアリが吊橋を渡りはじめる。触角で足場を確認しながら、ほつれかかったロープの上を歩きだす。
数多の者たちがこの吊橋に魅せられた。アリはこの橋を渡ったことがあるという男のことを思い出す。
「向こう岸か、懐かしいな」その男はアリの触角を見つめながら言った。
「お前の気持ちはよく分かる。でも止めたほうがいい」
アリに朝食を振る舞った後、男はふらつきりながら森の奥に消えていった。
アリは前方を見つめ、ロープの上を歩きつづける。まだ何も起こっていないということに対する不安が、アリの小さな胃袋を締め付ける。
...

描くこともない
なんも

なんか あったらいいかも
あるといい
動きだせる故

ひたいを、
強く照らすひかり
まぶしくていやだ
めざめだと言われる
寝てたいのに
でもなんかあるといい
あったらいい
そうやって
うまれてきたがする

なんも いうことがない
歌うこともない
ほんとうは
どっちでもいい
ただ
あの
なにもなさが 耐えられなかったのよ

ぼくが宇宙自身でいたころー

医者と病気と病院を信じていない。小学生の時に病院で医師と看護師と母親に押さえつけられ号泣するなか治療を受けたことがトラウマになっている私は病を一切信じるつもりがない。当時どういう病だったのか、怪我だったのか、思い出したくないから書かない。私は病に罹ったとは絶対に思わないようにしている。近年の◯◯◯症候群だとかあるいは精神病の類い、または発達障害などという医師と病院の人らの仕分けコンベアには絶対に乗らない。虫歯だったらペンチを使って自分で歯を抜くし、風邪やなんやらで発熱してもバハリンで済ませる。昔はバハリンしかなかったけれども近年ではもっと効く市販薬があるから助かる。不眠?鬱?カウンセラー?なんなら最悪、マリファナでどうにかなるだろう。

市営プールのジャグジーでサボってたら

男の子が入って来ていきなり
「あなた何人?」と変なイントネーションで聞く。
「日本人かな」と答えると
またしばらくして「お母さんいる?どんな人?」
と聞かれた。
僕が考えていると
「お母さん何色?」
と言う。

毒々しい絵 血の池地獄 スマフォの光
目に毒な物ばかり見ている。
僕の中に知らず知らず育てあげているモンスター。
二兎を追わざらなければ二兎を得ず。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
そして青葉が茂る頃にはまたあの道を歩いて行く。
今は秋桜がもう終わりかな?
母も秋桜が一番好きだと言っていたけど、きれいな花だよねぇ。その頃には今がときめき、何はなくとも君が走れば僕も走る。
木漏れ陽と青葉。そして気持ちいい風に吹かれて木々の揺らぐ影が道にうつる。
...


良い子、は僕はだいぶ前に引退した

記憶が曖昧なのだが僕が一時期通っていた「よいこの幼稚園」は年小さん、年中さん、年長さんと4歳から6歳の子を扱っていたと記憶している

毎月、学年の垣根を越えその月に誕生日が来る良い子達はステージに上げられる

みんなからのバースデーソング歌ってもらい何か…
何か謎の金メダルっぽいのをもらった気がする

折り紙の金のやつで何かを、なんか厚紙を包んだメダルを首に掛けてもらう

そういったある種の儀式、セレモニーがあったと記憶している


「5歳になった!」


僕は世界の中の王子様になった気分だった

「5歳! 5歳!5歳!5歳!ごっさいぃぃっ!」
おっさんになった今の僕にとっては5歳児程度では地球にやって来て間もない宇宙人と同じだと思っている

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元来、虫の類は好きではないので、台所で見つけたときは恐る恐る菜箸で摘んでいたのが、名前をつけ食卓に置いたジャムの空き瓶の中で過ごすさまを見ているうちに愛着が湧いてきてしまい、最近は挨拶をしたり絵に描いたりしている。餌にするための小松菜やにんじんは値のはる有機栽培のものを選ぶようになったし、料理に使った鶏卵の殻は洗って瓶の中に入れる(かたつむりは殻の硬度を保つために鶏卵の殻などからカルシウムを摂取する)。

誰かが小さい咳を一つしただけで、遠くのどこかでミステリーサークルが起きるという。僕はその話、あると思う派。最近早寝早起きをモットーとしていて、それなら夜食に大金擦ってドカ食いしないで済む。夜中トイレに起きると、煙草を吸って噎せる。ゲホゲホ大きな咳をする。すると、隣近所が目を覚ましてしまう。ごめんなさい。そんなしながら、すぐ済むゲームをスマフォで弄って、眠らなきゃとまた暖かい布団へもぐりこむ。いやー、コンビニも知らないうちに大分AI化していて、便利すぎてねぇ。感謝感謝。十円玉五円玉一円玉を投入して、恥ずかしくもなくかえちゃうよ。一円もバカに出来ない。それでお店へ利益にいくんだから、確かに便利になった。誰かが僕を憎んでいる気がする。弱いヤツ、とか何にも出来ないくせに、とか。でも今のところ過...

実際に、肉付けして話していくとかなりな長時間になる内容である。(一部の内容は、当日の朗読に反映されている。) 実は、当日に読む予定であった詩を(時間の関係で)省略したことなどもあり、話す内容を制限して正解であったのだろうと思う。



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MC 2 奥主パート「俺の中の凶暴なもの」と「なしくずしの生」の間

2023年10月の前詩集『雲のからだ 海のからだ』に続いて、1年後の今年も新詩集が出版された。軽やかで手に取りやすい詩集のスタイルを継続している夏野は、マイペースを貫いている。
詩集を出版するということにはいろいろな意味でカクゴが必要だが、夏野にはそのような気張った姿勢がない。詩壇に向けて発信しようとか、賞を目指すとか、自分の立ち位置を示そうとか、そういった欲からは遠いところで詩を楽しんでいる夏野は、ただひたすらに詩を書き、読者に届けたいのだろう。すがすがしいスタンスだ。
詩集タイトルの「運搬のフィギュア」の冒頭部分と最終部分を中心に引用する。

第三者委員会に不正があったので
第四者委員会を設置したが
ぶっちゃけ、もう誰も分かっていなかった
無敵の人と無敵の人の最初の戦いがもうすぐ始まる
山から地元のスーパーに下りてきたクマも参戦して無敵の人を殴り殺すのだと
温室で培養された無敵の人より強いものは「野生」と「本能」だ
専門家会議も名刺に書いてある肩書も、本来確実に絶対に死ぬ人間にとって、中長期的なビジョンではあんま意味がねえと
台風と地震だって同時に来る
むしろ、何故こないと思うのか?
これらは銀河第五者委員会による「直観」なのだと霊媒師ハリソンは言うのだー

眠る前に意識を宙にとばす。寝室にしている六畳の和室の天井を幽体離脱したわたしが突き抜け、ドローンの空撮みたいに団地の屋上を映し高みにのぼるに連れ今度は鳥の目線になると淀川の蛇行が視野に入ってきて、飛行機の高さになると、あんなにごちゃつき入り組んでいるはずの梅田の街ですら、一枚のきらきらした光の基盤のようになる。あれが阪急、あれがJR、新大阪駅を貫く東海道本線。やがて瞼の裏は人工衛星からの映像に替わり、夜の灯りで縁取られた地形が雲の切れ間に覗くのを見ているあいだに、無意識のポケットに落ちる。

2024年9月29日、僕と郡谷奈穂の共同企画である朗読会が、阿佐ヶ谷の「よるのひるね(夜の午睡)」で行われた。僕にとっては大きなテーマであった「戦争」に関して、僕はメールと数回の対話で、郡谷に対していろいろと語った。(多分、熱情を込めて語る爺は、いい迷惑であったろうと思う。)
その際、詩の朗読の合間での語りについても、いくつかの試案を送った。
しかし、予定時間二時間前後の朗読会の中で、その内容を全て語り伝えることには無理があった。当日、試案に基づいて語った。(youtubeの「大村好位置チャンネル」に、動画が投稿されており、内容を確認することができる。) しかし、語り損ねた部分も多い。
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身体表現に携わる人間は、例えば日常的な動作を極めてゆっくりと見せることで、ふだん人が見落としている所作の細部について受け手に意識させる。手法としては常套手段であるが、その行為によって作品と相対する側に何を惹起したいかという意図は、演じ手や作品ごとに異なる。
言うまでもないことだけれど、何かを実現可能であるということと、それによって何を表現するかということは、全く別次元の問題である。
多くの場合、観客の意識を操作することを避ける作家は、作為的な演出を意識的に選ばない。そうした選択は、下世話さを避けて高踏的なものを作りたいといった卑しい意識ではない。誰かの心情をコントロールしてしまうことを、半ば本能的に拒んでしまうのである。それは、ほぼ肉体的なレベルでの拒否感である。
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